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責任の構造と情報流通の関係性

こんにちは。
仕事をしていると、"責任"という言葉に触れることが多いので、改めて責任ってなんだろう、ということを考えてみたので残しておこうと思います。

責任は何に紐づくのか?

責任は、人格間のリレーションに紐づくと思う。
責任とは、「責めを負ってなさなければならない任務」のことなので、任務(=タスク)に紐づいているように感じるが、実はタスクに紐づいているのではない。

人格間のリレーションを生じさせる要素は、ビジネスにおいては基本的には契約(ここでいう契約は法的効力を生じさせる物に限らず、依頼に基づく合意など双方が合意したもの、とする)である。

前提を揃えるために、経理業務(それもかなり端折って)で例えてみる。
会社と経理担当者は雇用契約が締結されており、会社の決算業務を誤りなく適切に完遂することを要求し、その対価として報酬が支払われている。このシンプルな1(会社):1(経理担当者)の関係においては、決算の完遂というタスクに責任が紐づいている(ように見える)。

しかし、決算業務は経理担当のみで完遂しない。決算完遂という大きいタスクからタスクを切り出して税理士などの外部リソースに依頼することとなる。このとき、経理担当者と税理士の関係においては、タスクと責任が紐づいている(ように見える)。

仮にタスクに責任が紐づいているとした場合、この、会社 ⇒ 経理担当 ⇒ 税理士とタスクが細分化されていく過程で責任はこのように移動することになる。

税理士が仕訳をミスして決算業務が完遂できなかったとき、経理担当者は会社に対して「税理士がミスったので決算が完遂できませんでした」と説明したら受け入れられるだろうか?答えはNoである。この理論の場合、会社は株主に対しても「税理士がミスったので決算が完遂できませんでした」と説明することになってしまう。

経理に限ったことは全くなく、プロダクトにバグがあってお客様に迷惑をかけてしまったとき、CSの人は「エンジニアがミスったので私は関係ありません」と説明するだろうか?
こんな説明をしている人はいない。どんな職種でも同じである。もし自分がそんな説明を受けたらきっと「この人は無責任だな」と感じるんじゃないだろうか。

実際はこういう構図だと思う。

それぞれのタスクは連動しているが、会社と経理担当者の間にある責任と、経理担当者と税理士の間にある責任は別物である。それぞれが責任を果たすことで決算は完遂する。

仕訳は、経理担当者に対して税理士が責任を負い、会社に対して経理担当者が決算完遂の責任を負う。決算完遂できなかった理由が税理士のミスだったとしても、経理担当者に責任がないなんてことはない。

つまり、「責任」は、タスクの分割に連動して分割されるのではなく、リレーションの増加に伴ってその総和が増加していく性質を持っている。

責任の総和が増加していくと何が起こるか?

1つのタスクに対して責任を負っている人格がたくさんいる組織を知っていますか?
官公庁や大企業がそれである。

官公庁では、大きなタスクに10を超える部署が関わります、そして部署ごとに数人の担当者がいます。それぞれの部署は専門性や保有している情報が異なり、それぞれが自身の役割から責任を果たそうとします。
主導する部署Aが勝手に進めた結果、関連する部署Bの業務に支障が起きてしまったらBはAにこう言う。「なぜ事前に説明しないのか」「今後起きないように振り返りをしろ」「うちの部署を軽視している」「こっちの仕事を理解できてない」。

責任がある以上、気持ちはわからなくもない。こういうことが起きないようにするために、官公庁では「事前の根回し、説明、承認」が行われ、膨大な時間と工数を消費している。

責任の総和が増加した結果起きるこの現象が大企業病の1つである。
逆に小さな組織がスピード感があるのは、責任の総和が小さいことが一因だと思う。

情報の流通性が大企業病を防止する

責任の総和が増えている状態の組織を見てみると、多くの場合それぞれの人格が保有する情報の非対称性が高くなっている。AがBに情報をInputし、Bが判断や示唆をOuputする過程において、Aは「BがOutputのために欲しい情報」がわからないのでBにとって適切なInputが一発でできないし、「どういう思考プロセスを経たOutput」がわからないので、擦り合わせるための労力が必要となる。

組織が大きくなれば役割は細分化されるのは当然であり、責任の総和が増えることからは逃れられないが、責任の総和が増えても大企業病の発症を遅らせる一つの手段が情報の流通性を高めることじゃないだろうか。

情報の透明性やオープンカルチャーは、それ自体がフォーカスされることもあるが、それぞれの会社が考える課題解決の手段としてそれを目指しているんだと思う。

情報の流通性を高めるというのは、単にドキュメントを全部公開しましょう、全部オープンチャンネルで会話しましょう、ということではない。
必要な情報にアクセス可能な状態にあることと、その情報にアクセスしやすいこと、の2つが満たされている状態が情報の流通性が高いということだろう。

そして、流通性の方向性は、上から下/左から右のように一方向ではなく、下から上/右から左/斜め・・・と全方位であることが流通性が高いと言える。
※必要な情報とは何か?は割愛するが、発信側だけでなく受信側の行動も併せて考える必要があると思う。


情報を流通させ、情報の対称性を高めることで、各人格間が持つ責任の丸の重なり部分を大きくすることで組織内の責任の総和を小さくできるか、小さな状態を長く維持できるか、が組織において大切なのかもしれない。

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