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美術・アート・文化系の記事

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実際に訪れた美術展の感想や調べたことなどについて書いた記事をまとめました^ ^
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#アート

マティスと小夜啼鳥のバレエ・リュス 国立新美術館「マティス 自由なフォルム」展後記

東京都港区の国立新美術館で2024年5月27日まで開催中の企画展「マティス 自由なフォルム」に行ってきました! この企画展は後期の切り紙絵を中心とした内容。 絵画や彫刻作品ももちろんですが、大型の壁面装飾や日本初公開の切り紙絵、マティスが実際に使用していた家具やパレット(上に残っている絵の具が色鮮やかで美しい!)、そして彼の集大成となるヴァンスのロザリオ礼拝堂の再現など見どころが多く、とても充実した展示です。 中でも私が特に感動したのは礼拝堂の司祭服でした。 マティスは礼

ミッフィーを生んだディック・ブルーナの魅力 ーミッフィーの誕生日を祝して

6月21日はミッフィーの誕生日。 ミッフィーは1955年、オランダの絵本『ちいさなうさこちゃん』から誕生したので2023年には68歳を迎えます。 ミッフィーファンの方はたくさんいらっしゃると思いますが、何を隠そう私もそのひとり。 というわけで、私も誕生日を祝して、ミッフィーの魅力をご紹介したいと思います…! ミッフィーの作者、ディック・ブルーナは1927年、オランダのユトレヒトに生まれました。 いくつかの出版社に勤務しグラフィック・デザイナーとして仕事をする傍ら、1953

マティスとモデルを務めた女性たち マティス展後期④ ただ「奴隷のように」ポーズに従う

妻が去ってしまってからも、画家として、ひとりの人間として、多くの女性たちに支えられていたマティス。彼女たちにとってマティスはどのような人物だったのでしょうか。 【マティスの妻アメリーについて書いた記事はこちら】 【マティスに関するほかの記事はこちら】 女性たちから見たマティス ー ジャクリーヌ・デュエムとリディア・デレクトルスカヤ 1938年、第二次世界大戦大戦の影が迫る頃、マティスはホテル=レジーナに居を移し、そこにアトリエを構えます。このときマティスは69歳。 の

マティスとモデルを務めた女性たち マティス展後期③ 妻アメリーの苦しみ

現在、上野東京都美術館で大回顧展開催中のマティス。 前回までの記事では、マティス展で印象的だった作品や、光や色、快適さをもとめ鮮やかな作品を生み出していったマティスの生涯について紹介しました。 当初はそれで終わりにしようと思っていたのですが、記事を書くためにいろいろ調べている中で、複数の女性たちがマティスの芸術家としての在り方に重要な役割を果たしていたことが見え、とても興味深くて…。 せっかくなので、助手やモデルを務めたマティスの周囲の女性たちを、2度に分けてご紹介したい

「エドワード・ゴーリーを巡る旅」 展感想 彼の愛したバレエと絵本の紹介も

先日、渋谷区立松濤美術館で行われている展覧会、「エドワード・ゴーリーを巡る旅」に行ってきました! 正直エドワード・ゴーリーについて事前知識はほとんどなく、書店で本を数冊手にとったことがある程度だったのですが…そんな私でもすごく楽しめたので絵本と合わせてご紹介したいと思います。 エドワード・ゴーリー(Edward Gorey)は1925年、アメリカのシカゴで生まれた絵本作家で、細かなタッチを幾つも重ねたモノクロームのペン画とリズムある文章、そしてナンセンスで救いようのない世

光と色をもとめたマティスの生涯 マティス展後記② 色鮮やかなアトリエとロザリオ礼拝堂

北フランスの「灰色の地」で育ち、47歳でようやく自身の桃源郷ともいえる温かく色鮮やかなニースに辿り着いたマティス。戦争にもみまわれた晩年はどのように過ごしたのでしょうか。 晩年のマティス ー 戦争から逃げそこねて もともとあまり体の丈夫でなかったマティスは、1931年から約3年かけて大型パネル作品である『ダンス』を完成させた後、疲労のためか、しばらく寡作の時期が続きます。この後、1937年に入院したマティスは、翌年からホテル=レジーナに居を移し、そこにアトリエを構えました

光と色をもとめたマティスの生涯 マティス展後記① “灰色の地“からニースへ

先日、上野の東京都美術館で開催されているマティス展に行ってきました。 「色彩の魔術師」という異名をもつマティス。 今回のマティス展は大回顧展というだけあって最初期の作品から晩年のロザリオ礼拝堂まで網羅されており、年を追うごとに作品がより大胆で鮮やかになっていく様子がうかがえました。 中でも、1905年に「野獣派」として議論を呼んだフォービスム作品が、第一次世界大戦中の苦しい探究の時代をへて、1920年代に鮮やかな室内画として開花する様が印象的です。 ところで、この華やか