極右ポピュリズム政党化しつつある自民党―—「誰が総裁になっても」感

岸田政権3年というのがピンとこないが、悪い方向への実績を数え上げてみるとなるほど3年か、というより詰め込んだなと思う。そして、保守派・ネトウヨがはしゃいでるからね。そういうこと含め、総裁選の争点設定が偏る予感しかない。「石丸ショック」が変に増幅されて持ち込まれているのも危うい。

自民党が(ますます)極右ポピュリズム政党化していくように思える。安倍政権でも、極右的な部分は決定的な失点とならず、理念・思想的なウイングの広さではなく、受益(と見えるもの)のウイングの広さ、要は財政の私物化と批判されたやり方で「相対的」「消極的」支持を(矛盾的な言い方だけど)「固めた」。

岸田政権もそれを踏襲しながら、軸をスルっと右にズラしてきた。経済安保含む安保然り(この「含む」というところが肝)、エネルギー・原発然り、外国人を「活用」しながら排除的な仕組みを強化するやり方然り。一方、ジェンダー、LGBTQ+の分野で政権として顕著な展開があった訳ではなく、右派の不満はあるとは言え性別規範、家族規範にしっかり目配りをしてきた。むしろ、ますます最高裁が焦点化するような状況になってきている。

ナショナリズムと新自由主義の結託というのが特に小泉政権以降鮮明になったのが自民党で、野党時代の右シフトを経て10年代の安倍政権で重心が右ずれしたまま固まった。むしろ、谷垣総裁、岸田総理・総裁というリベラルとされるトップの下で加速した。また、新自由主義的と言っても、単純な市場原理主義ではなく、国民、特に社会的弱者には自助・自己責任を求めつつ、経済界の要求には手厚く応じ、歳出を膨らませている。

ただし、それで言えば、「日本型福祉社会」(これも宏池会・大平総理)という、新自由主義と家族主義・性別役割分業の組み合わせが今に至るまで基調として取り憑いていることは見逃してはならない。95年日経連「新時代の日本的経営」の橋本政権で新自由主義的な「6大改革」が推進され、同じ時期に「慰安婦」・歴史教科書問題等で保守派の動きが強まった先に小泉政権がある(小泉は清和会であるし、靖国参拝等十分保守的だった)。その後継の第1次安倍政権では教育基本法改正等の保守のアジェンダが実行された。

いずれにせよ、もはや自民党は誰が総裁になっても、保守派に気を配らざるを得ないし、ネトウヨを気にせざるを得ない。むしろ、岸田総理は改憲を積極的に唱えた。最初に書いた通り、極右ポピュリズム政党化しつつあるのが自民党であるし、「刷新感」を追求するような今の動きはその流れに棹差すものでしかない。

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