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【カルデア猫食堂】大人の甘酒

 カルデアの食堂は夜も賑やか。
 でも、その日その時、誰がいるかは運次第。
 赤い弓兵はバーテンダー。どんなカクテルも思いのまま。
 酒呑みの鬼は酒造り。飲ませる相手はひとりだけ。
 狂気のケモノはサブチーフ。大人の相手も得意だが……?
 
 
 からんからん、とドアベルが鳴る。
 意を決して押し開けた扉の向こうはカルデアの食堂。いつもご飯を食べて、おやつをもらって、みんなと楽しくおしゃべりをする慣れ親しんだ場所。でも、この時間、夜の食堂は、見知らぬ大人の世界になっており、私を迷子の気分にさせます。
 カウンターとテーブルには大人たちが座っていて、
「…………」
 そして今、その全員が沈黙と共に私のことを見つめていました。

「おや、ジャンヌ・ダルク・オルタ・サンタ・リリィ。いらっしゃい」
 カウンターの向こうから顔を出したタマモキャットさんがそう言うと、魔法が解けたように時間は再び動き出し、元の喧騒が蘇ります。
「……あの、えっと」
「おひとりかな、小さな聖女よ。よければカウンターに座るがよい」
「ち、小さくありません! 大人です!」
 澄まし顔を必死で維持しつつ、カウンターのスツールによじ登ります。
 そう、私は大人なのです。今夜はそれを証明しに来たのです。いえ、成長した私に何か言われたとか、からかわれたとか、そういうこととは関係ないのですが!
「ふーむ、では大人の聖女よ。ご注文は?」
「えっ」
 キャットさんは飲み物のメニューを渡してくれましたが、何がどういうものなのかさっぱりです。もちろんミルクやオレンジジュースは分かります。でも、夜の酒場に来た大人がそんなものを頼むはずがないことも分かっているのです。
 キャットさんに聞いてみましょうか。キャットさんはよく分からない方ですが、基本的に親切なので、何がどういうものなのか、きっと丁寧に教えてくれるはずです。でも、それもあんまり大人っぽい振るまいではないと思うのです。
「えーっと……ですね……」
 どうしたものかと途方に暮れていると、隣に誰かが座りました。
「あー、お嬢さん、ひとりかい? 隣いいかな?」
 メニューとの睨めっこを中断し隣席に目を向けると、さっきまでテーブルでビリーさんやジェロニモさんとカードに興じていたはずのロビンさんが座っています。
「まだ隣に座っていいとは言っていませんけど?」
「まあまあ、そう邪険にしなさんな。一杯奢りますよ。ミルクでいいかい?」
「私は大人です! 酒場でミルクなんか飲みません!」
「あー……そういう日かー。そういう日もあるよなー……うーん……」
 ロビンさんは間抜けな声を出しながら、キャットさんに目線を送ります。キャットさんは心得顔で頷くと、小さな声で言いました。
「では普段は出さないキャットのおすすめ。内緒の裏メニューはいかがかな?」
 う、裏メニュー⁉︎ これです! 素敵です! 大人です!
「それにします!」
「あー、じゃあ俺もそれにしますかね。何だか知らないけど」

 
「お待たせしたなお二人様。これぞキャットのおすすめ、魅惑の甘酒だワン!」
 キャットさんが差し出したのは、綺麗なガラスの器に注がれた白くてとろりとした飲み物です。
「アマザケ? お酒ですか?」
 無言で頷くキャットさんを見て、手元のグラスを見て、先に飲み始めたロビンさんを見て、もう一度グラスを見て、恐る恐る口を付ける。と、途端に柔らかな甘味が口いっぱいに広がった。
「美味しい! 美味しいですね! ロビンさん!」
「うん、まあ、たまにはこう言うのも悪くない」
「美味しいんですか? 美味しくないんですか? はっきりしてください」
「美味しいです」
「よろしい!」
 そう言って甘酒をもう一口。ふふふ! 夜の酒場でお酒を楽しんじゃってます! これはもう完全に大人ですね! 
 
 キャットさんに美味しいチョコレートも出してもらい(チョコレートはおつまみなんです! 子どもっぽくありません!)、大人の時間を過ごしていると、からんからん、と再びドアベルが鳴りました。
 振り返ると、戸口に立っていたのは本来の私、ジャンヌ・ダルクその人。私が入ってきた時と同じように戸口に立ち、同じように店内に沈黙をもたらすと、開口一番こう言いました。
「リリィ! 何時だと思っているのですか! 帰りますよ!」
 なんと! 彼女は私を連れ戻しに来たのです!
 
 
 
「リリィ? あの嬢ちゃん、家出でもしたのかい?」
「あれ? 今確かにそこに、リリィが……」
「ここに? ビリー、お前見たか?」
「あの元気なお嬢さんでしょ? 見てないなあ。ていうかこんなとこ来る?」
「ええ? いや、でも、さっき」
「聖女よ、ご注文はワインかな? 好きな席に座るがよい」
「いえ、私はお酒を飲みに来たわけでは。あれー?」
 
 
 
 私はドキドキしながら、黙ってその会話を聞いていました。
 ロビンさんのマントの中で。
 ロビンさんの、その印象よりもずっと逞しい腕と胸に挟まれて。
 ロビンさんの体温と匂いに包まれて。
 静かにしなきゃいけないのに、心臓がとても五月蝿くて……
 
