2024年東京都知事選の振り返り


全体の構図

自公はステルスで組織票を固め、小池知事は演説が極端に少なく公務露出も限定的。横並びで他候補の動向もネット記事以外で報じられづらかった。蓮舫さんは「2位発言」が相変わらずミスリードされてネタにされ、「批判ばかり」「怖い」のイメージが振りまかれた。消去法で小池に票が止まった。

同時に、石丸伸二候補は「若さ」「清新」「アウトサイダー」のイメージで小池に入れたくない層の票が流れたように見える。噛み合った政策論争がない中で、消極的にイメージで票が動いたのが主だったように思う。

小池圧勝の中で石丸が急伸したのは、12年総選挙の維新を思い起こさせる。実際、戦略も政策も似ている。一方、イメージを付けられた蓮舫さんがグッと落ちてしまったようであるのは当時の民主党と似かよう面がある。

蓮舫さんの「敗因」

立憲が選挙の結果を出せないと「共産と組んだせい」という声が上がるが、それを言うのは端から入れるつもりがなく共闘を恐れる側か、党内や連合の共産嫌いかで、結論ありきで、数字も都合よくこねくり回す。むしろ、フラフラするから無党派層を獲りに行けないことが多い。

「蓮舫支持、立憲支持ではないけど小池に勝つには蓮舫さんしかない」、「まさか蓮舫さんを推すことになるとは」という声もよく見かけた。ただ、「小池はどうかと思うけど、蓮舫は」との声も目立ち、それは作られたイメージに引っ張られていたし、そこにアンチ蓮舫・立憲・リベラルの印象操作も効いた。

その層に「共産が推す蓮舫」プロパガンダが効いた可能性はあり、そのことを含め、蓮舫さんに貼りつけられたイメージを覆す戦略、戦術が薄かった面はあろう。今回石丸が強かったTikTok、YouTube等のネット戦略や同様に石丸が数をこなした街宣、一方小池はマイナスを作らない守りの選挙。

蓮舫さんの公約・政策、メッセージが伝わった層では元々の政党支持を問わずに共感が広がりコミットメントを獲得できた。Xとリアルではその相乗効果があったが、その連鎖がTikTok、YouTube、インスタといったところまでは広がらなかったように見える(私はそっちは見ていないのでデータはないが)。

そして、これも繰り返すが、確認団体ビラ配布、スタンディングはあったが、街宣やミニ集会で蓮舫さんや同僚議員がリアルに言葉、姿を伝える機会は少なかった。夕方の駅頭やフェス状のイベントは盛り上がったしXではそれが広がってリアルの行動につながったが、直接のリアルの場はやはり限られた。

「2位じゃダメなんですか」「批判だけ」「攻撃的」「エリート/ネオリベ」など不当に貼りつけられメディアを介して定着した蓮舫さんのイメージが最大の障壁で、それを覆しきれなかったことが「敗因」。そのための個別の手法、経路の選択ミスがあったと思う。

ネットからリアルにつながり、相互作用を生んだスタンディングの広がりは大きな希望だった。直接対話で蓮舫さんに付けられたイメージを拭うことができた様子が見られるが、それでも票の流出を抑えきれなかったということになるのだろうか。

とは言え、スタンディングが自然発生的に広まり加速したことは大きな動きだった。それ故に勢いを得るまでに時間を要したとも言えるし、作為的な仕掛けでなかったために広がったとも言える。ただ、こういうコミットメントがあると実感できた意味は大きいと思う。

蓮舫さんのメッセージはよかったし、具体的だった。これも結果論だが、公約をもう少し早く打ち出した方がよかったのかもしれない。メッセージへの共感がスタンディングを突き動かしたところが大きいことを思えば。

選対としては戦略、戦術含め多面的な分析、総括をして、今後への具体的な課題提示と提案をお願いしたいが、蓮舫さんの政策・メッセージ、そしてスタンディング等の個人レベルの広がりは素晴らしかったし希望。ただし、そこで話を終わらせてはならない。

今回の蓮舫さんの公約、政策、視点は小池都政チェックの重要な参照点になる。そこはまず蓮舫さんの出馬、戦いをちゃんと生かさないとならない。

相変わらずの「共産アレルギー」神話

共産が支援したことのマイナスとして挙げられているのが「都民の"共産アレルギー"を刺激した」という得体も根拠も知れない常套句と「連合の十分な支援が望めなかった」というこれまた常套句。連合は元々小池支持でそのグリップはともかく、特に民間労組は蓮舫で動かない。

