「対話」の欺瞞について

言葉が通じない、予め理解を拒絶している暇空らは名宛人にはならないが、デマ、有害な発信を余分な材料を与えずにどう打ち消すか、アンチ暇空サイドにどう伝えるかが主眼なのよね。ずっと繰り返しているけど。当事者は発信できないし、センシティブな情報は出せない。そのギリギリの見極めをしている。

私のことが言われているのであればで念のため。遊びでもマウント合戦でもないし、評論家でも有識者でもない。被害に遭っている各団体等と一緒に動いている立場で可能な発信をしている。アンチ暇空サイドでおかしな憶測が膨らむことがままあるから発信せざるを得ない場合もあることは付け加えておく。


自分の土俵に乗れ、自分の問題設定を受け入れろを前提条件にするのは「対話」じゃないからね。そうやって対話を予め阻害、拒絶しておいて、相手が「対話」を拒んだと言う。しかも、しばしばそうやって前提条件にしている自覚すらなく、その認知の歪みを認めようとしない。どうやって議論、対話できる?

無知ベースの妄想で際限なくいちゃもんをつけ説明を求めてくることに対して答える/応える義務はなくて、これは説明責任の問題ではない。説明責任の問題だという前提を争うことを拒む者との対話は成り立ちえないし、対話を阻害しているのはその者の側。

しかも「妄想であること」「いちゃもんであること」の証明まで求めてくるからね。自分は「妄想でないこと」「いちゃもんでないこと」の立証はせず、せいぜいトートロジーか論点すり替えでしか主張できないのに。

表自の言う「議論」「対話」も彼らの問題・論点設定、ストーリーを受け入れるのが前提。

「その前提が違うのではないか?」という指摘はスルーするか、指摘の中身に触れず「誰が言っているか」「その人の背景(と彼らが考えるもの)は何か」に話をすり替えて発言者の信用を貶める形を取る。都合のいい「仮想敵」の姿に嵌め込むのが常套手段。

もうね、何十年とこの構図でフェミニストやフェミニストに親和的な立場の人は悪魔化、戯画化されてきたからね。で、これを言うと、「悪魔化、戯画化しているのはフェミニストの方だ」と言って、典型的ではない主張を引っ張ってきたり、文脈をすり替えて発言切り取ってきたりする。

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