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ひなたと五十嵐の再会「これがあたしの生きる道」 カムカムエヴリバディ 感想 第22週 2001-2003

ブン・イガラシとの再会

 五十嵐が上映を去った10年後、ハリウッド映画「サムライ・ベースボール」の撮影とオーディションが条映映画村で行われることになった。ひなたは、撮影チームの一員としてやってきた五十嵐と思いがけない再会を果たし、大きく動揺する。五十嵐は条映退職後、実家の会社で働いていたが「ひなたの道」を諦められず、勘当同然でハリウッドに渡り、殺陣ができるアジア人という強みを活かしてアクション監督の助手をしているという。そう語るのは、落ち武者や名もなき浪人の扮装でくたびれ果てた五十嵐ではない。真新しい3ピースのスーツで颯爽と現れた、自信に満ちた顔つきのハリウッド関係者だ。
 オーディションを無事に終え、条映での下積み時代を懐かしんで話す五十嵐に、ひなたは尋ねる。


「あの頃(のふたり)に戻りたいと思う?」
「そう思う時もあるよ」

 愛し合っていながらも別れを選ばざるを得なかった元カレに再会して「あの頃に戻りたい」と言われてしまえば、期待するなと言われるほうが無理である。

「That’s life」

 日本滞在最終日の夜に、五十嵐はひなたを二人きりで飲みに誘う。そして「いかにも」雰囲気の良いバーで「今の自分があるのはひなたのおかげで、とても感謝している。だから結婚を決心することができた」と語る。ひなたの期待は、最高潮に高まっている。ここでふたりが結ばれることを期待するのが視聴者の性だが、そう簡単に話をつけてはくれない。
 五十嵐は、アメリカで出会った女性にプロポーズする予定だと告げる。彼にとって、ひなたは未熟な自分を支えてくれたかつての恋人であり、時代劇を愛する同志である。「自分のひなたの道」を見つけて堂々と歩き始めた今や、未練は残っていなかったのだ。さらに「ひなたには、いい人はいないの」と(悪気なく)追い打ちまでかけていく。
 ひなたは、少し考えてから「私は仕事が楽しい」と一点の曇りもない笑顔で答えた。
 
「私は仕事が楽しい」−これは心からの言葉であろう。「時代劇を救う」という使命を抱いて映画村の業務に当たってきたひなたは、女優・美咲すみれのやけ酒に付き合い、おばけやしきの企画を成功させ、外国人観光客のガイドのために自発的に英語を学習し始めた。時代劇の人気そのものが落ち込み、外国人観光客どころではなくなっても、師・伴虚無蔵の言葉「日々鍛錬し、いつ来るともわからぬ機会に備えよ」を胸に、毎朝のラジオ英語講座に励み続けた。その結果、ハリウッド映画の撮影チームをアテンドする大役に抜擢されたのだ。
 一方で、ひなたは、朝の連続テレビ小説「オードリー」の主人公が、珍しく結婚・出産をしないヒロインであることに自分を重ね合わせて見ているという描写があった。ドラマで描かれていない間にどんな恋愛をしてきたかは与り知らぬところだが、今から20年前といえば、現在よりもうんと女性の結婚や出産について社会的な圧力が強かったと推測される。彼女も意識しなかったわけではないだろう。

 思いがけず復縁を期待したものの、あっけなく二度目の失恋をしてしまった。ひとりで店に残ったひなたは「That’s life」とつぶやき、ぐっとカクテルを飲み干し、少し苦笑する。
「いい人はいないの」と尋ねられたときに、適当にごまかすこともできたはずだ。それでも嫌味ではなく本心から「私は仕事が楽しい」と答えた自分に驚いたのではないだろうか。そのことへの照れや驚きに対する苦笑だと、筆者は感じている。かつて「バカ」と呼んできた五十嵐が「クール」と評するほど、自分は大好きな時代劇の仕事に矜持を持って取り組んでいるのだと。三日坊主で意思が弱く何事も続かなかったひなたが、清濁併せ吞んで「これが私の人生」と言う姿は、彼女が幼少から憧れ続けた「凛として、弱音を吐かず、こうと決めたことは命がけでやりとげる」侍そのもののように見えて、とてもかっこよかった。そして、ヒロインの人生をまるごと肯定し、多様な人生のあり方を描き出してくれるドラマに感謝したいと思う。

五十嵐、オモテへ出ろ?

