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爆血!ネタバレ1200%『鬼滅の刃』を最終話まで読んだ感想〜義勇さんについて②〜


※最終話までのネタバレを含みますのでご注意下さい。



義勇さんについて

以前、義勇さんについて書いたことがあるのですが、書き尽くせていなかったので再度、彼について考え、残していきたいと思います。


義勇さんは最初から最後まで出てくる特別な存在

義勇さんご本人は柱になった後も自己肯定感が低いですよね。お姉さんの蔦子さんを守れず、むしろ守ってもらったこと。錆兎にも同様で、守れず守ってもらったこと。そんな背景もあるのかもですが、それ以前からの彼の性格もあるのでは、と思っています。

炭治郎が鬼になった時、

「炭治郎の自我を取り戻すことができれば…!!しかしそんな奇跡が容易く起こせるのか俺に…!!」

という心の叫びがあります。

ああ、ものすごい台詞ですよね。こうして書き写しているだけでも吾峠先生の素晴らしさを感じてしまいます。(先生の素晴らしさはまた後日書き記していきたいです)

この自己の能力を冷静に判断しているところ、とっても義勇さんらしい言葉だと思いました。が「もっと自信持てよ!」とも言いたいところです(笑)


そもそも義勇さん自身の意志が無惨を倒すための歯車を動かした

『鬼滅の刃』という作品そのものにとっても、作品のファンにとっても、吾峠先生のファンにとっても、『鬼滅の刃』の一話目というのは特別で、かつ、たまらないものなのではないでしょうか。その一話目で義勇さんは決断します。

「守る動作 俺に対する威嚇 こいつらは何か違うかもしれない

義勇さんらしく、これ以上の言葉はありません。しかしながら鱗滝さんを炭治郎に紹介し、自らも師匠、鱗滝さんへ手紙を書きます。思うだけでなく、きちんと行動をしています。

無惨との直接対決が始まり、義勇さんの師匠鱗滝さんは

「最終局面という言葉が何度も頭を過ぎる。その度に体の芯が震え、心拍が上がる。この長い戦いが今夜終わるかもしれない。まさかそこに自分が生きて立ち会おうとは。炭治郎、思えばお前が鬼になった妹を連れて来た時から、何か大きな歯車が回り始めたような気がする。

今までの戦いで築造されたものが巨大な装置だとしたならば、お前と禰豆子という二つの小さな歯車が嵌まったことにより、停滞していた状況が一気に動き出した」(マンガ本文にはない句読点をつけさせて頂きました)

と思いを馳せます。

ここに義勇さんのことは出てきません。しかし、無論、鱗滝さんの頭の中には、自分の弟子である義勇さんが歯車を動かした事実もあるはずです。

義勇さんに言われた通りに鱗滝さんを訪ねたのは炭治郎だし、特訓を受けたこと、乗り越えられたこと、最終選別で生き残ったこと、鬼殺隊で頑張ろうと決めたこと、それら全ては炭治郎の決断であり努力であり、炭治郎の物語です。

同じように、鬼となっても人の心を持ち続けるべく戦い続けた禰豆子の物語もそこに並んであります。

そして、当然の如く、二人に何かを感じ、鬼の滅殺に繋がると瞬時に判断し、動いた義勇さんの物語もそこにはあります。


義勇さんという存在

「水の呼吸」は様々な呼吸にとって基本となる呼吸で、その基本的な呼吸を極め、柱にまでなった義勇さん。そういうところにも義勇さんらしさが溢れています。輝利哉当主の代にて、最強と言われたのは岩柱の悲鳴嶼さん、そしてそれに続くのが風柱の不死川実弥です。

実弥よりも、義勇さんの方が先に入隊していたにも関わらず、無惨を倒し、最後となった柱合会議でお館様が呼ぶのは、義勇さんより実弥の方が先です。実際、実弥との手合わせでも、実弥の方が義勇さんより実力があるような描かれ方がされています。

しかしながら無惨との壮絶な戦いの末、柱で生き残ったのは、その実弥と義勇さんの二人だけ。何故に柱の中で最強でなかった義勇さんが生き残ったのか。様々な説がありますが、私は『鬼滅の刃』は義勇さんという私たちの物語でもあったからだと思っています。

無論、善逸の物語でもあり、伊之助の物語でもあり、鱗滝さんの物語でもあり、耀哉お館様の物語でもあり、その妻、あまねさんの物語でもあり、後を継いだ子ども達の物語でもあり、古の人たちも含め、とにかく全ての登場人物の物語なのが『鬼滅の刃』なのですが。

義勇さんというのは柱という人間離れした役職にありながら、一番私たちに近い存在だったのではと思います。そういう人を生き残らせた。そこには希望があります。子ども達が読むものとして吾峠先生は「希望」という要素を意識されておられたのではないかと思います。

一話目で炭治郎や読んでいる私たちを言動で圧倒させながらも、心の奥底では鬼に家族を殺されてしまった炭治郎に寄り添っています。

そして、いつも付き纏う葛藤。炭治郎が鬼となった最終局面でも「自分で大丈夫だろうか」と惑います。その姿は、私たちのリアルに近いと感じます。


義勇さんから知る人としての真の価値

そんな終始控えめな義勇さんですが、自己の意志で「無惨討伐」という歯車を動かします。鬼に大切な人を殺された義勇さんには、どうしても鬼を滅殺し、同じような思いをする人を無くしたいという強い思いがありました。常にそのことだけが心と頭にあった人なのでしょう。義勇さんが炭治郎と禰豆子にしたことに対し、義勇さん本人になにか特別な感慨などが湧いていたのかどうか、そこは本作では描かれていません。

しかしながら「俺よくあの時炭治郎を鬼殺隊に入れたよなぁ!それで無惨を倒せたよ!すげぇなぁ俺!」などと思っていないことは明白です。戦いが終わった後も、もっとああできていれば死亡者や負傷者を減らせた、などと考えてしまう人のような気がします。

その義勇さんの考え方、生き様は「天職についた人」そのものを表している気がします。天職というものは常に惑い、悩み、考え、時に後悔し、それでも進んでいくものだと思うからです。

圧倒的天才でなく完全努力の人、義勇さんを吾峠先生が大切に描かれたこと。そこに吾峠先生の素晴らしさを感じます。そんな義勇さんにもまた、多くの登場人物同様、吾峠先生の哲学が余すことなく詰まっていると感じます。

『鬼滅の刃』というのは「普通の人」の強い決意が物事を動かし、大きなことを皆で成し遂げる物語でもあったのだと思います。




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