長島有里枝『「僕たち」の「女の子写真」から わたしたちのガーリーフォトへ』

長島有里枝『「僕たち」の「女の子写真」から わたしたちのガーリーフォトへ』。長島さんの(ヒロミックスさん、蜷川実花さんなども)名前は知っているけどというレベルだが、日経の連載コラムで興味を持っていたところに清水晶子『フェミニズムってなんですか?』での対談を読んで手に取った。

女性写真家や女性が撮る写真の扱われ方、語られ方が丁寧に分析されている。自ら「ブーム」の渦中にいた長島さんがしかし「自伝」としてではなく自分のことも三人称化して論じている(本書は修士論文に基づく研究書)。写真のことも写真界のことも分からなくてもピンとくるジェンダー研究だ。

男性が多い分野・業界に「女性〇〇」が登場すると、それだけで騒がれ、いちいち「女性ならではの~」とか「女性らしい~」等々と評される。一見褒めているようでありながら、男性が作ってきた理論であったり論理性や知性であったりから外れたものとして他者化され、一段下に置かれる。

そこには(若い)女性であることが付加価値であり知識や技術は男性に劣るという前提があったり、従来の男性中心の理論ややり方を問い直すものとしてではなく「別のもの」と位置付けられたりする。長島さんも分析するように、しばしば「未完成」扱いされ、従来の男性の基準で「成長」が測られる。

男女のジェンダーが文化-自然、論理-直感、知性-感性等々の二分法に振り分けられ前者が優位とみなされてきたように、「女性〇〇」が登場し又は注目されるとしばしば後者で特徴づけられる。歴史的、文化的、社会的に構築されてきた立場性や視点、その経験に根差したものも本質化されてしまう。

長島さんが分析する男性写真家・評論家(その意識を内面化した一部の女性も)の語りや記述は、自らが依ってきた理論や枠組みが揺るがされることを拒絶し又は否認するかのように必死に「女性写真家」の台頭と折り合いをつけようとしているし、優位な立場を崩されまいとするサバイバル戦略にも見える。

長島さんら90年代に登場した女性写真家が第三波フェミニズムや関連する諸動向の文脈上にあるように、彼女たちや女性の撮る写真への対し方、語り方にもまた時代状況、社会状況の文脈がある。何より語り手の圧倒的多数が男性(「僕ら」)だった。

「女性〇〇」は作り手・語り手の側に回っても依然として見られ、語られる対象でもあるし、しばしばそうして消費される。また、「女性〇〇」が従来の作り手-受け手、主-客といった二分法、秩序を崩したり攪乱したりするようであると、そのあり様が新鮮だが未熟なものと扱われたりもする。

「女性〇〇」に安易に冠される「女性らしさ」「女性ならでは」は決して女性というジェンダー又はセックスに本質としてあるものではなく、女性であるが故に置かれた立場性、その経験、その視点に発するものであり、それが新しく見えるとしたら従来それが欠けていた、無視されていたということだ。

そして、ここで一括りにされる「女性」も決して一様ではなく、ある特徴を「女性らしさ」「女性ならでは」等々と形容することは特定の女性のあり様を一般化し、そうではない女性を切り捨て、不可視化するものだし、しばしば当の「女性〇〇」の意図、意識とはかけ離れたところに見出してもいる。

長島さんが分析するように、男性たちの「女の子写真」の論評と長島さんら当の女性写真家たちの実際とは様々な点でずれていたし、事実関係の認識も不確だったり誤りだったりした。回顧的に見ると戯画的だが、それらの論評が反復され参照、引用が繰り返されることで定着してしまったのだ。

90年代のいわゆる「女の子写真」ブームは私は新聞などで横目で見るだけだったし、フェミニズムや社会学の文献で触れられているものも多少は読んだ気がするが、見る-見られる構造などの通り一遍の議論だったのか記憶に残っていない(それに『anan』)の読者ヌードの方が頻出トピックだ)。

「女の子写真」ブームは20代の頃リアルタイムで起きていたものの、長島さんとかヒロミックスさんとか騒がれていたよな位の記憶しかなかったのだが、実は第三波フェミニズムの文脈上の異議申し立てムーブメントであると同時に、それが男性写真家・評論家らに領有されパッケージされ、消費された。

長島有里枝『「僕たち」の「女の子写真」から わたしたちのガーリーフォトへ』は「女の子写真」として他者化、対象化され領有、収奪されたものを「ガーリーフォト」として取り戻し、意味づけ直す行為遂行的な研究だ。それは決して主観的なものではなく、客観を装った論評を突き崩すものだ。

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