HIGH & LOW THE WORST X を観てきた

先週の土曜日に観たのに全然書けていなかった感想をば。

実はハイローシリーズ(と略すのが正しいのかわからないけど僕はそう呼んでいる)はずーっと見ていて、前作も映画館に見に行くくらい好きだった。

EXILEとその下部組織みたいな人たちのことはめちゃイケに出てきたときくらいしか見ない人間だったんだけど、ハイローシリーズきっかけでちょっと名前覚えたりする程度の好き感。

それで早速見に行った。例によってネタバレばっかりで書いていこうと思う。この前書いたNOPEの感想読み返して思ったけど、たぶん観てない人が読んでも何もわからない書き方になると思われるけれども。







漫画のクローズシリーズからそうなんだけど、腕っぷしの強さがあるだけで偉くなれないってことを言うためだけの、競争的なところを一個超越した価値観の主人公が出てくるのはいつも通りだった。


ただ、なんか今までのシリーズ作品であんまり観たことない感じの流れもいくつかあった気がする。

まず、バチバチに意地を張り合って威信をかけて学校同士で争うみたいな流れが消滅して、いがみ合っていたはずの、というかいがみ合って欲しい鈴蘭と鳳仙と同盟を組んでしまう感じ。クロスオーバー作品ならではという感じで、よかったと言えばよかった。

で、同盟を組むに至る要因の一番でかいところが、主人公の人格なのがね。喧嘩が強いのもそうなんだけど、結局人柄がいいやつのところにいい人は集まってきます、みたいなわかりやすい話にしてあった気がした。

ただ、そういう、価値観超越系主人公が個人的には苦手で。

それが本当は何かよくわかってないけど海賊王なるものを目指して航海に出たり、つええ奴と戦いたいつって息子を緑色の宇宙人のとこにほっぽりだしたりするタイプの主人公が。自分の行動が手段であり目的であるタイプの主人公が、個人的には怖い。よくわかんなくて、というか、わかりやすすぎてそんなことある?って、置いて行かれる感じになってしまう。今回のハイローの主人公も若干そういうところがある。


たぶん、僕の一番怖いものは、本質的なところで何も変化しない一貫性みたいなものなのだと思う。主人公の一本筋の通ったところ、といえば格好いいけど、外見とか能力とかが変化したところでそいつの本質が変化しないのが怖い。ブラックホールとか、のれんに腕押しとか、その類の怖さ。逆に、自分をエリートだと思っていたのに、最終的にお前がナンバーワンだって主人公を褒められるようになる破壊王子の方が僕はすごく親しみが持てる。「成長」という概念をどういうものととらえるかとか、その好みの話なのかもしれないけど。


そういう意味で、今回の轟くんとかはかなり好きだったかもしれない。なんで不良の高校にいるのかわからないタイプの眼鏡のキャラなんだけど、喧嘩強いのに頭でっかちで、価値観超越系の主人公に全然勝てないのね。その彼が、いろんな戦い潜り抜けてちょっとずつ変わってきてるのはシリーズ通して見どころの一つだったんだけど、もう今回なんてアリストテレスのフィリアを読んで友愛の勉強をしてたりするのがね。僕は愛おしくて愛おしくて。本なんか読まなくても答えは目の前にあるよって。かわいいんだよね。多分、この友愛とか利他的な感情みたいなものは今回のハイローの大きなテーマ一つでもあったと思う。


で、主人公苦手って書いたんだけど、今回の主人公のことを全く嫌いというわけでもなくて、それはなぜかって、たぶんこの主人公は学習して変化するタイプの主人公だから。


冒頭で単身鈴蘭に乗り込んでいったときに、整理券だ、って食らったケリとか、またやろうぜ、って前代の番長に投げかけられた言葉とか。たぶん、自分が出会ってきたかっこいいと思う人間たちの真似をして、後輩にその姿を見せてやるみたいなことをやっている。自分が出会った格好良さを自分がトレースしていくことで、その集積の先に自分なりの格好良さを見ている感じなのがね。これはすごく新しい感覚な気がした。特に不良主人公にこれをさせるってのが、なんか驚きではあった。


というのも、自分の中にある他人から影響を受けた部分を排していった先にあるはずの主人公性とか、個性みたいなものへのこだわり。そういう何かにどうしようもなく飲み込まれて暴力的な発散を謳歌するのがツッパリとか不良の仕事だと思っていた。でも、今回の主人公は、もうそういうこだわりみたいなものが自分の中に無くても、自分がすごいと思った人たちの何か一部分でも自分の中に似ているところがあればいいなと願いながら戦っているのかもしれないと思った。それで、じゃあそうやって真似っこばっかりできた主人公の到達点がどこなのか、それは明らかにせずに、最後の一言が観客に突き刺さる。「あなたはどうする」って。こうすると格好いいよ、っていうたった一つの答えを何か示すという形は終わりで、もうただ喧嘩するだけじゃ不良もやってけないんだな。



なんてことを、考えたりしました。ちなみに、僕は王道が苦手なのかというとそうでもなくて、ソーダをもらった子供時代の思い出だけで泣きながら友達を守り続けるナイトの彼のシーンで普通に泣いた。なんでそんな奴守るんや、よりも、頑張れ!の気持ちが勝っていたのは、たぶんああいう何でもないようなわかりやすい友愛へのあこがれがあるからかも。



つまりいい加減なんですね僕みたいな人間の価値観て。だから、一貫してるものとか、理想的なものを、あこがれもするし、恐れもするんだな。そんなことを、考えながら観たわけではもちろんないけども、観た後に考えて、ああ、自分シャバいな、もっと格好良くなりたいなと思いました。



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