むしろ、共産系だけでなく広範な組織・団体と影響力ある個人の協力が見込めたのを十分に生かしきれたのかということの方が問題で、そういう組織・団体は記事中の連合/民間労組のように「共産への拒否反応」は示さない。

世代差はあるにせよ、一般有権者レベルで「共産アレルギー」が選挙結果に関わるほど広くあるということはない。少なくとも、今回の蓮舫さんや他の選挙で立憲がリーチできる層が逃げるということはない。むしろ、「共産アレルギー」で票が減るという「神話」が陣営、支持者の士気に影響を与える。

記事にもある通り、告示前から「共産がやりすぎ」「目立ちすぎ」という声はあったし、アンチ蓮舫・立憲・リベラル側がそれを喧伝していたが、そんなのが影響を与えるのは元々蓮舫さんに入れる余地のなかった層。右往左往せず、「共産が固める以外のところをどう押さえるか」で考えればよかっただけ。

「今回ばかりは蓮舫さんを推す」「立憲と組む」という組織・団体や個人はかなりいた訳だし、これまでの「野党共闘」の選挙でもそうだった。ただ、選挙中や選挙後にそういう人たちの間で立憲への不満が残る様子も繰り返されてきたし、今回もそういう声が出ている。問題は共産云々ではなくこっち。

蓮舫票は確かに石丸伸二候補に流れたが

蓮舫さんの票が8年前の鳥越さんに届かないというのが…。一方、小池知事の票はその8年前とほぼ同じで、がっつり自公票に支えられたことになる。そして、石丸伸二氏は当初の大方の想定の3~4倍ぐらいの得票数になったのではないか。私は元々数十万票の水準で、中盤で急伸が報じられても100万を超えることはないと見ていた。

蓮舫さんが石丸伸二候補に票を奪われたことは確か。ただ、蓮舫+石丸がほぼ小池票と同数な訳で、《小池知事に票が止まり蓮舫さんに回らなかった》ことが大きく、それは《石丸候補に蓮舫票を取られた=小池批判票が石丸候補に回った》ことと表裏一体。ここを見誤らずに分析すべき。

蓮舫さんは《反小池候補》である以上に《小池知事に代わる選択肢》になりきれなかった。蓮舫さんのメッセージそのものは後者として十分なものだったと思うのだが、有権者の受け止めのレベル、イメージのレベルでは浸透しなかった。街頭演説や集会・演説会の数の少なさは一因かもしれない。

ネット上ではポジティブなメッセージの共有、拡散、リアルへの波及という面では相当よかったが、石丸候補が活用したようなTikTok等ショート動画の活用は弱かったのかもしれない。同時に、蓮舫さん自身が石丸候補を批判することはなかったと思うが、一部支持者の石丸叩きはマイナスだった。

一部支持者の小池批判ならぬ小池叩きには嘲笑、侮辱、ミソジニーが鮮明だったものがあり、小池都政への怒りということでは正当化できないものがあったと思う。そういう発信がネガキャンとしてアンチ蓮舫/立憲/共産/リベラルにかなり拡散された。定量把握は困難だが一定のマイナスになっただろう。

TikiTok等ショート動画は石丸候補に関しては偶像づくりの面があったように思えるし、入口、導線としてではなく、そこで完結して石丸票につながった面があったようで、そうだとしたら、なかなか厳しいものがある。一方、蓮舫さんに関してはXでは随分と回った演説切り抜きとかプロモ―ション動画が、TikTokなど他の媒体ではうまくできたのかということはあるだろう。

告示前はろくに街頭に出ておらず告示後急に数を打ちだしたように見えた石丸候補だったが、実は組織、足腰を告示までに作って一気に展開したということだったと考えると、急速な伸びと最終得票数を一定説明できるように思う。

とは言え、石丸伸二氏の戦い方では超巨大小選挙区である都知事選では、殊に今回の選挙では到底当選し得なかったということは重要なポイント。衆院小選挙区や参院複数区ならば可能性はあると思うが。

