タイムトラベルのジレンマ

タイムトラベルが可能だとすると「この私」が特権的な位置を占められるのかという問題が生じる。無限にタイムゾーン又は平行世界が存在する中で「この世界」が特権的であるのか、「この世界」の「この私」は特権的であるのかという問題。まさに映画の観客のような外部の視点が導入されざるを得ない。また、「過去が変わった」場合それ「以降」のすべての世界が同時に変わることになる。その時、過去を変えることを企図したあるいは過去を変えることとなった「この私」の企図あるいは行動は生じ得るのか、過去が変わる原因が過去が変わった瞬間に消滅し結局過去は変わらないということにならないか。

特権的な「この私」の不可能を前提とすると、過去を変えるこの私の企図あるいは行動もまた予定されている、言い換えれば既遂のものであることになる。その過去が「今」であった時のこの私もまた「未来の私」に遭遇し変わった過去を生きることになる。そうなると過去を変える企図又は行動は生じ得ない。この矛盾を解消するために「今この私」が特権的な位置を占めるとすると、変わった過去が「この私」の過去となり、その過去を生きたことになるのはいかなる仕方で可能となるのか。その変わった過去は「この私」の過去たり得ないのではないか。言い換えれば、変わった過去が「今この私」にとっての過去でないからこそ過去を変えようという企図あるいは行動が可能となるのであり、「この私」はその過去の時点で「未来の私」に遭遇しておらず、変わった過去を生きなかったことになる。

結局、時間に対して外部の視点を設定することは仮想/虚構として以外は不可能であり、時間の流れにおける「今この私」は特権的ならざる仕方で特権的であるということになるのではないだろうか。まあタイムトラベルはエンタメとしては楽しいのだが。

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