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25時、ナイトコードで。「ザムザ」考察(2023/4/6更新)


 当記事をご覧の皆さま、ありがとうございます。羽紗と申します。3月28日に公開された「ザムザ」、皆さまもうお聴きになりましたでしょうか。色々と衝撃のイベントストーリーで、ユーザーに大きな衝撃を与えたかと思います。もうワカメとか言ってないとやってられないくらい言葉にできないものでした。

 本日は表題の通り「ザムザ」の考察記事となります。discordサーバーのメンバー達とアフターライブを見ていたところ、ひとりがこんな事を言い始めたのです。

 「この曲の元ネタ、カフカの「変身」から引っ張ってきてるんじゃね?」

 お前普段何食ってんだよ、と言っときました。

 閑話休題。

 さて、上に出てきたカフカの「変身」ですが、実に風変りな作品なのです。青空文庫でも読めますので、是非ご一読下さい。

 今回の「ザムザ」は、この作品に登場する「グレゴール・ザムザ」が元ネタとして使われているのではないか?という事で引用しています。歌詞の考察に入る前に、まずは元ネタの「変身」について触れていきましょう。

フランツ・カフカ「変身」の概要について

 グレゴール・ザムザはある日突然、自分が虫(毒虫)になっている事に気付いた。その姿を見た家族や仕事先の店の支配人はパニックに陥った。
 妹のグレーテがグレゴールの世話をしており、そのうちにグレゴールは壁や天井を這い回る習慣を身につけ、這い回るスペースの確保のため、妹は家具を退かす事にした。しかしグレゴール自身は人間であったころの痕跡を残したい思いもあり、意思表示のため雑誌に貼り付き行動に出た。しかし、それを見た母親は気絶。その後、父親は虫になったグレゴールにリンゴを投げつけた。そのリンゴが影響で、グレゴールはまともに動けなくなってしまう。
 リンゴはグレゴールの背にめり込んだまま彼を苦しませ、やがて妹もグレゴールの世話を熱心にしなくなっており、グレゴールの世話は雇われた老いた大女(手伝い女)がするようになった。
 そんなある日三人の紳士がやってきた。妹のグレーテにバイオリンを演奏するように言うがすぐに興醒めしてしまう。一方のグレゴールはその演奏に感動し、部屋から這い出てしまう。三人の紳士の目にグレゴールの姿が入らないよう父親が必死に三人を部屋に押し込もうとするが、それに対して紳士は無礼であると怒り、これまでの下宿代も支払わないと言い家を引き払ってしまった。
 家族は失望し、グレーテは「グレゴールを見捨てるべき」として父親もそれに同意する。一方のグレゴールは、その家族の姿を見たのちに絶命。その後グレゴールは手伝い女によって片付けられた。
 家族たちは休暇をとることにした。グレーテがいつの間にか美しく成長している事に気付いた夫妻は、婿を探してやらねばと考え始めた。

 また作曲を手掛けたてにをは氏は、ワンダショちゃんねる向けのメッセージとしてこのような事を残していました。

 「25時、ナイトコードで。」いい名前ですね。ハードボイルド小説の一行目か最後の行みたいで、つい口にしたくなる不思議な魅力があります。そんな素敵な名前にむざむざ負けてなるかと張り切った結果、大変魅力のある曲ができました。この曲を贈ります。どうぞ大切にしてやってください

※ハードボイルド:暴力的・反道徳的な内容を、批判を加えず、客観的で簡潔な描写で記述する手法や文体のこと。 

 ここにはどんな意図が込められているのでしょうか。真の意図は作曲者のみぞ知る。

【追記(2023/4/6)】
フルバージョンが公開された事により、歌詞や考察等の加筆修正を行いました

 さて、それでは本題へ。歌詞の方へ行ってみましょう。
 イラストやストーリーの考察については公式discord等でも行われているため詳しくはそちらを参照まで。

歌詞

使い古した自分の名前にあえてキッチュなルビを振って
高潔を打ち負かせるくらいに恐ろしくなる骨の髄まで
今はどんなふうに見えてますか?醜いですか?それはそっか
どうか林檎を投げつけないで
胸にLock up Lock up ザムザ

