子供んときの「T9出てるだろこれ」エピ、あった

思い出して苦しんでました。
タイプ9の無意識に受けた子供時代のメッセージとか屈折とかがすごくわかりやすい気がするので、書いてみようと思います。

【追記 7/8】
9の方がちょくちょく「わかる~!」と仰ってくれたので、結構9の方似た経験した方多いんだなあと自分でもびっくりしてます。
一方、あまり思い当たる節がない・よくわからないというお声もおみかけしました。MBTIやソシオが違うとピンとこないかも説ある。あとこの記事の文章力。
似たエピソードがあるかどうかではなく、自分の「小さい怒りニーズ(この記事なら、体きもちわるい!とかおなか減った!とか)」を周囲の平和を保つために我慢したかどうかで見るといいかな~と思います◎

【追記 8/4】
「どこがどう9なのかよくわからない」というお声をいただいていたんですが、私も急に思い出したものですから、具体的にどの本のどの記述に合うのか判然としないまま書いてました……!
エニアグラム【実践編】に、これを参考にして書いていたのかもという部分があったので引用しておきます。

また、家族の中で調和を保つ最良の方法は「姿を消し」、誰にも何の迷惑もかけないことだと学んだのです。
自分が多くを求めず、あまり期待をもたなければ──つまり、手のかからない子どもであれば──、うまく自分自身を守りつつ、ママとパパを落ち着かせることができると(機能不全の家族システムにおいては、「ロスト・チャイルド」と呼ばれます)。どういう気持ちかというと、「自分が前に出て自己主張すれば、さらに問題をつくってしまう。だから自分が邪魔をしなければ、家族は分裂しないだろう」ということなのです。

エニアグラム【実践編】 第十二章 タイプ9・平和をもたらす人
子供時代のパターン


・お風呂に入れなかった

おそらく小学生の頃だと思うんですけど、親に「お風呂入る~?」と促されないとお風呂に入れませんでした。
後述のある日までは、言われないとどんなに不快でも入らなかった気がします。
私が勝手にお風呂に入ることで、親の計画?が崩れて回り回って今の家族はなくなってしまうかもしれない、という漠然とした恐怖がありました。

思い込みがちょっとマシになったのは、(少なくとも)高学年(以上)のある日、体の気持ち悪さに耐えきれずに昼間の誰もいない家で緊張しながらお湯を沸かして入ってみたとき。
帰ってきた母が「あ、お風呂入ったの~」と、大したことではないかのようにあっけらかんと言ったのを見て、あ、お風呂って入っても大丈夫なんだと覚えた気がします。世界というか、人の懐の深さに触れたというか。

・そうめん作ったときのこと

これも小学生のときです。素麺、作ってみたくなったんですよね。
しかし茹でてザルに開けようとしたとき、手元が狂ってシンクにぶちまけてしまいました。

その時、咄嗟に頭に湧いたのが「食べたいなんて思わなければよかった」でした。
私が食べたいと思わなければ、母が買ってきた素麺は適切に調理されて家族が美味しく食べられたかもしれない。素麺も、素麺を作った人も、シンクになんて流されたくなかっただろうし。
多くの人の幸せになるための行動を無に帰したのは、欲求に従ってしまった自分自身、という罪悪感。

せめて知られて悲しませないようにシンクから直で食べてしまおうか、なんて考えているところに母が帰って来ました。
なんて怒られるだろうとびくびくしていたら、真っ先に私に怪我がなかったかの確認をされて、自分が買ってきた素麺より私の心配をするんだ!と驚きました。
その上「お湯入ってると重いもんねえ、よく頑張ったね」なんて褒められるもんだから、更に衝撃を受けたのを覚えています。

いや、今考えてみれば素麺より人間が大事なのは当たり前なんですけど。

私も子供が同じことをしていたら、まず火傷しなくてよかったと思うし、頑張ったことを褒めたいし、次は一緒に作ろうと誘うと思う。無意識のうちに自分を別にしている。

おわり

9、自己主張したら完璧なバランスで成り立っている世界が崩壊すると思っている。

自分が平穏な家庭に生まれたのもあって、客観的に見たとき、あんまり大したことないしかない。
でも本人は本気で怖かったし、今でも思い出しながらボロボロ涙が出てくるんですよね……

自分を素晴らしい世界に参加させないことで自分を守ろうとするんだなとつくづく感じました。迷惑かけないので生きることだけ許してください、みたいな。

しかしてメンタリティ謎すぎませんか。
繋がりを欲しているのに世界に参加しないって何ですか?
これは△に5がいる影響かもしれない。ヘッドが7とかだったら、もうちょっと違うかもしれませんね。

定期的にエニアに急所刺されて死んでる気がする。

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