分配、ケア、欲望/欲望の主体、ミソジニー


大谷翔平選手の巨額契約から分配を考える

大谷翔平選手の巨額契約は史上最高額だがサッカーなどを含め「桁外れ」ではなく、米国社会や米国に限らずプロスポーツ界の富の分配のあり様を改めて考えさせるな。税やチャリティー、もちろん消費で支出してもなお多額の資産が残り収益を生み増殖する。

スポーツ選手であれ経営者であれ、「実力」や「収益性」で正当化される報酬であったとしても、その組織内の分配のあり様として正当化しきれるものであるのか、仮に可としても、社会・経済において巨額な資産の偏在が正当あるいは合理的であるのか。例えばピケティの分析、提案とつながる話。

トップのスポーツ選手であれ経営者や専門職であれ、その巨額報酬はもはや「夢がある」という話をはるかに超えた水準。それでもその組織にとっては「合理的」であるし、その額を払って獲得しあるいは引き留めべき競争環境がある。感覚的な話のようでいて、これが成り立つ状況の方が狂っていると思える。

営利事業一般に言えることだが、ますます収益性、生産性に重視されるし、ネオリベ的なメンタリティーだが個人レベルでもそれで測られる「競争力」「価値」がますます重視される。他方で、直接的には収益には貢献しないが不可欠な機能を担う職種、人への分配は相対的に抑えられる。

ケアの価値とジェンダー

そして、介護、保育、家事といった主として女性の無償労働で担われてきたものが市場化された職種の賃金、分配は収益に直結するものでも抑えられたままである。増額されつつあってもまだまだ低い。これは、以上を含め「ケア」を含む労働、職種に顕著だ。「女性的資質」とされてきたものの低評価。

これは、「ケアか正義か」という(疑似対立の)議論と重ねれば、分配的正義においてケアの価値が十分に反映されていない、過小評価されているということになる。「成果」「収益」「効率」等々が重視され測られる時にケアの価値が排除されているということでもある。

これは、再び「日本型福祉社会」の発想で介護や育児を家庭内で女性に担わせることで社会保障支出の増大や人手不足に対応としようと言うかの流れであったり、収入・機会費用の観点からの「合理的な」判断として妻の方が多く家事・育児を担う傾向であったりに再帰的に作用している。

ケアの価値が正当に評価され、同時に女性性との連結が断たれることで、ミクロのレベルでもマクロのレベルでも分配のあり様は変わるし、無償であれ有償であれジェンダーで偏在するケア負担のあり様も変わる。これだけで所得・富の不平等は当然解消しないが、それをもたらす一因である評価軸は変わる。

男性的価値の「合理性」?

一方で、男性性、男性的価値と結びついてきた「交渉力」「根回し力」はたまた「付き合い力」みたいなものは依然として過大評価されている。これらはホモソーシャルで男性標準、男性仕様の組織内、組織間だからこそ通用し重視されるもの。その「合理性」は歴史的、偶然的な産物に過ぎない。

より視野を広げれば、性差別に基礎づけられ内包する秩序、規範、制度、組織、慣行に枠づけられた限りでの合理性でしかないし、そのような男性標準、男性仕様の基準、評価尺度はまだそこかしこにある。これこそ男性の根拠なき、非合理な既得権益なのだが自明視、当然視されて自覚されにくい。

自明化、自然化される男性の欲望、欲望の主体

そうした秩序、規範等の下で生まれ育ち、主体化した男性の欲望も欲望の主体もしばしば自明化、自然化されてしまっている。その欲望が満たされること、そのような欲望の主体として振舞うことは当たり前であって「自由」であると感じられてしまう。「感情」ではなく「論理」の問題にされてしまう。

だから、性暴力、買春、性風俗、性表現等々の問題で、男性は「自由」「論理」の問題だとして「感情的」に反発し、被害者意識を募らせ、正当なものとして攻撃=防衛に走る。その欲望が自明でも自然でもなく、その欲望の主体として振舞うことは歴史的、偶然的な既得権益でしかないことは気づかれない。

厄介なことに、これは当事者としての男性個人の問題としてだけでなく、否それ以上に、男性というカテゴリー、男性という地位への攻撃として受け止められてしまう。それだけ強固に男性というカテゴリー、地位に「想像的」に同一化し、排除されないようにしがみつく形で主体化している。

自省なきミソジニー

以上のことは既にnoteに書いたことと重なるのでここまでにするが、暇空問題、草津町の件への反応含め今のバックラッシュの状況で露なミソジニーを説明するもの。男性が自分の欲望と主体の構築性、その構築のされ方と向き合うことが必須なのだが。

男性が自分と向き合わず他責に向かう、さらには、既得権益性や加害性を否認して外部に投影し被害者意識を持つ、さらには、陰謀論に進む…。ホモソーシャリティ(とは言えコアな想像、妄想以外はバラバラなのだがそれ故にコアな共有部分は凝縮される)がエコーチェンバーで強化されるから厄介。

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