見出し画像

他人様の裸を拝見する毎日ーArtとTalk④ー

こんにちは、宇佐江です。皆様お元気でいらっしゃいますか?
ずっと暖かい気候が続いたと思えば少し寒さが戻ったり、ものすごい強風や雨の日が続いたり、春の天気は移ろいやすいですね。

さて今週は久々に(前回、前々回は受験の回顧録を載せましたので)ArtとTalkの通常バージョンをお送りします。よろしくお願いいたします。


裸婦ってなんぞや

今回のテーマは「裸婦(らふ)」です。
美術に携わる方にとっては馴染みのある言葉ですが、一般の方にはあまり耳慣れないかもしれません。裸の女性のことですね。(“裸婦画”を略する意味でも使われます。)

世界の名画にも裸の女性像で有名な作品はあまた存在します。ボッティチェリの《ヴィーナスの誕生》や、マネの《オランピア》などなど。
ちなみに、私ごときが語るのも恐縮ですが、岐阜県美術館所蔵の山本芳翠《裸婦》(重要文化財)は、日本人が描いた最初期の油彩による裸体画と言われています。
あと、絵よりももっと一般的な裸婦像といえば彫刻作品です。
日本ではよく公園や、商店街の路地などで、唐突に裸の女性像がバンっと目の前に現れてちょっとびっくりするような、不可思議な気分に陥ったことがないですか?

なぜ美術の世界では、裸婦を描いたり、作ったりするのか。
謎に満ちた裸婦にまつわるお話を始めます。


初・裸婦画体験は高校生

私がはじめて裸婦モデルさんを描かせてもらったのは高校生の時ですが、学校で、高校生が裸婦を描くということは、世間の感覚と照らし合わせるとちょっと大きなイベントでした。
本人たち(美術科の生徒)はまあ、自分から選んで美術の世界に身を置いているわけですから、表面上はさほど大騒ぎするわけでもなく、しかし内心は貴重な体験ができることにワクワクしていた感じです。
いっぽう、

「あそこの高校は美術科の生徒が、授業で裸の女を描くらしいぜ」

という切り取られた事実は、地元の中学校に通う男子に「俺、受験しようかな」というネタにされる程度には知れ渡っていました。また、同じ高校であっても、裸婦の授業は完全に関係者しか入れない空間でひっそり行われていたために、
「君たちは、授業で本当に裸婦を描いているの?」
と他科目の先生に半信半疑で尋ねられたり、逆に「僕は芸術は好きだけれど、なぜ裸を描くのかだけは理解できない」という独自の主張を持った先生に授業中一席ぶたれたりと、裸婦の授業は美術科の生徒たちにとって、ヌードに対する外界の目を否応なく意識させられるものでした。

そんなこんなで初めての裸婦デッサンの日。
美術科の生徒約40人が2グループに分かれて、仕切りを隔てて、裸婦モデルさんがそれぞれ台の上に立ちました。私が最初に描いた方のモデルさんは30代くらいだったでしょうか。すでにベテランの風格を漂わせて堂々としたポーズ、そして何より驚いたのは、休憩中、ガウンを羽織りモデル台の上で寝ていらっしゃったこと!人前で裸を晒すという緊張をまるで感じさせない姿が衝撃だったのを覚えています。

時間を切って、場所交代。もうひとりの方のモデルさんはまだ若く、あまり場数を踏んでいらっしゃらない感じで、少し恥ずかしげでした。しかし、場面が違えば可憐で愛らしいのですが、緊張して顔を赤らめていた男子たちには、少々酷な人選だったかもしれません。

以降、沢山の裸婦モデルさんを描く機会がありましたが、この時ほど初々しいモデルさんはいなかったように思うので、高校生初・裸婦体験としても記憶に残るモデルさんでした。


そもそも裸婦ってどういう状態?

「裸って言っても、モデルさん、パンツくらいは穿いているんでしょ?」

昔、このような質問をした人がいてびっくりしましたが、違いますよ、裸婦は、全裸ですよ。
むしろ、半端にパンツだけ穿いていらっしゃる方がなんだか妖しさが増す気が私はしますが…。皆様はどうお感じになるでしょう。

とはいえ、モデルさんも色々です。
学生相手の授業では、やはり着衣(普通に洋服を着ている状態)か裸婦の2択が多いですが、おとなを含んだ自由度の高いアトリエでは、ガーターベルトをされていたり、水着か下着かわからない恰好のモデルさんも過去、いらっしゃいました。
勿論、絵に合わせた最適な恰好ということで、必ずしもモデルさんの独断ではないと思いますが。

ポーズの流れはこんな感じです。

まず、ガウンを羽織り素足にスリッパをひっかけたモデルさんがアトリエに入ります。しばらくモデル台の脇に置かれた椅子で待機され、「ピピピピ」というアラーム(学生や先生など、タイムキーパーがいます。)が鳴ると、おもむろに立ち上がり、腰紐をシュルっと解いてサッと裸になり、台に上がります。
「お願いします」
「お願いします」
と、生徒とモデルさん双方が挨拶を口にして、スタートです。

