「トー横」「大久保公園横」の問題は警察の取締・補導では解決しないし「自己責任」の問題にすべきではない

全く表層的な記事。こういうのばかりだから「危険はあるが自己責任」みたいな話になる。この女性にしても、訓練を受けていない記者が下手に聞くのは危険だが、16歳から援助交際、18歳からソープランドやデリヘルという話もホスト通いの理由ももっと聞くべきことがある。

この記事も、「ここにいるのは心に傷を負っているヤツばかり」と聞いて「クスリがないと心が壊れてしまう彼らの環境に大人は目を向けるべきだろう」とさらっとまとめるだけでは、「小中学生まで大麻」という異様さを印象付けるばかりで、補導だ、警察だの話を補強するだけ。

このような女性や子どもに対しては、道徳的にジャッジせず、まず安全で気持ちを落ち着けられる環境を確保し、丁寧に話を聞き取る、ただし急かさず拙速に判断しないという構えが必要で、それは警察の取締・補導ではできないし、行政にもその能力は大きく不足している。民間でも単一の団体ではできない。

女性支援団体叩きの関連で、「ホス狂いで性風俗や売春するのも困難女性か」とか「昼間ちゃんと働け」といった類のツイが多いけど、あまりに一面的だし、繰り返し書いてるが、「警察にやらせればいい」ということでもない。

「お客さんを殴っても次の日には店に来るんだよね」というホストの言葉が引かれた記事もあったが、こういう女性客はDV被害者と似ており、ホストクラブに通う背景にDVや虐待などの被害体験がありそうだ。また、ホストに入れあげたり言われるままに性風俗や売春をしたりするのは自己否定感情の裏返しの可能性がある。

もちろん記者に軽々に心を開く訳はないのだが、だからこそ「わかりやすい」ストーリーを語りそれに合わせた振る舞いをしている可能性もある。その言葉をただ記事にし、「理由」を断定し、道徳的にジャッジするということでいいのかを記者、編集部が考えた形跡がない。

それは、警察が摘発・補導という形で臨んだ場合も同じで、警察官の「想定」「期待」に沿うように動機や背景を語り、根本原因に蓋をしたままやり過ごし、相談・支援につながらないままということになり得る。警察の姿勢にも変化は見られるが当然限界がある。

「推し活」や「ホス狂い」は「わかりやすい」理由で、それ以上の追及を拒む。本人もそれで合理化してさらに深い理由には触れない、否認している可能性がある。それ以上踏み込むには、彼女たちにとって安心な場で、信頼できる相手が聞き手にならなければ危険、有害だし、聞いた上でつなげる先が不可欠。

その意味で、気軽に立ち寄れるバスカフェのような場が接点になる。では、新宿大久保公園周辺で「立ちんぼ」をする女性に直接積極的に声をかけるアウトリーチがどうかと言うと工夫が必要だろう。存在を知らせるとか、さりげなく連絡先を渡すことはできても、現場でのそれ以上のアプローチは微妙では。

ホストクラブ側に対する警察や行政の役割はもちろんあるし、一方の原因に対処することは不可欠だが、ホスト個人個人を見ると、記事で言われている入店動機・経路に照らすと規制・摘発以外のことも必要だろう。バイト感覚で入ったら罰金が積もって手取りがほとんどなかったという話は聞いたことがある。

ホストの売掛は規制を考えるべきだけどそれだけで解決しないことを全く理解してない(かつ売掛規制に実効性持たせるには結構論点があることもわかってなさそう)。毎度、売春女性や非行少年の取締・補導の強化という考えだし、スティグマ化する発言もあるし、背景・原因についての理解は全くない。

暇空らには売春女性への懲罰的対応を是とし、スティグマ化する言動が多いのだけど、目立ったセックスワーク論者や近い立場のアカが真正面から批判しているのはほとんど見ていない。それに、困難女性支援法が叩かれていることに対しても、セックスワーカー差別反対の立場からの反論が見られない。


鈴木涼美『「AV女優」の社会学 増補新版』における動機の語彙の論点は性風俗業/セックスワーク、「パパ活」、「売春」の動機の語りにも当てはまる。もちろん本心から語っている場合もあるが、彼女らの言葉を無条件に文字通りに受け取るのは都合のいい態度。