 バーに誘っておいて、他の女性へのプロポーズの決心を語った五十嵐の行動は「デリカシーがない」「許すまじ」などと、かなりインターネット上で紛糾した。私自身は「まあ五十嵐なんてそんなもんだよね」と感じたところだ。
 道場での再会シーンでも、片づけ後にひなたとふたりきりになるシーンでも、結局五十嵐が語るのは「昔はつらいこともあったけど、全部いまの俺につながってる。ありがとう、俺は自分の道を行くよ」という主張である。ひなたの英語力を褒めたり、昔話で盛り上がるが、それはかつての同志の成長を頼もしく懐かしく思うに過ぎず、基本的には彼は自分の道しか見えていない。だが、神棚を拝み、道場の雑巾掛けを怠らないなど、根本の部分の礼儀正しさは変わらず持ち続けていることがわかる。
 ちょっとかっこつけてはいるが、苦節を味わったことで成長した五十嵐文四郎。さもすれば、ハリウッド帰りの鼻持ちならない人物として立ち現れてもおかしくないが、「あれ、ぶんちゃん、かっこよくなってる!」「これは、もしかして?」と視聴者にギリギリまで感じさせるキャラクター造形は、本郷奏多のバランス感覚の素晴らしさに尽きると思う。

 ただ、少しだけ言及しておきたいシーンがある。バーでひなたに先に帰るように促され「おめでとう」と言葉をかけられた後のことである。五十嵐は何かを感じ取ったのだろう。決心を告げられた安堵感と、久しぶり会えた嬉しさの晴れやかな表情から一変、戸惑いの色を浮かべているようにに見える。このとき、ひなたが自分に期待していた気持ちがあったことに気づいたのであろう。慌てて帰り支度をした五十嵐は、自分に最後にドアの前でひなたに向かって視線を送り、小さく頷いた。これが意味するところが「仕事がんばろうぜ」なのか「期待に応えられなくてごめん」なのか、内実はわからない。ただ、日本に帰ってきた彼が、少しでも心からひなたを思いやったシーンがあったのだと思いたい。
 
PIECES OF A DREAMS

第106話、ひなたがひとりで「大月」の店じまいをしているところに、錠一郎、るい、トミーが帰ってくる。このときラジオから流れている曲が、CHEMISTRYの「PIECES OF A DREAM」2001年に発表された彼らのデビュー曲である。

ハンパな夢のひとカケラが 不意に誰かを傷つけていく
臆病なボクたちは 目を閉じて離れた

この曲が発表されて20年余り。発売当初、私は小学生で、二人の歌声や曲の雰囲気はとても好きだったものの、歌詞の意味は(未だに)ピンと来ないままだった。

だが、今日の放送で「ああ、これは五十嵐の曲だったのか」と深く納得した。

五十嵐は時代劇俳優の道を諦め、条映を去った。
決して、彼の努力が足りなかったわけではない。どれだけ稽古に励んでも役との巡り合わせはあるし、時代劇をとりまく状況を鑑みれば、モチベーションを保つのが困難であったことに同情は禁じ得ない。
だからといって、虚無蔵のように長年も大部屋に身を置き続けるのが正解とも言い切れない。

だが最後は、バイトや端役にいい加減に取り組んでしまったこと、やけ酒して大物俳優に絡んでしまうなど、自ら作り出してしまったほころびのせいで、納得いくまで取り組むことができなかった。全うできなければ「ハンパな夢」だ。
あるいは、ひなたと一緒にいること・時代劇俳優として大成することのどちらも叶えられない状況のことも「ハンパな夢」と言うことができるだろう。このカケラがひなたと五十嵐を傷つけ、ふたりは別離の道を歩むこととなった。

「PIECES OF A DREAM」は(おそらく)男性が過去をふりかえる視点で描かれているのが特徴だ。過去の痛みを甘受しつつも完全に決別したわけではなく、懐かしんであの頃の青春や「キミ」を思い出している。これは「あの頃に戻りたいって思うときもあるよ」と道場で語る五十嵐がオーバーラップする。
五十嵐と二度目の別れを経験したばかりのひなたが、曲を聴いて何を思ったのか、思わなかったのか。

この曲は次の歌詞で終わる。

キミは今何してる?
月がボクたちを見ている

カムカムエヴリバディにおいて「月」は、大月家をとりまく重要なシーンで描かれてきたモチーフだ。
(錠一郎が定一に見つけてもらった日、るいが錠一郎を想うとき、るいと錠一郎が家族になった日など)
ひなたと五十嵐は、再び、はっきりと別の「ひなたの道」を歩むことになったが、大月家のモチーフである「月」が優しく照らして見守っているよというメッセージにも思えるのだ。

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