「スピリチュアル=オカルトチックな嘘、でまかせ、デタラメ」という思い込みの呪縛&盲点

これは「陰謀論=実在しない嘘」と捉えてしまう人が増えたっぽい昨今のトレンドと同じ図式なのかなと捉えています。

たとえば陰謀には、実際に存在するものもあるわけで。
実在する陰謀について、それがどんなものなのか、その陰謀についてどう思うかという「陰謀論」を展開する人は、いるでしょう。そしてその場合にいう陰謀論は、事実そのものの調査結果発表と、そこに基づく考察なわけです。考察の巧拙や妥当性の高低はあるものの、実在する陰謀について事実100%をしっかりなぞって書けていれば事実上の信憑性もまた100%ということになります。

この場合に限っていえば、「陰謀論は嘘ではない」ということになりますよね。少なくとも、そういう場合がありうる、ということです。

にも関わらず、
「陰謀論とは、ありもしない嘘100%を述べたデタラメな意見である」
という定義で「陰謀論」という単語を捉えている人にとっては、すべての(正しいものもあるかもしれない)陰謀論は、その人の脳内で「嘘」というラベルが貼られます。
そして自分自身が貼ったラベルを自分で見て(≒認識して)、すべての陰謀論を嘘と断定して、おそらく「一切、信じない」という意思決定を半ば無自覚にするでしょう。
そして陰謀論と感じる言葉を唱える人間全員に「嘘つき」というラベルを貼り、言い分だけでなく「その人そのもの」を嘘つきと認定して、今後一切、信用しなくなるという評価を下す可能性がないとはいえません。

これとまったく同じ図式で
「スピリチュアル=嘘」
という定義で言葉の意味を決めつける人にとっては、まさに「嘘」をあらわす言葉として「スピリチュアル」を謳うものを認識するし、嘘だと感じた物事を描写する言葉として「スピリチュアル」を使うわけです。
もしそれが事実に則した、まさにそのとおりだったら、賢明な選択といえそうですね。生きていく上で騙される心配がなくなるので。
しかし実際にはどうでしょう。
何をスピリチュアルと捉えるか、なのですが、もともと……(っていつからだよ!って話ですけど)スピリチュアルという単語は「(高い)精神性」を表す言葉として使われていたように思います、ほんの10?20?30?年くらい前には。
あと、蛇足ですが「黒人霊歌」と日本語に訳される音楽のジャンルが英語では「スピリチュアル」です。
「霊歌」の日本語訳だけでよかったんじゃないかと思うんですが、良かれと思って黒人というワードを追加して根づいたということなんでしょうかね。(←ここ、学術的に調べてないので適当です)

言葉をどう認識するかで、それに則したあり方の思考が成立していく。
そして言葉は人格を作り上げる。世界観を形成する。それによって、ある人が生きた人生が「どういうもの」だったかの感慨を定義していくわけです。
ある単語ひとつとっても、どう定義するか、どんな認識でその単語を意味として捉えるかで、思考内容や意見、主義主張、信念、信条、ひいては人格そのものにまで発展の仕方が樹形図ばりに多種多様に変化していくといえそうです。(そうは思いませんか?)

オカルトめいた精神世界の事象を語るジャンルとしての「スピリチュアル」が是なのか否なのかは議論の尽きないところでしょうし、あくまでも
「スピリチュアルなんてものを謳う奴は本物だろうと偽物だろうと信じない!」
というあり方をその人が選択するのも自由ではあります。

ただ、「自分が嘘だと思うもの=スピリチュアル」と頭の中で定義してしまうと、エンガチョ的な穢れ、忌み嫌うものとしてスピリチュアルという概念を避けすぎる偏見を持つことがあるかもしれない(それによってたとえば、宗教に属して信奉している方が常識的であるとされる海外の感覚が理解できず、何かの宗教を信奉している人間はみんなおかしいと極端な思い込みを形成する)し、嘘だと思うものをすべてスピリチュアルと称して退けて視界から追いやるクセをつけてしまうと、未知の分野への挑戦がまったくできなくなる安全第一の人間で終わってしまうリスクもあります。

それでいいならべつにその人の自由でしょうけどね。

でも正直、一個人としては、(特に若い人を見ていると、なのですが)

・絶対に失敗したくない(≒失敗は黒歴史であり100%損失、汚点である)

・無駄なことをしたくない(≒行動した分かそれ以上に確実に成果を得られる『コスパのいい』行動のためだけに時間を使いたい)

にこだわりすぎている感のある人が目立ちます(すいませんBBA感すごくて)。

何も考えずに明らかに成果が出ないことを、改善せずやりつづける昭和〜平成時代の企業あるあるみたいな時代遅れであんまりな有様からはせめて世代的に進歩しよう、という意気込みの現れでもあるのかなと好意的に解釈してみたりもするのですが。

そういう人が、いわゆる「勝ち組(っていわないのかしら、今は)」としてのインフルーエンサーの説く「正解(ふうな言い分)」をこそ唯一、信奉して猿真似していくのが成功の王道!みたいに行動して、

ようするに自分の頭では考えない

のって、それこそインチキで怪しいという意味での「スピリチュアル」なんじゃないかな……と思えてしまったり。

怪しいスピリチュアルを避けようとして、自分にとっての「これぞ怪しいスピリチュアル認定した(仮想)敵」にばかり警戒して、実際そこにいる&ある怪しいスピリチュアルには無自覚・無検知・無対応・無抵抗という。

いやぁ、人ってつくづくスピリチュアルだし、この社会はスピリチュアルで成り立っているんだなぁ、と痛感します。

いわゆるスピリチュアル好きな人々を見て、ではなく。

スピリチュアルなんて怪しいよ、と言っている世間一般の人々を見て。

「宇宙全部が、スピリチュアル!w」


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