「鏡をご覧」誰かが囁く
うまくいったら儲けものさ
甘い言葉も笑顔も通じない
走り出したらもう獣だ
月の真下をうろつきながら考えてた夜すがら
悪夢にどの指立ててやるべきかってね

ズキズキズキ 『ズキズキズキ』
ズキンズキンズキン 『ズキンズキン』
ズキズキズキ 『ズキズキズキ』
ズキ ズキ ズキン
変われ

誰だって魂辛辛
痛みと怒れる人(ラングラー)を喰らったったらった
だのに何故だろう今も
ズキズキズキって
派手な尻尾を引き摺りゆく
ザザザザ ザムザ
「現実はもういい」なんて云うなよザムザ
おーいえー

「ごめんね。ちっとも上手に生きてあげられなくて」と伝えて
否定形の笑顔でも欲しくてニンゲン様なりきってる亡霊
自分の弱音に相槌ばかりだった
当然あなたとまともにケンカもできなかった

ズキズキズキ 『ズキズキズキ』
ズキンズキンズキン 『ズキンズキン』
ズキズキズキ 『ズキズキズキ』
ズキ ズキ ズキン
変われそうにないやいや

冗談じゃない夢を食べないで
ズキズキズキ
小洒落た絶望を歌ったったらった
どうしようもない成れの果てでも
ズキズキズキって
いつか愛しい歌になるさ
ザザザザ ザムザ

ねえ123で飛んで ザザザザ ザムザ
一切合切蹴っ飛ばして ザザザザ ザムザ
あとがきで触れられもしない日々
ここで逃げ出したら 本当にそうなりそうだ

誰だって魂辛辛
痛みと怒れる人(ラングラー)を喰らったったらった
だのに何故だろう今も
ズキズキズキって
林檎をかじるようにザザ ザムザ
どうしようもない成れの果てでもここにいる
シャガの花に毒されても
光は1時の方角にある
今は尻尾を引き摺りゆけ ザ ザ ザ ザ ザムザ
だから「現実はもういい」なんて云うなよ ザムザ
おーけー?

歌詞考察

◆使い古した自分の名前にあえてキッチュなルビを振って
 ○使い古した自分の名前→良い子の「朝比奈まふゆ」の姿、もしくは「雪」という仮の名前
  キッチュ:俗悪。下品で醜いさま。
  ルビ:ふりがな
 →偽りの自分(=使い古した自分の名前)を、周りからの期待に応えるためにわざと演じている(=キッチュなルビを振る)

◆高潔も打ち負かせるくらいに恐ろしくなる骨の髄まで
 高潔:気高く立派で、汚れのないこと。
  高潔を打ち負かす
   =「良い子のまふゆ」像をぶち壊す
もしくは
  高潔=まふゆの母親?

◆今はどんな風に見えてますか?醜いですか?それはそっか
 ○どんな風に見えてますか?醜いですか?
  →「嫌だ」と本心を打ち明けたまふゆ自身の姿が「どんな風に見えているか?醜いだろうか?」と問いかけている
  →母親に対して本音を言った事で見捨てられてしまうのではないかと恐れ、問いかけをして顔色を伺っている(まふゆにとって母親は完全悪ではないため)
 ○それはそっか
  ・3DMVの瑞希の表情乾いた笑いを含んだ歌い方から推測するに、諦めの念が込められているように思える(=醜いに決まっている、聞くまでもなかったな)。
  →まふゆにとっては、母親に歯向かう事は悪であると考えている可能性から。
 ★瑞希パートである事から、瑞希の秘め事とも掛けられている節がある。深い人間関係の構築を初めから諦めている瑞希の心理描写。

