コントロールの利かない感情とは

いろんな感情が「思い込み」だろうと悟ってからだいぶ経つ。

胸が苦しくなる思い。
たとえば、
恋愛相手や親しい人が自分のもとから去ったとき。

たとえば、親友だと思っていた人が心変わりであなたのもとを去ったとき。

悲しいとか、さみしいとか思う感情が多少あっても、数日で慣れる。
辛くて苦しい、嫌な気持ちは寝たらすぐ忘れる。


自問自答してみたらいいかなと、始めたのがいつからか。
「その人、そんなに大事だった?」

去って行った理由がある。

相手の勝手な理由。
自分には関係ない。
そんな人は自分にとっても不要な存在。
そう、必要ないからどうでもいい。

そう思えば、むしろ必要ないから忘れようと思える。

友達や彼氏や彼女がいなくなっても同じ。

ただ、人がこの世を去ったとわかったときは、

そうもいかない。

だから、形式ばったお別れ式で、現実を見ないようになった。

姿を見なければ、その事実を受け入れずに済む。

数か月、下手したら数年、その人のことを考えるきっかけを作らない。
思い出す場所に行かない。

しばらく会ってないけどどうしてるかな。
会いたいな。元気かな。
そのくらいであとは考えない。


考えすぎると会いたい気持ちから会えない現実につながって悲しくなるから。
それが、痛いくらいに辛くなければその涙は流しておこう。
心を洗ってくれる涙かもしれない。

さて、一番わからないのが、片思いで失恋して仕事まで休んでしまうほど落ち込むという人がいる。


なぜ片思いでそこまで他人に思い入れられるのかわからない。
相手が愛や思いを返してきて、さらに愛や思いを深めるのではないのか。
こっちを向いていない人をそこまで思えるのか。


普段から近くにいて、相手も自分を思っているのではなかろうかと誤解するほど親しくて
いざそこに恋愛を持ち込んだら違ったとか?

それでも違ったのなら仕方ない、勘違いだったかと思えば
飲み食いも出来なくなるほど落ち込むことはないのではないだろうか。

こういう話を誰にでも話すと、
おかしいと言われるから言わないようにしてるけど。
恋愛感情はまやかし。

異性に対しての友情以外の感情とは、性的欲求。キュンは性欲。
合う合わないは、慣れるものではないから、満たされなくなったらそもそも終わり。

そこにも執着心はない。友情にはならない。友情はない。

友情の向こうに、「あわよくば」を出されると
身体の相性が合わなかった時に、会いたくなくなるから、やめておこうと止める。

こちらが感じ取らずに、「あわよくば」を察知した時は、諦めるか
これまた自問自答。こいつと寝れる?
最悪合わなくて、この先の人生でこいつがいなくなっても大丈夫?

それなら勘違いさせたこちらも悪いだろうから、減るもんじゃないし、諦めよう。
光栄じゃないか。「あわよくば」だけだったとしても、その気になるなら、女冥利に尽きる。

しかーし、諦めた時は、うまくいった試しはない。要するに相性がよくないのである。
友達でいた方が楽しかったのに。
でももういらない。

「あわよくば」を見極めて、寝る、寝ない、を先に決めて人と付き合っていこう。

もう疲れたけど。目標の年にもうすぐ達成するけど、母と祖母が頑張ってる間は先に逝けない。

モテなくなったら、人生終わりにしよう。
オチがそこかい!

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