立ちポーズ、座りポーズ、寝転びポーズ、圧巻だったのはブリッジも。

モデルさんも経験によってすぐにサマになるポージングが出来る人がいて、それがまた本当にカッコイイ。ちょっとした首の角度や脚の重心の置き方に、単純な形態把握の為ではない、ストーリーのある雰囲気を醸し出せるモデルさんもいらして、表現力が実に豊か。
自分の世界観を持っているモデルさんは、生徒にも人気がありました。


裸婦モデルさんに入ってもらう時の注意点もあります。

①入り口の前に仕切りを置くなど、外部の目を断つ
(裸婦の時は、ポーズの途中で生徒が出入りする事も禁止でした。)

②写真はNG

③寒さ対策

などです。モデルさんは裸なわけで当然寒いですから、暖房は必須。夏場は生徒が汗ダラダラになりながら、裸婦を描いていました…。


他人様の裸を拝見する毎日

高校生の時は学校や画塾で数回だった裸婦デッサンも、私の行った金沢美大では、毎日午前中は裸婦課題というような時期もありました。

日常的に、他人様の裸を拝見する生活。
それもチラ見ではなく、じっくりと、観察する行為。それは少し変だという自覚はあるものの、人間慣れてくるとだんだんと恥ずかしさも薄れて「裸=モチーフ」という感覚になります。(かといって、裸になってくださるモデルさんへの敬意は無くさないようにしなければなりません。)

あるとき同級生のK君が、大学の学校祭の折に自分のド正面全裸を細密に描いた全身像(等身大)を学内で展示したことがありました。K君の勇気もさることながら、多少の物議は醸したものの、フラットにその作品を観ることが出来てしまう学友たちもどこかが麻痺しているか、もしくは解放されているのでしょう。

かくいう私も、裸で体操座りした横向きの自画像を合評に出したことがありますが全然平気でした。後から友だちに「最初はちょっとびっくりした」と言われ、「あっ、そうか。そういえばそうだね」と気づいた感じ。

しかし、そんな図太い(?)私たちも、大学院の先輩が毎回自由課題で出す、しっとりとした雰囲気の裸婦油彩のモデルが、その先輩の彼女だと知った時は、さすがに
「気まずい…」
という感覚を思い出しました。


裸婦を描く理由(個人の見解)

「なぜ美術の世界では、裸婦を描いたり、作ったりするのか」

最初に書いたこの謎の答えは、想像するに沢山あります。
裸婦デッサンに関しては、一種の訓練です。

人体ほど描きごたえがあるモチーフはそうそうありません。骨があり、筋肉があり、脂肪があり、皮膚がある。その複雑な構造を感じながら描くには、服の上からではなかなか把握が難しいのです。

何も見ずに人体を描くのって難しいですよね。
それは毎日見ているつもりが実は全然見ていない(理解していない)から。私も未だに自分の描く人体が、
「下手すぎる…」
と絶望することがよくあります。
もっともっと、枚数を経験して理解を深めたいです。

あともうひとつ、個人的な意見としてどうしても言いたい。

裸婦は、うつくしいのです!!

官能的な場面ではなく、明るい場所で、堂々とポーズをする裸の女性をいちど是非見てください。裸婦は、たとえどんな年齢でも、体形でも、容姿でも、本当に美しいものです。
胸が垂れていれば鎖骨からすべりおちる線の角度が繊細になる。お腹がぽっこりしていたらその丸みが、脚や背の直線との対比になる。
たとえ服を着ていたらバランスが悪いと言われるような体でも、裸になるとそれぞれのパーツがそれぞれに輝くのが不思議な裸婦の魅力です。


日常を切り離し、自由な表現の世界へと描き手をいざなう裸婦モデルさん。

もし生まれ変わったらなりたい職業、個人的ベスト3に入る私の憧れです。



今週もお読みいただきありがとうございました。裸婦についてのお話、いかがでしたでしょうか。

実は、生まれ変わったらといいつつも、一度だけ、夢を叶えたんです。
やったことあるのです。裸婦モデル。
まだ20代前半のころ、美術モデルをしている友人Mさんに憧れを口にしたらあっさり「じゃあ、やってみる?」と、知り合いの画家先生を紹介していただき、その方のひらく小さな絵画教室にて、念願を果たしました。
ポーズ中、黙々と描く生徒のいっぽうで老齢の先生が「いいね~美しいね~」とめちゃくちゃ煽ててくださり、緊張もせず無事つとめられたのですが、帰りの電車で、同行してくれたMさんからさりげなく腹筋を鍛えるDVDを薦められました(笑)。
やはり現世の私には描くほうが向いているようです。

さて来週は、猫の回。
年に一度の大騒動…トムとジェリーをワクチンに連れて行ったお話です。

それではまた、次の月曜に。


画像1

◆今回のおやつ◆
スターバックス:チョコレートチャンクスコーン






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?