誰が共同親権を必要とし、誰を利するのか、誰の武器になるのか

共同親権は「共同」という名称に反して、片面的な支配の手段となる危険性を孕み、支配を継続したい者こそ共同親権を求める。

現状、何らかの「選択的」共同親権が導入されるのではという懸念があり、もう一方ではフルスペックの共同親権を強硬に求める(というか恫喝的ですらある)主張があるのだが、協議離婚の場合の「真摯な合意」からしてちゃんとチェックできるの?という不安が大きい。裁判離婚でも共同親権可としたらさらに問題。共同親権を求める側は「子の利益」を前面に出してくるし、裁判所もまだ家族幻想・規範が根強いからDV・虐待の見逃し、過小評価が起きている。

一部学者などは「ひどい事例は除かれる」と楽観的に信じているが、面会交流等の運用を見れば幻想。DV加害者はよき夫・父を演じることができ加害者でないと本気で信じている場合も多い。それでも男女観、夫婦・家族観やDV主張への反論等に加害者性が現れるのだが、家裁側も価値観・規範を共有していたりして異状を見逃すことがある。

「子の利益」という原則が、「両親揃ってこそ」「ひどい親でも子にとって親は親」のような根拠なき情緒論で誤って解釈、適用され、一人では生きられない子どものアンビバレントな親への愛着や揺れる言動、感情がそのフィルターでむしろ「親の利益」に都合よく解釈される。家裁、専門家ですらそう。

例えば、わずか一言、二言の「お父さんに会いたい」「お父さんが好き」のような言葉が取り出されてしまうが、子どもの言葉の全体、行動、態度、身体の反応などでは判断されず、それらの随所に現れるサインも気づかれない、無視される。小さい子どもでもそんな様子に諦めや無力感を覚えることがある。

一方で、子どものことは冷静に話せるとかならガチガチに書面にしなくても問題なく運び得るし、不安・不信があるなら書面で合意を交わせばいいし、そのための民法766条。そもそも実親子関係も扶養義務も消滅することはない。そして、親権は子のために行使する権限の所在。第三者に対する権利的側面はあるが、子への権利ではない。

共同親権は子のことに関して一方親の他方親への拒否権付与になり、重要事項が決定できない等不安定化するリスクが高い。不安定化で子に不利益が及ぶことを避けるため同居親が別居親に従属するなど離婚前のDV等の継続にもなり得る。DV事案でも面会交流を通してしまう現状の家裁では危険過ぎる。

共同決定する重要事項を取り決めたとしても、その事項に当たるかを巡って一々別居親から要求がなされ同居親が疲弊し、従わざるを得なくなるような事態も懸念される。現状でも、養育費を盾にとって要求を通そうとしたりお金の使い方などを巡って叱責したりということが起こっている。

DV・虐待など高葛藤事案での共同親権は、別居親による同居親と子への支配、DV・虐待状況の継続になり有害、危険。DV・虐待への意識・認識、知識・スキルが不足し、家族規範や性別役割分業意識も残る家裁が属人的ではなく適切な対応ができるようにするためのプロジェクトが最優先で、たぶん5年10年かかる話。

面会交流にしても子に係る重要事項決定のあり方にしても766条に基づき適切に取り決めることで足り、親権の所在の問題ではない。むしろ子の利益のために適時に迅速に決定すべき時の責任の所在を明確化するためには単独親権が安定的であるし、別居親の不当な介入から子の利益を守るためにも不可欠。

単独親権で虐待を防げず、共同親権なら防げるということもない。不適切な親権行使には停止・喪失の制度があるし、そもそもシングルマザーやそのパートナー/継親による虐待は親権の所在の問題ではなく、行政等の支援や福祉などの問題。数々の事件の特徴は孤立であるし、元夫の存在はむしろ全く見えないことがほとんどで、離婚原因がDVの場合も少なくない(あるいは婚姻していなかった、当初より父親は責任放棄していた等も)。

離婚したシングルマザーやその再婚家庭に係る悲惨な虐待事件の背景には、離婚前のDV被害があったり、元夫が養育費を払わない、一切関わらないといった事情があったりする。共同親権だったら防げていたということはあり得ないし、共同親権ならば別の形で悲惨な事態となっていたかもしれない。

なお、シンママ憎しからの仮想で、共同親権なら父親が早く虐待を察知できる、介入できるということがよく言われるが、それが可能だということはそれだけの密度で母子を監視・管理することになるのだが…。それにしたところで、面会交流や報告・連絡の話であって親権の所在とは無関係。

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