◆どうか林檎を投げつけないで胸にLock up Lock up ザムザ
 ○どうか林檎を投げつけないで
  →カフカ「変身」の第二章に関連するものと推測できる。
 「・・・・・・それはリンゴだった。すぐ第二のが彼の方に飛んできた・・・・・・(中略)・・・・・・すぐそのあとから飛んできたのがまさにグレゴールの背中にめりこんだ。・・・・・・」
 →グレゴール・ザムザは林檎をぶつけられた怪我によって、一ヶ月以上も苦しんだと書かれている。

 ★つまり、林檎を投げる事は長きに渡って相手を苦しめる事に繋がると考えて良い。今回のストーリーに照らし合わせると、林檎を投げるとは「まふゆの母親の娘への愛」のようにも感じられる。
 ここでいう愛とは、一般的に想像される家族愛とは異なるもので、何とも言葉にし難いものである。
 便宜上ここでは歪んだ愛と表記するが、こうした歪んだ愛情を注がれるのを拒む事と歌詞上の「林檎を投げつけないで」はイコールとなりうるのかもしれない。
 ※ただし元ネタの「変身」では、父親はグレゴールに対して明確な嫌悪感を持って林檎を投げつけている事から、「愛情の有無」という点では若干のズレは生じるものの、あくまで「元ネタ」であるという事を前提とするならば多少ズレてくるのはよくある事だろう。

 ○胸にLock up Lock up ザムザ
  Lock up=閉じ込める
  →胸の奥に本当の自分を閉じ込めるさま

◆「鏡をご覧」誰かが囁く 上手くいったら儲けものさ
 ○「鏡をご覧」誰かが囁く
 3DMVの振り付けが、まふゆとカイトで合わせ鏡のようになっている。
 →まふゆの心理を表したものか?
 ・ニーゴカイトは二つ名にもあるように「怒り」と深く関係した立ち位置である事から、まふゆの中に芽生えた「怒りに似た何か」を写し出す鏡の表現?
 ・誰か=ニーゴカイトか。
  →「鏡をご覧」は「自分に嘘をつくな」「いい加減、目をそらすのはやめろ」など、まふゆに対して「現実(または真実、本当の想い)と向き合え」と強く訴えているかのような彼の発言を彷彿とさせる。

 ○上手くいったら儲けもの
 「上手くいったら」=まふゆの母親との話か。
  →「もし上手くいかなかったら」と最悪のケースも想定し、実際決裂しているストーリー描写。
  儲けもの:思いがけず得られた利益
  →思いがけず話が上手く進む可能性もあるかもしれない。

 母親と話を行う前は「まふゆの夢」や彼女の母親について知らなかった事もあり、まふゆのためには何が正しいのか悩む描写もあった。
 →ニーゴとしてまだ活動してくれるかもしれないという僅かな可能性の意図?

◆甘い言葉も笑顔も通じない 走り出したらもう獣だ
 ○甘い言葉=誘惑。瑞希のカードイラストは、背景に甘いお菓子などがあり、そこに誘い込んでいるようなものである。
 ○笑顔→建前の笑顔
  誘惑を悪とし、笑顔にも動じない相手とは、朝比奈まふゆの母親本人である。
 ○走り出したらもう獣だ
 ・走り出す=「良い子」でなくなること、もしくは朝比奈まふゆの母親の行動
 ・獣=「想いを殺して生きる事ができないのなら今みたいに噛みつけ」という旨の台詞をカイトが発言した事と掛けられている節がある。
 走り出した獣に理性は無く野生のカンだけで動く事から・・・
 「走り出したら獣はその勢いを止めることはできない」
  →「良い子を捨てたらもう後戻りはできない」事を暗喩

 ○母親視点で言うのであれば、「娘から自由を奪い食らいつく獣」の比喩。

 余談だが、獣になってしまい人間としての自我を失ってしまう物語として、中島敦の「山月記」がある。それを意識したようなフレーズにも聞こえる。
また、前述の「儲けもの」と韻を踏む表現にもなっている。

