エコチェンに抗して、支持的な空間、議論・対話が成り立つ空間を広げ厚みを増していくこと

ジェンダー関連のイシューではしばしばあることだが、意見を表明したり誰かへの支持を表明したりするとワッと攻撃される。業務にも支障が出る。それで、議員や研究者含む個人はなかなか表立って物を言えなくなる。裏で「同じ意見だ」「応援してる」等と言われても、「表で言って下さい」とは返せない。

こういうことはSNS以前、ネット普及以前からあったけど、今は晒されたのが広がる速さも攻撃の集中度合いも全然違うし、何より晒すのが本当に簡単。本人の発信など公開情報をポンと攻撃側の文脈に乗せるだけ。そういう連中を止めることは難しいから、支持的な空間の広がりと厚みを増していくしかない。

ここで書いた支持的な空間は、最近よく言う議論・対話が成り立つ空間と重なる。エコチェンにはまるとほんと出られないから、そこから漏れ出てくるおかしな主張を無力化、無効化することと、そっちに引き込まれる人が増えないようにすること。そのために声を上げる人が増え、議論が活性化すること。

前に出て頑張る人もいれば、後ろで、あるいはクローズドなところでひっそりと話す人もいる。ある時は前に出てある時は後ろに下がるでもいい。でも、それぞれは孤立せず、緩くつながっていたり、ハブとなる人を介してつながっていたり。そうやって重層的に空間があって行き来できればいい。

逆に、誹謗中傷に晒されたり、議論・対話を拒みながら主張する者と対峙したりすると、精神的にはもちろん身体ごと不安定な状態に置かれ、傷つけられている感覚になるだろう。「想像的に」と言ってしまえばそうであるが、実際に「言葉は傷つける」。

フワフワ浮いてて足場がない、掴まるところもないのは不安で、一人ぼっちの気がしてすっかり逃げ出すしかなくなったりする。何か支えがあれば、あるいは隠れられる場所が見えていれば、一人じゃないと思える。これは比喩のようでありながら、実際、画面越しでも「身体感覚」として支えを感じられる。

逆に、誹謗中傷に晒されたり、議論・対話を拒みながら主張する者と対峙したりすると、精神的にはもちろん身体ごと不安定な状態に置かれ、傷つけられている感覚になるだろう。「想像的に」と言ってしまえばそうであるが、実際に「言葉は傷つける」。

ネット・SNSはエコーチェンバー、フィルターバブルにはまるリスクがあるのだけど、現実空間ではなかなか出会えない、または見ていても見えていない「他者」に出会える場でもあるんだよね。あるいは、自分の行動範囲ではなかなか見つからない「仲間」に。ここまで書いてきた空間の広がりと厚みの源泉。

一方で、加害者を放置しておくわけにはいかないということで以下の提案。


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