『いみいみ』10月30日15:00の回ご感想

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「AはA」という同語反復の表現って、その単語の意味を噛み締めるときに使うことが多い気がするのですが、『いみいみ』では思考停止のために使われている感じがしました。

手が触れた、暇?って声をかけられた、一瞬残念そうな表現が見えた、それらの行為から透けて見える何かしらの意図、それを考えたくないから「AはA」と言い切る。「意味を忌むってこういうことか!」とハッとしました。
一方で、本当に言いたいことが言えない、聞いてもらえない悔しさとかも同語反復に表れていたのかも。「私は私」(だからほっといて)「二重は二重」(ただの特徴でしょ)みたいな隠れた本音が、間の取り方や仕草などから滲みでていているなあと感じました。(観ている側の感情移入もかなりありそう)

猫の動画をとって触ろうとするシーン、なんか印象的でした。「女だから」と加護欲を勝手に抱かれる私、でも同じことを猫にしていると気づく、自分への嫌悪感…みたいなシーンだと受け取りました。でも他の人の解釈みてたら「私は猫と同じ扱いをされてるのでは?」って思う場面だった気もする。なんにせよ男と女って対等になりにくいんだなと改めて思いました。

「ウチはウチ、よそはよそ」で済ますことができたらいいのに許されない雰囲気、「我々の理想の女性像はこんな感じだからそれに合うように振る舞ってね」みたいな空気がまだまだ根強く存在している。それに対して「私は私」とはっきり伝えるラスト、なんだか救われる思いがしました。
女の息苦しさや諦め、周りの意図に抗いたい意思が静かに伝わる演劇でした。

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