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Vが死んだ日

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暗闇と静寂があった。
光もなく、音もなく、男の意識もあったのかどうか。
何時間経ったのか、それとも数分だったのか。暗闇の外から微かに伝わるブースターの音が静寂に終わりを齎す。
ACが一機。曖昧な意識の中でも、癖を通り越して本能に至った戦闘思考が迫り来るものを脳裏に描く。
だが、応戦しようという意思は湧かなかった。幸いなことに(彼にとっては不幸なことかもしれないが)、鼓膜を震わせる音は慣れ親しんだ味方機のもの。
暗闇の近くにACが着陸する。
ゴン……ゴン……と金属を叩く鈍い音が何度か響いた後、メキメキと音を立てて前方に光の穴が開いていく。
ひしゃげたコックピットハッチが剥がれ落ち、遂に暗闇も終わりを告げた。

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「ロックスミス、信号ロスト!」
「ヴェスパーコントロールよりV.Ⅰ!応答せよ!ヴェスパーコントロールよりV.Ⅰ!フロイト隊長!お願いですから応答して下さい!」
「バイタルは!?」
「反応なし!」
「付近のMTを確認に向かわせろ!最優先だ!」
「あの人に付いていけるMTなんているわけないでしょ!遥か彼方よ!」
「だったらドローンでも何でも飛ばせ!」
「ヴェスパーコントロールよりV.Ⅰ!応答を!クソッ!V.Ⅰ通信途絶!」
「スネイル閣下には繋がったか!?」

その日、ヴェスパー部隊の管制室にいたスタッフは、賞賛されて然るべきだろう。有り得べからざる事態、ヴェスパーの生ける神話の崩壊を目の当たりにしながら、自らの職責を果たしたのだから。

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「隊長、管制より報告です。オープンフェイスが戦線を離脱し現場へ急行中。我々に先着する見込みです」
「……了解」
猛スピードで飛ぶヘリの中、報告を受けた隊長は、整えられた顎髭を撫でながら、一拍置いて応える。
撃墜されたロックスミスへ急行中の彼らは、戦闘捜索救助を専門とする部隊だ。一刻を争う現場に顔を出してくる専門外の上司(それも口煩い性質の)なぞ普段なら迷惑以外の何者でもないが、今回はV.Ⅰを落とした相手が戦域にいる。自前のMTだけでは心許なく、増援として考えればありがたくはあった。
「オープンフェイス!いいですね!デカいから弾除けにゃ最高だ!」
坊主頭の副隊長が殊更におどけて見せたが、普段なら軽口で応える隊員たちも、今日ばかりは見え透いた演技に乗ってやる気分にはなれなかった。
V.Ⅰフロイトは、彼らにとっても伝説で、戦場を飛ぶ神だったのだから。
「先行偵察ドローン現着。映像入ります」
映し出された映像に、全員が息を呑む。
「……隊長……これは……」
全員の意見を代表して副隊長が伺いを立てる。画面に映るロックスミスは、機体の判別がつく程度には原型を留めていたが、誰に見せても“辛うじて”の形容詞を欠かさないだろう。あの若者が手づから磨き上げていた往時の輝きを誰もが知っているだけに、その落差はV.Ⅰの失墜を思い知らせる。
そう。結局のところ、この瞬間まで誰もV.Ⅰの敗北を信じていなかったのだ。報告を聞いた全員が心のどこかで何かの間違いだろうと思っていた。散々大騒ぎさせておいて、ひょっこり帰ってくるに違いない。また閣下の雷が響き渡るぞ。関わった全員に酒を奢らせてやろう。
だが、目の当たりにした現実は、希望的観測を砕くのに充分な衝撃を備えていた。

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夕焼けの空をオープンフェイスが飛んでいく。
スネイルは怒っていた。
自分の頭上を飛んでいった駄犬、命令を無視した首席隊長、裏切者の第四隊長、あれも、これも、腹立たしいことは山ほどある。
しかし、自分が本当は何に対して怒っているのか、この時のスネイルは理解できていなかった。
そして、同時に期待していた。あの駄犬に遭遇することを。フロイトを倒した駄犬をこの手で始末することを。

