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耳から音楽が消えた日ー雑事記③ー

数カ月前、iPodのイヤホンが壊れた。いつも通勤カバンの中でこんがらがるコードをひっぱる際にポロっと外れてはプチ家出を繰り返す、耳につっこむ部分にかぶさったあのプニプニが、とうとう私に愛想を尽かして蒸発してしまったのである。いつもなら、少し間を置けばケロッとした顔でポケットの隅から見つかるはずなのに、カバンをひっくり返し、部屋の床を這いつくばって調べても、長年共に過ごしたあの緑色のプニプニはとうとう姿を現さず、忽然と消えたまま。

すぐには新しいイヤホンを調達する気になれず、心のどこかでプニプニとの再会を期待しながら私は久方ぶりに音楽を持たない数カ月を過ごした。

初めて買ったCDはglobeの『Can't Stop Fallin' in Love』だった。
先日、実家の納戸にある段ボールを引っ張り出してさがした懐かしのシングルCDが今手元にあるが、発売が1996年と書かれている。私が小学校5、6年生の頃である。

当時はオリコンの順位が毎週話題になったり、同じ日に有名アーティスト同士が新譜の発売をぶつけあったりという華やかな時代で、音楽番組もほぼ毎日どこかの局でやっていた気がするが、私が夢中になった音楽番組は『速報!歌の大辞テン』という少し変わった番組だった。最新のランキングと、スロットで毎週出てくる昭和か平成初期の頃の古いランキングとを並べて紹介するというスタイルで、私はこれをきっかけにフォークや80年代ポップスの魅力を知ることとなる。

globeだけは引き続き新曲が出るたび買っていたけれど、基本的には中古のレコード屋でチェッカーズやイルカや尾崎豊のCDを漁ることを喜びとしていた10代だった。

自分の中で音楽の存在がとても大事なものであった理由は、絵を描くことと音楽を聴くことが当時の私にはセットだったからだ。

机に向かう時はもちろん、最も私が音楽を欲していたのは移動時だった。
子どもの頃、親の車で出かける時に、家族が流す音楽ではなくて自分だけの世界に没頭できるよう、持参したカセットウォークマンをきいていた。普段はさほど(親の前では)自分勝手な行動をしない私が唯一、車中の会話に加わらず親に呆れられながらも貫いた我儘だった。

「この時間が私の創作には絶対に欠かせないんだ」

幼いながら真剣にそう思っていた当時の気持ちを今もはっきり覚えている。頭の中にだけある絵や筋道の曖昧なストーリーが、流れる景色と共に心地よく浸れる音楽がある時だけは、くっきりと明確になる気がしていた。
しかし、その気分のまま家について自分の机でいざノートを広げても、先ほどまで濃密に組み立てた世界は霧散して、シャープペンを持つ手が真っ白な紙の上で止まる。
部屋にあるラジカセの電源を入れて、ふたたび音楽の勢いに頼った。

「制作に音楽が欠かせない信仰」は大学卒業くらいまでずっと私のなかにあり、絵を描く、または創作意欲を高めるために散歩する時はいつも、音楽を持っていた。

カセットがだんだんMDになり、(CDウォークマンも持ってはいたけれどサイズがデカすぎて滅多に持ち歩かなかった。)私のカバンには常にその日の朝に選りすぐったマイベストMDが数枚、小さな巾着におさまっていた。

油絵を描くようになってからは制作時間が長いので、さらにイヤホン漬けになった。美大のフレスコ画実習の時などは、乾燥の都合で2~3日くらい徹夜で(仮眠時とシャワーだけ家に帰った)アトリエに居たので、もう巾着がパンパンになるほど大量のMDを詰め込んで持っていった。
まわりの皆も大抵耳からコードを垂らして絵と向き合っていたけれど、当時たしか、だんだんiPodが登場し始めた頃だったので、あんなにガチャガチャとかさばる音源を持ち歩いていたのは私だけだったような気がする。

デジタル音痴な私が文明の利器・iPodを使い始めたのは社会人になってだいぶ経ってから。友人Rに自宅へ来てもらい設定を手助けしてもらって、ようやく重たい巾着を持ち歩く生活から私は解放された。

出掛けるとき、ハンカチ、はなかみ(普段ティッシュと言うけど持ち物準備の時はこの言い方がしっくりくる)、財布、鍵、の次にiPodは欠かせなかったのが、いつのまにか「文庫本」にとって代わるようになった。同時に持っていくことが一番多いけれど、どちらかを忘れてしまった時、本を忘れたことに気づいた時のショックの方が今は断然大きい。

いつからだろう。音楽を聴く時間がかなり減った。

特に、制作をするときに無音状態でも平気になった。

音楽を聴いていると盛り上がる気分が創作に繋がると信じていた10代。不確かな自分の中にあるものを「何か」に乗せないと表現が形にならないと思っていた。

今は自分の中だけで形にまで持っていけるようになったと思う。その状態で完成された音楽を耳に入れてしまうと、自分が描きたいものが少しぶれてしまう心配が出てきて、音を消すか、手を止めて音楽の方に没頭して気分転換にしている。

そんなふうに音楽との距離が生まれた頃に、イヤホンのプニプニが行方不明になり、私の耳から数カ月、音楽が消えた。

先日、久しぶりにglobeが聞きたくなり、パソコンで流していたら通勤時にも聴きたくなって、電気屋でようやく新しいイヤホンを買った。耳穴のサイズに合わせて4種類(両耳で8個)ものプニプニが付属で付いている。こんなに要らないとも思ったけれど、これならひとつくらい失くしてしまっても代用できそうだ。

初めて買ったCDの曲が今でも鮮やかに聴こえるのって、すごい。

あの当時と今の自分では状況も価値観も、経験も違う。
時代も変わった。けれど、同じ曲をいいなあと思う自分の心は変わってなかった。


私が描いたものも、何年、何十年先の誰かを、「やっぱりいいなあ」とじーんとさせる作品であって欲しい。
明るい夜の大通り、イヤホンを耳から垂らしてそんなことを考えながら歩いた。





今週もお読みいただきありがとうございました。愛用のiPodは画面にだんだん横線が入るようになり寿命を感じますが、店頭からも最近iPod少なくなってきているし…大事に大事に使っていこうと思います。ちなみにiPodさんを使ってはいるけれど、音源の購入はCD派です。パッケージ大事。

◆次回予告◆
『ArtとTalk⑤』美術館勤務9年目。私が監視員をするうえで意識していることをセブンルール的に勝手に7つあげてみるの回。

それではまた、次の月曜に。


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◆今回のおやつ◆
レニエ:タルト・ミルティーユ









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