下馬評を覆した石丸伸二候補の急伸について

今言われている「石丸ヤバい」もSNSではずっと言われていたことで、ただマスコミ等も上位と競る候補とは見ておらず、蓮舫さんの出馬表明でなおさら「小池対蓮舫」と見るようになり、わざわざ取り上げる意味を見出さなかった。一方、妄想の陰謀論が核の暇空の石丸評はエコチェンの外に出なかっただけ。

まあ、この時点で石丸が有力候補たり得ないと見ていたのは見込み違いだったにせよ、小池、蓮舫以外に「主要候補」を数合わせで並べるには肩書のある石丸、田母神あたりだよねというのが大方の認識だったし、とは言えわざわざ取り上げる意味はないという雰囲気だった。

私が告示前に石丸に触れたのは基本的に暇空との絡みにおいてだけで、予定候補としての評価を云々する意味はないと見ていたし、暇空との対談に応じたことで「ダメだこいつ」となった。大方がそうで、忌避感とまでは言わないが、あえて取り上げてどうするよという感じだった。

一定の知名度はあったとは言え、ネットでバズってるだけで、数十万票を超える程の広がりはないと見えたし、告示前は都内街宣もほぼやらず、なおさら広がるようには見えなかった。だから、選挙戦術を事前にそこまで気にしていた記者もそういなかっただろうし、1日10回以上の街頭演説も泥縄に見えた。

全国から5000人のボランティアというのも、思い先行の有象無象に見えたが、実は受け入れ態勢がそれなりに準備されていたのだろう。泥縄に見えた街宣が票につながり、ネット選挙だけでは説明できない票数になったのはそういうことだろう。ただ、当選を狙えるだけの組織・態勢にはなり得なかった。

石丸伸二氏が急伸して2位になったことの衝撃で、石丸氏が到底当選し得なかったことはすっかり無視されている感がある。小池知事とは18ポイント以上(42.8%対24.3%)、130万票近い差があった。蓮舫票と合わせて辛うじて2万票余り上回る。

石丸票のベースラインが前回維新推薦の小野票約60万として、小池票(田母神に15万程度流れたと仮定)から約60万、蓮舫票(前回の宇都宮+山本として)から約20万奪い、投票率増分の約半分の約25万を獲ったような感じになる。もちろん、単純化したざっくり計算に過ぎないが。

ちなみに、小野票以外が蓮舫さんに回ったとしたら約230万票で、小野票から一定割合が回り得たと仮定すると、蓮舫さんの出馬判断を後押しした調査で小池氏と勝負になるとされた数字が出たということと重なるのではないか。

いずれにせよ、石丸票がどこから来たか、それがどうしてかということと、石丸氏の戦略・手法とを重ね合わせて丁寧に分析することが必要。今はまだ衝撃が勝って、パッと説明がつきそうなデータにそれぞれ飛びついている感があると思う。

石丸批判から考える選挙運動手法:イメージのコントロール

一部の石丸伸二批判が暇空の垂れ流してきた陰謀論に近づいてきているのは危ない。先に立候補準備をし表明をしたのは石丸であって「蓮舫潰し」に担がれた訳ではないし、小池批判票を散らすためというのも後付けでしかない。ただ、昨日書いたが、2012年総選挙の維新と重なるところはある。

そもそも、選挙結果が出てすぐに石丸伸二氏が焦点になるのは小池知事や自公にとって好都合なこと。2012年の維新のように政権交代をアシストし衆院に勢力を築いたのとは事情が異なる。都知事選検証のテーマではあるし、善戦した候補者で片付けるのは誤りだが、今のトップ事項ではない。

石丸や後援者に本気で都知事を狙うつもりがあったのか、実績を作って国政への足掛かりとする算段だったのかはわからない。後者だとしても、少なくとも蓮舫さんの「敗因」に挙げられるものではない。石丸に票を奪われていなくても蓮舫さんは勝てなかった。

ここへきて石丸の「実像」とされるものが云々されるのは、将来の国政選挙に向かっては意味があるが、小池三選をアシストしたものとして論じることはできないし、手法の批判が批判に止まっては意味がない。TikTok等のショート動画の内容が欺瞞だったとしても、なぜそれが有効だったのかを分析すべき。

今回の都知事選で言えば、小池知事はうまくイメージをコントロールすることに成功し、蓮舫さんは貼りつけられたネガティブなイメージを振り払いきれず、石丸は特に若年層にイメージを浸透させられた。蓮舫さんは政策、メッセージが共感を集めたが、それでネガティブ・イメージを上書きしきれなかった。