オープンフェイスは何事もなくロックスミスへ辿り着いた。駄犬どころか一切の妨害もなく、叶わなかった期待への不満と相変わらずの怒りを抱えてACを降りる。
普段なら届くはずのないロックスミスのコアは、擱座した今、スネイルの手の届く位置にあった。
拳を握り、ひしゃげた装甲を力任せに殴りつける。
「フロイト!」
反応はない。
もう一度殴りつける。
「フロイト!」
殴りつける。
「フロイト!」
殴りつける。
「フロイト!」
殴りつける。
「返事をしなさいフロイト!」
何度殴っても反応は返って来ない。
最後にもう一度殴りつけると、ひしゃげた装甲の隙間に手を差し込み、怒りに任せて引き剥がしにかかる。
「どこまで…!この私を…!」
みしりみしりと軋むのは強化骨格。
ぶつりぶつりと千切れるのは人工筋繊維。
強化された骨筋とはいえ、ACの装甲に歯が立つものではないのだが、崩壊寸前のロックスミスの装甲は、辛うじてスネイルの腕が千切れる前に剥がれ落ちた。

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開放されたコックピットの中、血塗れのフロイトは眩しそうに目を細め、何度目かの瞬きの後、目の前の人物に気付く。
「なんだ、スネイルか。悪かったな、勝てなくて」
「…………」
心底忌々しいとばかりに睨みつけるスネイルの視線を、しかしフロイトは意に介さない。
「次はもっと…ああ、くそ、ベルトが、よし」
震える指が、シートベルトを苦労して外す。
そして、フロイトの上半分が落ちた。

べちゃり

「あ、あークソ。鼻折れたんじゃないかこれ…」
上半身だけのフロイトが器用にひっくり返って仰向けになる。
この生身の体が分水嶺を越えていることは、誰の目にも明らかだった。
スネイルは直立不動のまま、千切れ落ちた男を見下ろし続ける。
「無様ですね」
「そうだな。強いなあいつ。レイヴンとか言ったか?いい。すごくいい」
赤い空を見上げ、獰猛に、恍惚と、無邪気に笑う。
スネイルが初めて見る顔だった。
スネイルが何度挑んでも、ついぞ見せることのなかった顔だった。
「私の……私の命令を無視した挙句、あんな駄犬に負けるとは」
「ああ、そうだな。次はもっとやれる」
「……フロイト、私は」
「退屈な星だと思ってたが」
千切れた胴から内臓が溢れる。
「フロイト」
「まさかあんな面白い奴がいるとは」
流れ出る血がスネイルの足元を濡らす。
「フロイト!」
「ゲホッ……待ってろレイヴン……すぐに、次の……」
血を吐き、空に手を伸ばす。
「私を見ろフロイト!!」
「まだだ……動け……ロック………スミ………」
空に伸ばした手が落ちる。
笑顔のまま、その眼は落陽の空だけを映していた。

「……………どいつもこいつも……私を……」

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無機質な長い廊下を、2人の男が歩いていく。
「押収したバルテウスの改修は完了してます。しかし……本当に首席隊長自ら出撃されるんで?慣熟もまだでしょう?」
「慣熟訓練など不要。その為の強化人間です。……今何と呼びました?」
「“首席隊長”ですが?フロイト殿が殉職された以上、閣下がV.Ⅰで首席隊長……ですよね?」
「…………」
V.Ⅰ、首席隊長、ヴェスパー部隊のトップ。
それはスネイルがいつか手に入れるはずだったもの。遂に手に入れたもの。
立ち止まり、振り返る。格納庫へと向かう長い通路。後ろをついて来る者は誰もいない。
向き直る。前に見えるのは格納庫へと繋がる扉だけ。先を歩く者は誰もいない。

たった1人の番号付き。
競う相手のいない序列。
お下がりのナンバーワン。
空を見て死んだもの。
全てを超えて飛んでいくもの。

あれほど望んでいたV.Ⅰの称号は、スネイルの手の中で急速に色褪せていく。
ヴェスパー……今更こんなものに何の価値があるというのか。

「閣下?」
「何でもありません。出撃準備を」
「了解です。今度こそあの独立傭兵に企業の力を見せつけてやりましょう!」
「企業?」
「ええ、この機体も閣下のお体も我が社の精髄です。負けるわけがありませんよ!」
同行するエンジニアが先に立って扉を開く。
彼にとっては、自社の技術に誇りを持っているという、ただそれだけのこと。
だが、
「そう……そうか。私が……私こそが……」
そう呟いて、スネイルは扉を潜っていった。

彼は最早V.Ⅰではなかった。
ヴェスパー部隊の番号付きは、こうして誰もいなくなった。

「私こそが企業だ。待っていろ害獣」

『メインシステム、戦闘モード起動』

【終】

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