未婚の高齢単独世帯が急増するという推計から考える都市とケア(6月12日追記)
社人研の『日本の世帯数の将来推計(全国推計)』(令和6(2024)年推計)。未婚で近親者のいない高齢単独世帯が急増するという結果。これは、介護以前に見守り、居場所、各種手続きの援助等を含めたケアのニーズが高まることを意味する。そのケアを誰がどう担うか。
この推計が所得階層別や都道府県別でもなされているかは不明だが、非正規雇用等で低年金かつ資産が少ない者の割合が高くなるだろう。そして、未婚の高齢単独世帯が東京など大都市圏でより多くなるだろうと推測できる。かつ、大都市ほど孤立しケアのニーズが高くなることも想定できる。
結局、今の若年層、中年層の抱える問題が将来の高齢単独世帯、未婚の高齢単独世帯の問題としてより深刻化し得るということになる。だから、将来のケアニーズの増大にどう備えるかという観点と、今の若年層、中年層をどう支援して将来の問題の深刻化を防ぐかという観点と両面が必要になる。
このことは急速に老いる都市である東京でこそ深刻化する可能性が高い問題で、介護人材の確保という話では全く収まらない。単独世帯が若年、中年時も高齢になっても安心して暮らせる都市のあり様とはどういうものかが問われる。当然、それは子ども、子育て世帯にとっての暮らしやすさとも連動する。
東京に限らないが、都市の設計(デザイン)というものとその思想を改めて考えなければならない。それはバリアフリーなどのハード面だけではもちろんない。窮屈でなく、管理的、抑圧的でもない暮らしの空間をどう確保、保障するか。支え、つながりを含む重層的なケアの空間をどう築くか。
例えば若年、中年の単独世帯が会社にしかつながりがない、ネットにしか居場所(あるいは居場所のようなもの)がない場合、今はそれでもどうにかなるかもしれない。しかし、年齢を重ね老いていくに従い、それだけでは暮らしの質も安全、安心も保てなくなってくる。リアルなケアのニーズが増えてくる。
問題が深刻になってからケアのニーズが気付かれるのでは遅い。日常的なケア関係が何らかの形で保たれていれば、年齢、身体状態等の変化に応じたケアの提供を受けられるし、急激な悪化といった事態も回避しやすい。監視的、管理的、抑圧的でない仕方でケア体制をどう整えられるか。
それは行政だけではできないし、市場原理と自助に委ねる訳にもいかない。地域共同体を人工的に再興するのでは抑圧的、排除的なことになってしまう。同時に、そこには交通、公共施設、店舗、住宅などの物的な配置も大きく関わってくる。IT・デジタル・AI等の技術の実装もそれだけで解決策にはならない。
昨日だったか書いた通り、狭義のケアワーカー、ケア事業者だけでなく、様々な職種、業種にケアの機能、側面が組み込まれていくことも必須となろう。そういう機能が円滑に果たされるための制度的条件、物的条件の見直しや整備も必要になろう。
東京の都市としての利便性や「魅力」を高め、産業や人口の吸収力を維持あるいは向上させるというあり方が果たして以上述べてきたような課題に応えられるものなのか、むしろ破局的な状況、荒廃した状況を招くのではないかと、考えるほどに心配になる。都知事選にはこのような視点が欠かせないと思う。
以上の話に関連して、女性の低年金の問題はますます深刻になる。
「第9回高齢者の生活と意識に関する国際比較調査」と「孤独・孤立の実態把握に関する全国調査(令和5年人々のつながりに関する基礎調査)」、そして、未婚の高齢単独世帯が急増するという推計を重ね合わせると、どう孤立を防ぎケアを提供するかという課題が見える。
「孤独」は必ずしも否定的な意味だけではなく、積極的に選び取る孤独、積極的に回避しようと思わない孤独もある。むしろ、「つながり」「絆」の強制が苦痛となることも少なくなく、「孤独である自由」を求める人もいる。もちろん、強いられた孤独、不本意な孤独は危険につながる。
「孤立」も積極的に選び取る場合もあるが、それによって、特に身体的なケアの可能性が遮断されてしまうのであればリスクを孕む。また、状態として孤立していて本人もそれが苦痛でなくとも、いざとなれば助けを求められる、あるいは外部から異変を察知できるのかどうかは大きな分れ目となる。
孤独状態だが孤独感はない、一見孤立しているが孤独感はなくいつでも外部とのつながり又は回路を回復できる、それなら無理やり引き出す必要はない。問題は孤立し孤独感がある又は孤独感を否認している、一見孤独・孤立の状態にはないが孤独感を抱えている場合。危機の際にこそ外部と遮断される。
差別・排除によって孤立を強いられる場合、自己排除的に孤立する場合、社会参加等していても有意味なつながりがないまま徐々に又は突然孤立状態に至る場合。それぞれに防止策も対応策も、リスク要因も異なるが、従来自明視、前提視されていた地域社会も結婚・家族もセーフティネットではない。
地域社会も結婚・家族も抑圧性を孕み、傷つけるもの、排除するものたり得るから、規範的に又は憧憬的に回帰、復活を求めるのは誤りだ。他方で、物質性、身体性を欠いた(ある種の身体感覚をもたらすとは言え)仮想空間だけに頼ることもできない。物質性、身体性とのリンク、回路は欠かせない。
経済的に厳しい時期に当たり、職業上も生活上も困難を経験し又は経験している人が少なくない今の中年層は、同時にネット・SNSに逃避しあるいは没入することもできてしまった世代でもある。この層が高齢者になっていく向こう10年、20年で一気に危機が顕在化するかもしれないという感覚がある。
このことは特に都市で、殊に東京で大きな問題となるのではないか。もちろん、こう言ったからといって、今の若年層を取り巻く状況がましということには到底ならないし、今の中年層よりもっとひどい状態に至りかねないという危機感も欠かせない。