2019年の振り返りと2020年への抱負、的な何か
弁護士2年目が終わり、まもなく3年目に突入しようとしている。
自分は今年の6月ーー弁護士1年6か月目にして最初に入った国内企業法務系事務所(弁護士20名規模)を辞め、アジアのクロスボーダー法務を専門に扱う事務所へ移籍した。前の事務所では個人のクライアントからの一般民事案件が多かったので、扱う案件の内容はガラッと変わった。しかもほとんど英語。ひたすら英文契約書と格闘し、同僚のインド人に送るメールを書くのにも悪戦苦闘する毎日だ。しんどいが、楽しく刺激的な毎日を送っている。
そんな2019年を振り返って、2020年の抱負を考えるにあたって、ひとつの記事に言及するところから始めたい。
ベテラン声優・大塚明夫さんの記事だ。
大塚明夫さんといえばアニメ、ゲーム、洋画と幅広いジャンルで今なお一線で活躍される超一流の声優である。そんな大塚明夫さんが、近年の声優業界に関して、仕事にありつけない声優が数多く存在すること、その原因について舌鋒鋭く指摘している。大変読み応えのある記事なので声優に関心がない人にも一度読んでもらいたい。
さて、上記記事において、以下のような一節がある。
「声優になりたい」。そう思うことは自由です。しかし、「声優になる」ことを「職業の選択」のようには思わないほうがいい。この道を選ぶということは、「医者になる」「パティシエになる」「バンダイの社員になる」なんて道とは根本的に違います。少なくとも、私はそう考えています。よく考えてみてください。この世界には、「声優」という身分を保証するものは何もありません。資格やら免許があるわけでもない。人様に言えるのはせいぜい、「□□という声優プロダクションに所属しています」「××という作品の○○というキャラクターの声を担当しました」くらい。それだって、誰にでも通じる自己紹介にはなりえません。社会的に見れば極めて頼りない、むしろ存在しないに等しい肩書きなのです。
非常に興味深い言辞である。この一節を読んだとき、ぼくはこう思った。
「弁護士」はどうだろう。
当然ながら、弁護士にも弁護士資格があり、社会的に見ても極めて強いプレゼンスのある職業といえるだろう(それこそ医師に比肩するくらいに。実情は、合コンの人気職業ランキングで後塵を拝しているかもしれないけど……)。
だけど、ぼくはこうも思う。
「弁護士」という資格はいったい自分の何を保証してくれるのだろうか?
今年の10月、インド・バンガロールで開催されたTechsparks 2019というスタートアップ・カンファレンスに参加したときの思い出をちょっと振り返りたい。
TechSparksは、インドでは最大級のスタートアップカンファレンスである。Paytm、Ola、Flipkart、inmobiといったユニコーンのCEOも登壇するようなビッグイベントだ。そこでは、スタートアップ、投資家、コンサルタント……様々な立場の人間が、各々のビジネスのためつながりを求めてやってくる。
ぼくも事務所の出張という形でバンガロールに赴き、そのイベントに参加した。参加したからには何か成果をと思い、かたっぱしから名刺交換をした。英会話もままならない状態でひたすらインド人と名刺交換をするのはしんどかった。
名刺交換の時、相手からは必ずこう聞かれる。
What do you do?
お前は何をしている人なのか、ということだ(と解釈している)。
自分としてはこう答えるほかない。「自分は日本の弁護士だ」と。しかし、そこで気づく。ここはインドだ。日本法弁護士の資格なんてここでは役に立たない(ちなみにインドでは外国人が弁護士資格を取ることもできない)。
そんなことは当たり前だ。当たり前なのだけれども、よくよく考えてみると、あることに思い至る。
自分は「弁護士」という資格を持っているという、それだけで何かができる気になったつもりになっていたのではないか。
「弁護士」という資格を取り除いて考えたときに、自分はいったい何ができるのだろう?
日本にいれば日本法弁護士の資格がある。だから日本にいて日本の仕事をするのであればそんなことを気にする必要はない、お前の問いに意味はない。そう言われるかもしれない。
確かにそのとおりかもしれない。だが、本当にそうか?
「弁護士」という資格をいちど取り払ってみて、「いったい自分に何ができるのか?」を問い直すことが必要ではないか。
なぜかというと、弁護士といえどもクライアントにとっては一個の「商品」であり、買い手に対して商品価値を説明し、理解してもらい、お金を出してもらわなければならないからだ。それはどこの国にいようと変わらないはずだ。
登録2年目の若手だから、などと言っている場合ではない。今はパートナーがとってきた仕事があるから、いちいち「自分に何ができるのか」などと考えずとも仕事がある。パートナーが仕事をくれる。
だが、自分で仕事を取ろうと思ったら、「自分が相手に対して何を提供できるのか」はきちんと言語化しなければならない。
上述の記事で、大塚明夫さんが言っていた「声優は、自分で仕事を作れません。」という言葉がとても印象に残っている。弁護士にも似たようなところがあると思う。弁護士の仕事は、正確さを捨象してざっくりと言うと「どこかで誰かが困っているとき」に生まれる類のものだと思っている。そういう意味では仕事を自分自身で作り出せるわけではない(アンビュランスチェイサーというのもそのことを象徴する存在ではないか)。
必要なのは、「どこで誰がどういう風に困っているのか」を見つけ出すこと、「どうしたその困りごとを解決できるのか」というソリューションを提供すること、ではないかと思う。
そんなわけなので、自分はここのところ「自分は何ができるのか」、常に考え続けている。残念ながら「これだ」という答えはないのだけれども、日々模索していくしかない。
What do you do?という問いに対して、きちんと答えられるように在りたいと思う。
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