はじめまして

年子の姉弟の母をしております。

始まりは婚姻届提出日に長女の妊娠が発覚した事から。3日後にはウェディングドレスを着てかなり脳内がソワソワした状態で結婚式を挙げてました。

長女妊娠の正期産に入った頃、実父が誤嚥性肺炎で余命幾許もないと告げられましたが遠方への移動は難しく医師からの説明を妹1人で聞くのは心細いだろうと電話のスピーカーで一緒に聞き、延命治療はしないと決断するのでした。

そんなソワソワ妊婦、遂に待望の長女を無事出産しその5時間後に実父が亡くなっていた事を翌日に知らされるのでした。

年子を妊娠。順調な妊婦生活の後無事に長男を出産したかと思いきや呼吸不全の為あれよあれよという間に産院から救急搬送される息子を涙で見送り挿管が難しいとされそのまた遠くの病院へ救急搬送されたことを後で知るのでした。

気胸で搬送された息子は結局小顎症、舌根沈下、口蓋裂、水腎症等幾つもの疾患が見つかりピエールロバンシークエンスと診断されました。

舌根沈下による気道狭窄の為、生後1ヶ月で気管切開をしました。

気管切開の提案からオペ実施までその決断に至るまでのあの時の事は今もずっと忘れられない経験で。その術後すぐに行われた長女の1歳半検診で思ってもみなかった娘の発達遅延について指摘され息子の気管切開を耐えたメンタルスレスレの産後1ヶ月の母親に突きつけられたそれはあまりにも鋭利で付き添ってくれた妹の目も憚らず涙が出たのだった。行くんじゃなかったと後悔しかなかった。

待ちに待った息子1歳の時の口蓋裂オペを控えた数日前に娘の保育園の先生から娘の発達障害の疑いについて指摘されオペのピリつきモードのところへ容赦なく斬りかかってくるそのタイミングの悪さに自分の運命を恨んだ。もちろんすぐに行動を起こしたいとこだがこれも手術の付き添い入院中に娘が発達支援デイに通うべく保健師と電話でやり取りをして受給者証の申請に備えたのだった。

こんな感じであまりにも重なって事が起きるのでもうこのわちゃわちゃが自分の運命だと思って受け入れてる。

息子が医療的ケアが必要な事で当然大変なのだけど実は娘がグレーなだけにそれはそれで結構しんどくて🤣

どちらの状態の子を持つという経験は私の唯一の財産であり、とはいえ子の可愛さで幸せに満ち溢れているのは一般のご家庭と何ら変わらないと思いながらも子がいよいよ幼稚園の年頃になり各々の社会の生きづらさを痛感する節目に直面する今日この頃です。

そんな毎日で感じた事やインスタで知り得た息子の疾患に関わる情報や発達障害グレーゾーン事情など一方的にここに綴りたいと思います。





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