「性の商品化」とケア(試論的に)

岡野八代『ケアの倫理』を読んでいるところだが、AV・ポルノ、性風俗、売春など性の商品化で考えるとどうなるかとふと思った。

性の商品化では買う側が男性で売る側が女性という場合が圧倒的に多く、まずここに明確な非対称性があるが、これは女性が男性の欲望(性欲、支配欲、権力欲…)を「ケア」している/させられていると言い換えることができる。直接接触ではないAVでも視聴者が興奮するよう慮る=ケアする。

女性は「主婦」的存在と「娼婦」的存在に分割、分断されてきた。「主婦」的存在は母・妻としてケアすることが自明視されてきたが、実は「娼婦」的存在も男性を、その欲望をケアすることが自明視されていたということになる。

そう考えると、AV出演者や性風俗従事女性が自らの仕事へのプライドや主体性について語る時に、しばしば視聴者・ファンや客への「ケア」が強調されていることに気づく。喜んでもらう、楽しんでもらう、もちろん性的満足を得てもらう…ことへの気遣いや工夫。

派遣型性風俗でより顕著かもしれないが、芸人のトークに現れるような客の語りでは、従事者にまさにケアラーとしての役割を期待しているような話が聞かれることがある。あるいは、事件に発展するケースでは、従事者が提供したケアが恋愛感情を喚起するメッセージと受け取られてしまう。

伝統的に「主婦」的存在は性的にも受動的で不活発であることが期待され、というか規範化されていた。ただ、その場合でも夫を「ケア」するということが自明のこととなっていた(しばしば夫の側はそのことに気づきもしないが)。つまり、外面的な違いはあれ「主婦」も「娼婦」もケアするのだ。

そうすると、「主婦」的存在と「娼婦」的存在の分断は男性や国が女性を管理、支配する方策であった訳だが、その大きな意味、利益として、別様な形で女性に「ケア」を提供させるということがあったと言えるだろう。歴史的な視点と今日的な視点の両方でまだ深めるべきことがあるかもしれない。

同時に、業者が女性を暴力的に支配することもあるが、今日はますます女性に「疑似ケア」を提供し、仲間・共同体意識あるいは家族意識を醸成するようになっていることも注目点だと思う。「ケア」はAV業界であれ性風俗業界であれスタッフなどの語りにやはりよく出てくる要素である。

以上は、「ケアの倫理」というテーマの掘り下げとはちょっと違う方向だが、女性にケア役割へのプライドを持たせ、あるいは内面化、自明化させて、そのケアを利用する――その構造を家庭内にも「性の商品化」の現場にも共通するものとして剔出することでつながってくるかもしれない。

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