選挙期間中にテレビ、新聞にポジティブなイメージにつながる報道は期待できない。公平性の観点から匿名か各候補横並びになることが大きい(今回は小池知事が露出を抑えたことで更に機会が減った)。かつ、若い世代ほど蓮舫さんが小池、石丸に負けたことはネット戦略に足りない部分があったことを示唆。

伝われば共感を集めた蓮舫さんの政策、メッセージが伝わらなかった層ではネガティブなイメージが上書きされなかった。だから消極的小池支持票に止まるか、石丸のイメージ戦略が効くかした。蓮舫さんのメッセージはショート動画や画像に魅力的に落とし込めたし、実際Xでは回りリアルの行動を駆動した。

ただ、ネット全体としては石丸の方がイメージ浸透で凌駕した。それは石丸のイメージ戦略に欺瞞があるとか、「実像」が広まらなかったというよりははるかに蓮舫さんのイメージの浸透度が上回れなかったということだし、それができていれば消極的小池支持層を引きはがせただろう。

一部蓮舫支持者は小池批判・落選運動以上のネガキャン(=嘲笑、侮辱、ミソジニー)に勤しんだが、蓮舫さんのポジティブ・イメージが届いていない層では蓮舫さんのネガティブ・イメージを強めてしまったのではないか。石丸叩きについてもそうだ。小池批判にしても「蓮舫上げ」とセットの方がよかった。

蓮舫さんにはミソジニーやアンチ・リベラルに発するネガティブなイメージが貼りつけられてきた。その不利、不条理さには怒りしかないが、その条件下ではライバルを下げるだけでは票につながらないのも現実。本人や支持議員らの街頭演説やX発信ではそこをうまくできたと思うが、他に課題があった。

ネットとは別のことで言えば、蓮舫さんは年齢層が上がるほど支持率が上がったが、消極的小池支持層を引きはがしきれなかったし、そこにはやはり蓮舫さんへのネガティブイメージの影響が強かった。その意味で街宣を夕方の主要駅頭に限らず、朝から細かく回ることが当初から必要だったのではないか。

あるいは、本人が出る出ないに関わらず、地元議員等が主導するミニ集会など(個人演説会)をもっとやってもよかったのではないか。蓮舫さんやよく知る議員らが生で語りかけることの強さは街頭演説で実証されただけに惜しい。

以上、蓮舫さんが晒されてきたミソジニー、敵意が基底にあることが本当に酷いことであるのだが、それにもっと対抗し得た方法というのは、石丸の手法を分析することで得られるのかもしれないと思うし、蓮舫さんだけでなく、今後も「立憲共産党」といった悪意に晒される議員、候補者にとっても同様だ。

知事選は17日間と長く、機会があるので、テレビや新聞で(あるいは合同で)候補者討論会を中盤や終盤でやるということがやはり必要だと思った。

メディアを介したイメージの固定化

蓮舫さんの「2位」発言のミスリード然り「攻撃的」イメージ然りちょっと前のことがいつまでも引きずられるのにはお笑いの影響も少なからずあるよな。漫画とかアニメもそうだが、中堅・ベテラン芸人は政治・政治家ネタも10年、20年、30年前の話をいつまでもネタやトークで持ち出すから。

芸人がネタにする政治家は女性ばかりではないけど、議員比率からすればずっと多い印象。権力批判ではなくデフォルメ、戯画化しやすい、ワイドショーネタになった政治家、言動が使われるし、昔の話題がいつまでも使われる。漫画、アニメの話題もそうだが、若者はキョトン。でもイメージが刷り込まれる。

リアルタイムで知っている中高年層も、繰り返しネタにされるとそれでイメージが固まってしまう。今回ワイドショーなんかでコメンテーターなどが同様の蓮舫さんのイメージを繰り返したが地続き。10年以上前のことで何となく覚えているという若者もそれで何となく刷り込まれてきたイメージのまま。

芸人にしてもコメンテーターにしても、前から定着してきたイメージを繰り返す、乗っかる方が安全だし、笑いや共感を得やすいんだよね。芸能人もそうだけど、政治家は一度つけられてしまった「お茶の間」のイメージはなかなか変えられない。