 結局、彼女は店内に踏み込むことなく、「リリィを見かけたら知らせて下さい」と言い残して去っていきました。
「やれやれ、行ったか。たまの夜遊びを邪魔しようなんざ無粋だねえ。いや、ああいうのから逃げ隠れするのも夜遊びのうちか?」
「透明マントは便利なのだな。グリフィンドールに十点!」
「『顔のない王ノーフェイス・メイキング』な。え? オレの組分けってそういう感じ? グリフィンドールっぽい?」
「おーいロビン。組分けに喜ぶのはいいけどさ、いつまで女の子抱いてんの?」
「喜んでねーですよ! と、悪い悪い。大丈夫か?」
 ビリーさんが声をかけて、ようやくマントが開かれました。暗くて狭くて暖かった空間に光が差し込み、私は慌てて預けていた体を引き剥がします。さっきまで優しく包まれていた全身を夜のひんやりとした空気が撫でると、何だか寂しいような……もっとああしていたかったような……。
「あー……いきなり悪かったな。見つかりたくないかと思ったもんで」
 ロビンさんの顔を直視できずに俯いていると、それをどう解釈したのか、ロビンさんが謝ってきました。そうではない。そうではないのですが、どうしたらいいのか分かりません。困って視線を彷徨わせると、にこにこ顔のキャットさんと目が合いました。
「ふふーん? 小さな聖女よ、顔が赤いぞ?」
 きっとそうなっているだろうとは思っていましたが、指摘されるとますます顔に血が昇ってしまいます。でも違います。そんなはずありません。
「これは……これは! そう! お酒のせいです! 酔うと顔が赤くなるんですよ! 知ってます! 論破です!」
 そうです。顔が赤いのも、瞳が潤んでいるのも、まだ心臓がドキドキ五月蝿くしているのも、全部全部全部、全部お酒に、甘酒に酔ったからに違いないのです!
「酔ったからもう帰ります!」
「おおっと、ちょい待ち」
 勢いよく立ち上がって帰ろうとしたその手をロビンさんに掴まれました。
「約束だから今夜は奢らせてもらいますよ。また遊びに来な、お嬢ちゃん」
「い、いいんでしょうか」
「たまに夜遊びするくらいが健全ってもんだぜ」
「いえ、そうではなく……ロ、ロビンさんは、また私と、いえ、その」
「ああ、そっち? オレも結構楽しかったからな。タイミングが合えばお付き合いさせてもらいますよ」
 笑顔とともに放たれたその一言が嬉しくて、いえ酔いのせいです。酔いのせいで私はもう一歩踏み込むことにしてしまったのです。
「じゃあ、あの、あのですね。多分、私がこうやってここに来てると、今日みたいに、本来の私がきっと探しに来るので、だから、その時は、その時はですね」
「なんだそんなことか。そん時ゃ、何度でも隠してやるよ」
「本当ですね!」
「お? おう」
「約束ですよ!」
「おう、約束」
 なんだか酔いがさっきよりも回ってきたみたいです。顔がもっと熱くなって、心臓の鼓動はどんどん大きくなってきます。こんなにも酔ってしまうだなんて、甘酒は本当に大人の飲み物でした。


「行ってしまったな」
 終始微笑ましく見守っていたジェロニモ。
「お疲れロビン! モテモテだね!」
 愉快そうに眺めていたビリー・ザ・キッド。
「流石はロビン! 町娘の扱いはお手のものだな!」
 そしてタマモキャット。
「あんたらねえ……。しっかしこれ、甘酒ってほぼアルコールないんでしょ?」
「ないよ。完全無欠にノンアルだワン。ふうむ、となるとあの町娘は一体何に酔ったのであろうな? と言うよりも誰が酔わせたのやら?」
「そういうつもりじゃなかったんですけどね……ん?」
 
 からんからんからん!
 勢いよく扉が開き、三度みたびのドアベル、三度みたびの沈黙。
 そこにいたのは
 
「忘れ物をしました!」
 そこにいたのは、ジャンヌ・ダルク・オルタ・サンタ・リリィ。ふわふわしたよく分からない気持ちに押されて駆け戻った彼女は、その勢いのままロビンフッドに駆け寄ると、その頬に自らの唇を押し付けた。
「お礼です! お礼を忘れていました! 助けてもらったらお礼をするものなので! 何も問題ありません! 全部お酒のせいです! うわああああ!」
 一息にそれだけの台詞を言い放った少女は、飛び込んで来た時の勢いのまま出口に向かって駆け出した。全部全部お酒に酔ったせいだと自らに言い聞かせながら。今日は随分と大人の階段を登ってしまったと思いながら。
 
 
 
「やるじゃないか、彼女」
「ひゅーっ! すごいもの見た!」
「あはははははははははははは!」
「五月蝿えですねオタクら! 特に猫!」
「あははははは! 真っ赤な顔で何を言っているのやら! ミスターハンサムは酔ったのかな? それとも誰かに酔わされたのかな?」
「この……!」
 口の減らない猫をひと睨みして、オレは残りの甘酒を一気に飲み干した。言い訳にもならない言い訳のために。
「あーあーあー! 何がノンアルだか! こりゃあ大人の甘酒だな! 酔っちまっても仕方がねえな!」
 不意打ちを躱せなかったのも、顔が赤いのも、なんだか胸の拍動が早いのも、全部全部甘酒に酔ったせいに違いないのだ。
 
 チクショウ! 無駄な足掻きなのは分かってるよ! どいつもこいつもニヤニヤしやがって!

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