同書でも分析されているように、AV業界は(性風俗業界も)語りの雛形、動機の語彙で溢れている。しばしば饒舌に語られるように、強制とは逆に、スタッフらが優しくし相談に乗ったりして出演者らの信頼を得、仲間意識を醸成することも、必ずしも悪意ばかりでなく行われる。

違う角度だが、関係する論点が性犯罪者の動機で「性欲を抑えられなかった」といった供述が誘導されること。これは牧野雅子『刑事司法とジェンダー(増補)』に詳しい。ここでは「性欲」が動機の語彙となりそれ以上の説明を不要とする/拒むものとなる。

AV/ポルノが性暴力・性犯罪に直接間接に結び付く場合はある。ただし、報道されたり有罪判決が下った事件でも予め警察官・検察官・裁判官が押収された大量のビデオ等の証拠と動機を直結させる構図を描いてそこに集約させる面があり、犯人も意識的・無意識的に供述を合わせたように見えることがある。

動機の語彙や雛形化したストーリーの水準に止まってしまうと、深層にある支援や治療のニーズが捉えられず、効果を上げることが難しいどころか、無意味さらには有害な結果にもなり得る。これは精神科医療やカウンセリングにも当てはまり、かかって何年も経ってDVや虐待が気づかれることは珍しくない。

警察や行政機関が懲罰的、矯正的な姿勢で臨む場合、ステレオタイプ等もあって誘導的に動機が構築されやすい。そうなると本来受けるべき支援や治療等と真逆の処遇を受けることになりかねない。女性側に不信や諦めがある場合が多いから、面倒な話になるより誘導に乗って済ますことにもなりやすい。

以上のことは、新宿大久保公園周辺にやってくる女性だけでなく、歌舞伎町等の繁華街をさまよったり居場所にしたりする少女・若年女性にも当然当てはまる。だからこの意味でも、警察が補導等して家に送り返したり行政機関に送ったりしても問題解決にはならない。

毎度の無知・無理解。権力性や画一性のある警察・行政でできることは限定的だから民間団体の役割が不可欠。摘発や保護をされた女性の支援は民間団体につなぐこともある。困難女性支援法の背景でもあるけど、行政による保護・支援自体が問題を抱えていて全く万能ではない。

警視庁幹部の「路上売春をなくすには、摘発だけではなく、彼女たちが路上に立つ事情に寄り添う必要がある」との発言が重要で感慨深くさえある。記事で取り上げる取り組みも、警察でできることの限界、警察だけで完結しないことを示す。自治体も同じ。だから若年被害女性等支援事業だし困難女性支援法。

「保安課幹部は、女性らへの支援に加え、『ホストが原因で売春を始める人は多い。関係を断ち切ることが必要だ』と強調。女性に路上売春を働き掛けるホストの取り締まりにも重点を置くとしている」とある通り多面的な取り組みが必要。ホスト側は警察・行政そして立法の出番。

現に被害に遭う女性、脆弱な立場に置かれる女性の保護・救済・支援が不可欠だが、そのような立場に追い込まれることとなった背景・事情へのアプローチがなければ支援にならないし、そのような背景・事情が生じないようにする取り組み、付け込む側に対する取り組み、どれも必要で同時並行でなされるべき。

吉原の殺人事件もそうだけど、もっと買う側、売らせる・買わせる側(業者等)に焦点を当て、立法・法執行の議論はもちろん、その心理や認知・思考・行動のパターン、正当化・合理化のパターンに分け入っていく必要がある。そこは擁護であれ批判であれ途端にステレオタイプ化しがちだから。

案の定、無知・無理解に基づくすり替えが出てきた。記事中の女性が言ってるのは行政窓口に《自ら出向いて》支援を受けることだし漠然とした先入観。警察が女性の心の内を聞き出し背景を的確に把握し適切な先につなぐことも難しい。

警察が支援につなぐ視点を持ち取り組むことは無意味ではないが、懲罰が先に立つことの限界が厳としてある。危険も伴うので警察の関与は必要だが、むしろ民間団体の後方支援の役割であるべき。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?