その辺がうまいのが小池知事で、SNSでは朝鮮人虐殺犠牲者追悼文やプロジェクションマッピングとか個別問題の批判、追及がされても、一般メディアで目立ち印象に残るのはコロナ禍で国と渡り合った姿だったり、少し前ならクールビズであったり。選挙中メディア露出が抑えられて上書きされなかった。

Rシールについて

Rシールを貼っておらず指示も煽動もしていない蓮舫さん・選対・支持者に剥がしに行けってのは見当違いだし、誰かが剥がして回るのは自由だけどそれを殊更に発信する必要もない。ただ、抗議、攪乱として街中にノイズ、違和感を発生させる手法が候補者応援の意味合いに転用されたのは乱暴だとは思う。

他国で起こるように、候補者や政党が失格させられて選挙に出られない場合、その中で認められた野党候補者を応援することは、不公正な選挙、抑圧的な政府への抗議でもあり応援に危険が伴う。その時にゲリラ的に、符丁的にシールを貼って回るといったこととは、今回は違う。

もちろん、"R"だけのシール貼付は公選法とは無関係の表現活動であって、そのメッセージを政治的と解するかは受け手に委ねられている。残るはその表現活動と法令との関係だけであり街中に無数に貼られている他のシール、ビラの類と別様に法令を適用、執行する理由があるかだと形式的には言える。

ただ、Rシールが政治的なバッシングを、しかも当の蓮舫さんへを含めて惹起し、また蓮舫さんや支持者に対する印象操作の材料とされていることが「表現戦略」として上手かったのかという問題もある。その意味で上に書いた「転用」はどうだったのかと思うし、Rシールの「効果」とは何だったのかとは思う。

Rシール、小池演説時の抗議、SNS上での小池知事への揶揄・からかい……強者・権力者への抗議、抵抗、攪乱としてノイズを発生させ、同調者を増やすことはいいし表現活動。しかし、ミソジニー、差別、人格攻撃が入っては正当化できないし、蓮舫支持・応援と紐づくことの負の影響を考えるべきだった。

「共産と組んだことで票が逃げた」が神話であるのと同様に、蓮舫支持者の乱暴な言動で票が減ったとは思わない。ただ、それは基本的に内輪ノリなので票を増やす効果はなかっただろうし、もしかしたら「自分がSNSで積極的に蓮舫支持を訴えるのはやめよう」とすくんでしまった人はいるかもしれない。

結局さ、「蓮舫陣営はこうだ」「蓮舫支持者はこうだ」って印象操作に使われることは目に見えていた訳だし、手練れの活動家ならなおさらわかってたよね。小池都政への抗議・抵抗や小池落選運動としてなら、抵抗として出た候補への支援としてなら上手かったことも、蓮舫さんと紐づくと負でしかない。

いつも考え違いをされているのだけど、対抗馬の当選、代替案の実現を目指す時と、抗議・抵抗・攪乱を可視化しよう、広げようという時と、あるいは相手を議論・対話に応じざるを得ないように追い込もうとする時とではノイズを発生させるにしてもやり方は変えなければならない。一緒くたにしてはダメ。

NGOが政府との対話をしたりロビイングをしたりするのも「生ぬるい」と随分と言われたのよ、90年代でもまだまだ。政府の側も付き合い方がわからずかなり属人的だった。今でも対話・協議なのか批判・抗議なのかで路線対立が生じることはある。要は獲得目標が何かでアプローチ、手法は変えなきゃならん。

候補者としての結果は無意味だった暇空

暇空の11万票は選挙結果としては何の意味もなく、安定して1割弱を占めるネトウヨ・極端層の票の配分の問題に過ぎなかった。ただ、他の差別者、ミソジニスト含めその1割弱(絶対得票率では5%程度)の支持、同調しか得ない者らの言動が暇空問題含め深刻な実害を発生させるということがずっと続いている。

候補者としての暇空は問題ではなかった。《既に甚大な被害、犠牲が生じている》中で選挙運動を利用して加害行為を継続し、エスカレートさせたこと、煽動が不測の事態を招き得たことに対して選挙期間中だからと引いてはならなかったし、危険の高まりを座視してはならなかった。


