性交同意年齢引き上げの意義と残された課題
性交同意年齢は特定の性道徳・規範の観点ではなく、子どもの身体的・精神的・性的健康を守るためのもの。同意年齢引き上げに対して真摯な恋愛とか子どもの性的自己決定が持ち出されるが、同意・自己決定できる条件は力関係の偏りがないことと知識を持っていること。
法律の一般論として成人の場合は知識が欠けていても、不足していても原則として本人が責任を引き受ける。その原則の修正が成年被後見人等であったり、情報等の非対称性を重視する消費者契約法などであったりする。一方で、未成年者は原則として一律に保護される。財産行為と性行為のような人格に関わるものとは同一に論じられるものではないが、力関係の偏りや知識の欠如・不足に基づく同意、自己決定の責任を子どもに負わせることは正当化されない。もちろん、子どもの発達・成熟には個人差が大きいが、個別的判断ではなく一律に線を引かざるを得ない。
個別的判断としてしまうと救われない被害者が多く発生してしまう恐れがあることはもちろん、立証のために被害者に過大な負担がかかり被害をさらに深めることになってしまう。それ故、少なくとも中学生までは一律に保護することは合理的であるし、年齢差要件を設けることにも一定の理はある。もちろん、その年齢差の範囲であっても他の要件に該当する場合には不同意性交等が成立するが、被害者がそのことを認識できるかはやはり力関係の偏りや知識の有無に左右される。成人して年数が経って被害を認識し事後的に被害が回復できる場合はもちろんあるが、未然防止ができる方が当然良い。
双方が真摯な恋愛であり真摯な同意があると思っている場合は当然あり得るので、それを個別的に判断するとなると双方に過大な負担をかけることになるし犯罪を疑うことが無用な傷をもたらすことになりかねない。だから一律に年齢差要件を設けることはやむを得ないし、予めのわかりやすさも確保できる。
繰り返しになるが、子どもの発達・成熟には個人差が大きいし、接する情報源等により知識差も大きい。個別に見れば同年齢や1歳差でも保護が必要なケースもあれば、5歳差以上であっても真摯な合意の成立が認められるケースもあるだろう。でもそれを個別的判断に委ねることは保護水準を低めてしまう。そうした意味で、中学生と高校生や高1と大学1年・社会人1年目等の一般に大きな差が認められる関係が除外される問題は孕むが、「5歳以上」ではなく「3歳以上」を要件とすることには一定の合理性があり残された課題だ。ただし、不同意性交等の未然防止と事後の認識・救済のために性教育と相談体制の充実が不可欠だ。
ところで、「ブルセラ」「援助交際」以来、子どもの「性的自己決定」は性行為に同意することに偏って論じられる傾向が強いが、性的自己決定には自分の身体的・精神的・性的健康を守るために性行為を選ばない、同意しないことが当然に含まれ、その可能性が確保されないのであれば「自己決定」ではない。
小倉秀夫弁護士は刑法改正案について醜悪なツイを連発するが酷すぎる。そういう時のためにワンストップ支援センター等の相談先があるし学校含め相談があった時の対応の仕方は徹底される必要はあるが、相談したら相手が刑務所送りという飛躍こそ恫喝。そもそもこれが「真摯な交際」という仮定が妄想的。
本当に「真摯な交際」ならば、起訴するか否か、実刑にするか否か等何段階ものチェックポイントがあり刑務所送りは飛躍。そもそも中学生との性行為を伴い、かつ妊娠までさせてしまうようなことが「真摯な交際」だと言えるのか。十分な性知識の伝授・獲得がありリスクを理解し同意という最低条件すら怪しい。「真摯な交際」ならば当然相手を大事にするわけで、中学生が性行為をすることのリスクを十分に理解しているべきだし、避妊・性感染症対策は万全であるべきだし、本当に対等な関係であるのかについて慎重であるべきだし、これらをすべてクリアして性行為に及ぶというのは架空事例に過ぎないだろう。
改正刑法は「中学生が性行為をしてはいけない」という性道徳・規範に基づくものではない。力関係や経験、知識などの非対称性によって中学生の身体的・精神的・性的健康や安全が害されることを防ぎ中学生側の権利利益を守るためのものであって、中学生に(道徳的)義務を課すものではない。改正刑法の年齢差要件を考える前提として、年齢差がどうあれ不同意性交等の要件(176条1項各号又は2項)に該当すれば罪が成立する。そう考えると年齢差をどうするかと1項8号(地位に基づく影響力によって受ける不利益を憂慮させること又はそれを憂慮していること)が狭すぎることは連動する。この点は課題として残った。
少なくとも年齢差は3歳、できれば2歳に改め、「地位に基づく影響力に乗じて」又は「利用して」に改めることが望ましかった。同時に、「社会関係上の地位」に学校、クラブ、バイト等における先輩後輩関係や年齢が近い場合のコーチ、チューター等の指導・助言的関係も含まれることを確認したかった。
年齢差という客観的要件がないと、情状等を判断するために被害者である子どもに証言等の負担が大きくかかる恐れがあることも事実で、3歳又はできれば2歳の年齢差要件を設けることには一定の合理性があるようにも思うけど、5歳差は大きい。 年齢差要件だけでなく、地位利用の狭すぎる要件は見直すべきだし、先輩後輩関係や指導・助言的関係は10代同士でこそ大きな意味を持つのでそれが明確に地位利用の要件に含まれることを確認すべき。 #中学生は守ろう
「中高生男子」の性に対する/についての妄想はいろんなエンタメジャンルでネタになるが、「正確な知識がなく」「歪んで」「膨らんでいる」ことがわかっている、あるいは振り返って笑えるからこそネタになる。少なくとも「妄想はしても実行したらアウト」という合意はある。#中学生は守ろう
#中学生は守ろう に対して「真摯な交際」でも相手は刑務所送り、少年院送りだとか妊娠しても相談できなくなるとか言う者がいるが、「真摯な交際」がマジックワードになっていて、性行為と飛躍して結び付けている。
#中学生は守ろう というのはその相手に責任を課すということ。教育・啓発だけでどうにかするのは残念ながら現在は非現実的。むしろ刑法改正を契機にその抜本的充実を図らないとならない。
#中学生は守ろう を批判、揶揄する者は突然「中高生男子の妄想」の水準で中学生との性行為を想像しているように見えてしまう。それと、十分な性知識に基づく真摯な合意・同意という最低条件とがつながらないし、未成年者にも成人と同じに「愚行権」の結果を引き受けさせようと思ってるよう。
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