弱いものは何もできないものじゃない

※頭の整理なので支離滅裂です。読み物としての体をなしてないと思います、申し訳ないです。

こういうこと書いたら、「助けてもらう側の人間のくせに」ってたぶん言われるんじゃないかなあ、と思うけど。


自分がどうして欲しいか、自分がどうしたいのかは聞いてくるけど、

私がどうしたいのか

は誰も聞かない。聞こうとしないし、話しても聞いていない。


だから話が平行線になったり、決裂したり、しまいには最悪の結果になったりするんじゃないかな、と時々考える。


一人称を「私」にしたけれど、この「私」はもっと広い「私」ではないかと思っている。
災害時とか、困ってる人や弱ってる人への援助とか、広い範囲で。

何が必要で、何が必要じゃないかを、本人に聞かないで「こうに違いない、これがいちばんいい」って一方的に決めてしまっている場合は、少なくないような気がする。


人間だから、欲も出るだろうし見返りが欲しくもなるだろうし、損もしたくないし自分の安心を最優先するだろうとも思う。
だけど、「支援する」という行為は、相手に元気になって欲しいとか、幸せになって欲しいとか、そういった意思のないまま、薄いままに行われると、人助けのつもりがこんがらがってきてしまうのではないかとしばしば考えてしまう。

支援のための制度は有効だけど、皆に平等にしなくちゃいけないから、それがその人にとって正解じゃない場合だって出てくる。
そこを調べもせず具体的な提案もせず、そこは自分で調べて自分で動いてくださいっていうのがまず、困ってる人に対しての対応としては適切ではないんじゃないかと思う。

そこができたら困ってないでしょ。仮に自分で調べていても、頼れないと判断したならその人なりに理由があるのだろう。そこを一緒に考えるのが支援じゃないのか。何故、正解をひとつに決めたがるのだ。

確かに難しいし、そもそも自分に余裕がないと無理だし、お金か時間のどっちかがそれなりに無いと厳しいかもしれないけど、少なくとも時間を使うことはできる場合が多いんじゃないのか。それすら面倒な人に、そもそも支援なんてできないのじゃないだろうか。


弱い立場の人間を「何もできない人」だと思ってるから抵抗されちゃうんじゃないのかな。
たぶん、そう思ってるんだろうなこの人、っていうある種の怖さと言うか、上から目線みたいなものを特定の職業の人などに感じることがある。
たとえ無意識がそうであったとしても、職業として選ぶ人がいてくれるから助かってる部分もあるんだろうし、何とも言えないけれど。
世話を焼くのが好きな人って偉いな、とすごく思ってるし。私は全然気が利かないから。

でも、時々、「あなたは何にもできないから、私がやってあげてる」って空気を、感じることがあるんだよね。
助けてもらったり手伝ってもらったりしてることを申し訳なく思ってる人々が何も言えない、言わないのをいいことに、ものすごく上の方から言葉や態度や感情を投げてくる。
それでも手を貸してもらわなければどうしようもない人々の心にささくれができて、そのうち我慢ができなくなってしまうのは、ある意味当たり前なんじゃないかと思う。
どうして助けた相手に嫌がられるのかわかってない人が、「助けてもらう側の人間のくせに」と思ったり言っちゃったりする人なんじゃないだろうか。
相手もプライドのある人間だって、わかってないんじゃないだろうか。


「助けてもらう側の人間のくせに」なんて言葉が口から出るくらいなら、誰とも関わらずにたったひとりで生きていった方がいいんじゃないかな。
自分だって散々誰かに頼って助けてもらってきてるよね。その人たちはあなたにその言葉を使った?その言葉に耐えながらあなたはそれでも生きてきたの?
そうじゃないよね。助けてもらうのは当然だと思ってるから、相手にそんな言葉を言わせずに、言ったとしても右から左で今まで生きてきたんじゃない?

思い通りに生きてきたから、思い通りにならない相手がムカつくんだよ。

感謝されたくて、自分が相手より偉いと思って接してくる人間はね、弱ってる人間から見れば、恐怖でしかないんだよ。
見抜かれているんだよ。


たとえ生まれてきたばかりでも、明日死んでいくばかりの弱りきった状態でも、人間なんだ。

人間が人間として生きたい、という叫び声を拾えず、ただ息だけしていればいい、誰かに息だけさせてもらえばいい、って平気で言っちゃうような人に、人助けです、なんて言ってほしくないよ。
あなたは同じ立場なら息だけしてても十分なのかもしれないけど、それが人間のすべてじゃない。あなたと同じ人間の方がたぶんずっと少ない。

自分もそんな風に他人に接してないかな、と時々振り返らなきゃいけないな。
いつか人間は年をとるんだし、事故で動けなくなっちゃうかもしれないし、旦那が死ぬほど借金作って夜逃げするかもしれないし、その時に「孤立ってこんなに神経がやられるのか」って思って欲しくないんだけど、そうやって後悔してみるまでわかんないし、そもそも後悔しないから、一方的でいられるのかもしれないな。

嬉しかったことは忘れないけど、つらかったことはもっと忘れないものだよ。
いろんな意味で、もっとタフに、いい加減に生まれたかった…。

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