上川陽子外務大臣「(新知事を)うまずして何が女性か」の問題はどこにあるのか

上川外相が発言撤回。「女性パワーで未来を変えるという私の真意と違う形で受け止められる可能性があるという指摘を真摯に受け止め、撤回」。本人は問題の所在に気付いただろうと思う。むしろ、「切り取り」批判が湧いてることが厄介で、上川さんも男女共同参画局もその部分に対応して欲しい。

「うまずして何が女性か」という見出しが切り取りかと言えば、「出産せずして何が女性か」という直接的な発言と誤解させたことは確か。しかし、その規範あるいは意識が前提にあってこそ(少なくともそれが問題だという敏感さを欠いてこそ)の発言だった訳で、結果的に本質は突いていたと言える。

ただ、記事本文を読まずに決めつけて批判をしちゃうと、バカバカしい反批判、すり替え、揚げ足取りを招いてしまうので、そこは注意しないとということ。どうであれそういう連中は湧いてくるのだが、余計な材料は与えない方がいい。

ほんとめんどくさいのだが、それがこのバックラッシュ状況だし、Xはミソジニスト、差別者の根城になってしまっているからね。


「新知事を産む」という比喩だったようだが、だからこそで、こういう比喩にこそ日常的な意識が現れる。様々な場面で「女性は産むもの」という視線、言外の圧力、こうしたあからさまな言葉に晒される痛みにジェンダー政策の旗を振ってきた上川大臣すら鈍感であるという絶望感。

自民党や経済界から出がちなのは「女性ならではの」「女性の視点」といった言い方なのだが、しばしば上川発言のように「女性はこういうもの」「こうすべきもの」という本質主義や規範が現れる。あくまで、女性がしがちな経験、置かれがちな立場、境遇といったことが表出、反映されるべきということ。

「知事をうむ」という趣旨だから問題ない、切り取りだとおなじみのマスコミ叩き、フェミニスト叩きが湧いてるけど上塗り。「女性は産むもの」という前提があるから「(新知事を)産まずして何が女性か」が成り立つ。女性に檄を飛ばす時などに「母」レトリックがしばしば使われる根深さ。

一方、上川発言批判には「出産せずして何が女性か」という直接的なものだと誤解したものがあるが、発言は「この方(=知事候補)を私たち女性が産まずして何が女性でしょうか」という「女性は産むもの」を前提にした比喩的表現。だからこそ根深いのだが、そこを押さえないとミソジニストの反批判を食らう。

「産みの苦しみは今日男性もいらっしゃいますが本当にすごい」。「今日男性もいらっしゃいますが」という言葉もあったんだね。女性を鼓舞したり称揚したりする時に、当たり前に「母」「産むものとしての女性」のレトリックが使われるという根深い問題。


上川発言は女性支持者への檄、鼓舞だった。女性を励ましたり褒めたりする時に、無意識に「母」のレトリックが使われる。産む、育てる、優しさ、包容力、見守る、献身、忍耐…こういうポジティブなイメージ=母=女性、と当然のように結ばれる。自覚的には悪意のない、厄介な性差別意識、ミソジニー。

ところが、同時に、「母」のステレオタイプは、いつも怒っている、ガミガミ言う、怖い、ヒステリック等々ネガティブだったり揶揄的だったりして矛盾する。これは上のレトリックが理想的、規範的なのに対して、母/妻にかかる負担、置かれた環境を無視した描写だから。これも性差別意識、ミソジニー。

よくあるパターンは、母の具体的な描写はネガティブでありつつ、「でも実は」ということで「働き者」「一生懸命」「愛ゆえ」といった説明を介して理想化され、ポジティブなイメージに変換されるというもの。特に中高年男性に目立つ。こういう遡及的、郷愁的な母親像の上書き、理想化の影響力は大きい。

こうやって男性が抱く、母=女性の理想的、規範的なイメージに女性が迎合したり内面化したりということの現われが上川発言ということになるんだよね。


そもそも10年前、集団的自衛権行使容認が議論になっていた時に、それを担う自衛官を少子化、人口減少下で確保できるのかという論文を『世界』に書いたのが野田聖子さん。野田さん、上川さんは自民党の中でジェンダー政策を引っ張ってきたが、保守であることの限界は押さえておく必要がある。

同様の限界、危険性は野田さんのフェムテック推進にも表れている。ただ、それで野田さんや上川さんの性差別撤廃、ジェンダー平等へ向けた取り組みを全否定してしまうと、政策実現への有力な取っ掛かりを捨てることにもなってしまう。


暇空問題や共同親権問題の絡みのクソリプはブロックして平穏になっているが、上川発言批判に大量のクソリプが湧いてきた。どれもこれもバックラッシュ状況の現れで、まだまだ道遠しと嘆息。でもはるかに多くのいいね、リポストをもらっているし、共同親権反対で温かいメッセージを数々頂き泣けてきた。

見出しでミスリードして煽って、本文で自らひっくり返していて(ただ画像の通り的外れ感)、相変わらずの産経。上川発言の何が問題か全くわかっていない。

上川発言批判へのクソリプの少なからぬものが、「うむ」「生む」「産む」の違いを言ったり、慣用的に「生み出す」「産みの苦しみ」等使われると言ったりして、国語力の問題、日本語の問題だとしてバカにして見せたり、「日本人じゃない」と差別を露にしたりしている。辟易とする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?