暇空は7月6日時点でも1万未満の可能性が高いと見ていて、でも、もしかしたら5万ぐらいまではあり得るかもとは思っていたぐらい。獲れて数万票で、それで無名候補としては大成功という当初からの見立ての上限にはなりそうかと開票前半では見ていた。さすがに10万超え(11万票)は最後まで全く予測できなかった。選挙的には何も意味はないが、暇空に票を投じることを疑問に思わない者の絶対数としては絶望感がある。

期日前「5位」と言っても、1~2%で田母神と競ってるってのはそういうことよ。ネットの極端な層以外への浸透が全くない。当日の得票率はグッと落ちる。

暇空のゴールポストがあっさり動いて、「小池知事と一騎打ちになった」なんて言っても思ってもなかったかにストーリーが上書きされている。得票率1.6%、11万票で「大健闘」モードに暇空も同調者もなっていて、妄想ってすごいなと思うが、不測の事態は当面回避されたようには見える。

仮にリアルの選挙運動をしていようが、顔を出していようが暇空票に上積みがあったとは到底考えられず、ネットに閉じこもっていたからこそ「夢」を見ていられたんだろうね。そもそもリアルの選挙運動をまともにできたとも思えんが。

とは言え、最初から言っている通り、暇空は候補者の立場と選挙運動を悪用して陰謀論、デマ、誹謗中傷をエスカレートさせていたわけで、その加害責任はさらに重くなった。「調査員」ら同調者も同じ。Colabo判決を待たずに事態が動くかもしれない。


ざっくり構造を捉えると、ネトウヨ票を奪い合う一角に暇空が加わっただけということ。小池・蓮舫・石丸から流れたとか、掘り起こしたということではない。また、暇空が石丸伸二の票を削ったなんてことは全くない。残ったのは名誉毀損罪と公選法虚偽事項公表罪に該当する発信を大量に行ったという事実のみ。

主要政党が推薦・支持等する候補の累積得票率が約92%(16年、投票率ほぼ同じ)、約94%(20年、投票率約5%低い)で、今回は田母神、安野までで約94%。田母神票がネトウヨ票と自民支持層の票と考えると、得票構造は9割強の主要政党支持層+無党派層と1割弱のネトウヨ等極端層でこの3回は安定。

暇空の11万票は、エコチェンの外に広がらずリアルへの影響力も全くない中で、ネトウヨ票の配分に与ることができただけ。それを健闘だとか不満の現れだとか評する「識者」らもいるのは呆れるばかり。昨晩書いた通り、投票の1割弱のネトウヨ・極端層の存在は安定している(それはそれで問題だが)。

暇空問題の拡大に寄与した保守派、ネトウヨがどんどん見切りをつけてフェードアウトしていたのが、暇空出馬で利用価値を見出し回帰してきたということが、数千票というベースライン、せいぜい数万票という見立てを超えて11万票に達した大きな要因だろう。

ここは、保守派・ネトウヨのフィルターバブルのフィルターが暇空を遮断していなかったということ。出馬前から再び暇空への言及、接近を見せる保守派・ネトウヨ系の論者らの動きがあり、少し前にも指摘していた。暇空を拘束・隔離し完全に止めないと、ここも遮断できないということ。

様々な動機、思惑を持つプレーヤーがアドホックにつながっているということは去年3月から指摘しているが、暇空がそのハブになり求心力と遠心力の波があるものの、ちょっと離れても完全には切れない保守派・ネトウヨ層がまだまだいるということ。重なり合うエコチェンの外には全く広がらなくなったが。

思想、主張としてエコチェンの外に広がらなくなって久しい一方で、現実の被害、犠牲をもたらす経路は開いたままというのが深刻な問題で、かつ正常化と被害回復の緒にもつけないのが現状。まずは暇空らを止めないとならないというのはそのため。


都知事選が終わったので政治・行政とマスコミは暇空らを止めるための行動、報道を。被害、犠牲が大きすぎるしまだまだ続く。選挙運動に乗じた妄想の陰謀論、デマ、誹謗中傷のエスカレートで害悪がさらに顕著になった。傍観、看過は許されない。

客観的には、NHK取材情報漏洩・公開事件、年が明けての書類送検、累次の判決で潮目が変わり、暇空らが悪手を重ねた末の、妄想が昂進しつつ追い詰められた結果の都知事選出馬。その惨敗がさらに誇大妄想、迫害妄想を助長し、加害言動への歯止めを欠き、エコチェンでの信念強化が暴発を招く危険は継続。

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