許せない病 1
あなたが夜道を一人歩いていて、
強盗に遭遇した場合を想定していただきたい。
強盗は、
あなたからバックを奪うために
ナイフであなたの腕を切りつけて逃走した
としよう。
血がだらだら流れて、
激しい痛みに襲われる。
当然
止血や消毒などの処置が必要になるが、
そういう手当を強盗がやってくれるだろうか?
やってくれるはずがない。
そこで傷が軽ければ
自分で傷をなめるとか、
ハンカチで縛るという応急処置で
間に合わせられるが、
出血がひどい場合は、
救急車を呼んで病院に搬送してもらうしかない。
病院で治療してくれるのは、
医師や看護師である。
当たり前だが、
あなたを傷つけた強盗ではない。
心に傷を受けた場合も同じことだ。
あなたを傷つけた当の相手が
あなたの心の傷を癒してくれるわけではない
あなたの治療は、
傷の原因をつくったあいつの手にゆだねられているわけではないはずだ。
.
それなのに、
そいつが謝罪したり許しを乞うたりするのをずっと待っていて、
自分が許すか許さないかが
そいつの出方一つに委ねられているのは
どう見ても受け身である。
そりゃあ、
あなたを傷つけた相手が謝罪して、
許しを乞い、
しかも償いまでしてくれたら素晴らしい。
理想的だ。
和解もすんなりできる。
だが、
そんなふうにいつもうまくいくだろうか?
現実にはそんなことはあり得ない。
それどころか
相手は自分の落ち度は極力否認して
正当化しようとする。
まして「許してくれ」と頼むなど
自尊心が傷つくことになるので、
プライドの高い人ほどしないだろう。
だとすれば
相手が許しを乞うか乞わないかで、
許すか許さないかを決めるというのは、
宝くじに当たるのを待っているようなものだ。
そのうえ、
たとえ相手が表向きに「許してくれ」と頼んだとしても
内心では反省も謝罪もしていない場合だって結構ある。
なので
相手が許しを乞わないかぎり許さないという姿勢を貫くのは、
お勧めできない。
(「許せないという病_片田珠美」より)
過失相手を「強盗」に例えている。
これは分かりやすい例えである。
外傷なら
傷を受けたことがわかりやすいが、
心の傷となると
外からは見えない
心の中で血を流していることになる。
確かに傷であるけれど、
見えないだけに
分かりにくい
隠せるし
隠されてしまったりもする。
(見えないだけに
見せることも出来るだろう)
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