◆月の真下をうろつきながら考えてた夜すがら
 ○まふゆの母親との話を控えた奏の心理描写
  →まふゆのために、自分には何が出来るのかを考えていた。まふゆとカイトのやり取りを見た後、「苦しんでいる事を分かってもらえるように伝える」と決意。

◆悪夢にどの指立ててやるべきかってね
 ○悪夢=まふゆの母親の歪んだ愛の比喩か。
 ○どの指立ててやるべきか
  →特に想像しやすいのは、中指だけを立てるハンドサインだろうか。悪夢に対して反抗心を剥き出しにしてやるという意図が考えられる。

 絵名とまふゆの母親は、電話越しではあるが直接話をしている。絵名の性格から推測するに、奏のように相手の出方を伺って慎重に立ち回る行動をとる事はあまり考えにくい事から、「指を立てる」という攻撃的な表現が成されているか。

◆ズキズキ・・・・・・
 まふゆ→絵名→瑞希の順番に「ズキズキ」のフレーズが歌われていく。
 この部分でカイトも「ズキズキ」と繰り返している事から、カイトは「痛みを与える者」もしくは「痛みそのもの」の役割を果たしている事が考えられる。

◆変われ
 カイトが「ズキズキズキ」と歌いながら奏の背後に立つものの、奏は「変われ」という歌詞を歌っており、唯一「ズキズキ」というフレーズを歌っていない
 ┗奏は自分自身が感じているはずの痛み(=苦しみ)に気付くことができていない
 →自分も救われたいと思っているはずなのに、それに気付けていない事の暗喩か。
 そして、痛みを感じているはずなのにそれに気付いてないうえ、自己犠牲の精神の中で誰かを救おう(痛みを痛み以外のものに変えよう)としている奏の姿を表したものか

◆誰だって魂辛辛 ズキズキズキ
 ○魂辛辛(からがら):「命からがら」を元とした造語?
 ○辛辛:困難な事を成し遂げた際、そこに余裕が殆ど無かったさま。
  →なんとか魂だけは失わずに、痛みを感じ続けながらも、やっとの思いで生きている
 ○「誰だって」=ニーゴのメンバー全員を指すものか

◆痛みと怒れる人(ラングラー)を喰らったったらった
 怒れる人=【Wrangler】(喧しく、あるいは怒って論争する人)か。
 怒って論争するというのは、恐らく「家族喧嘩」を意味する。高校生ほどの年頃ともなると、まだ反抗期である家庭も少なくないはず。朝比奈家にはそんなものは存在せず、あるのは「理想の家庭」。
 しかしその理想の裏には、娘であるまふゆの心の痛み(=本音を言うことが出来ないこと)が伴っていた。・・・のだが、その痛みすら包み隠そうとするまふゆの姿がそこにはあった。
 つまり、本音を包み隠す事によって、自分の心の痛みも、「親子喧嘩」という普通の家庭ではありがちな光景も、全て喰らってしまった

◆だのに何故だろう今も ズキズキズキ
 派手な尻尾を引き摺りゆく ザザザザ ザムザ

○だのに何故だろう今の ズキズキズキ
  →母親に背く事は必要である事だと分かっていても、心の痛みを感じている自分がいる
  =まふゆの中で、母親は絶対悪ではない事の表れ
○派手な尻尾
  →グレゴールが毒虫に化け這い回っていた事に掛けられたものか
  派手:ニーゴのカラーリング?

◆「現実はもういい」なんて云うなよザムザ おーいえー
 ○「変身」の作中、ザムザ一家はグレゴールの存在を失ったものと扱うようになっていった。グレゴールは「自分の死」が家族を苦しみ等から解放する事であると確信。やがてグレゴールは衰弱して死んでしまい、手伝い女がその最期を話そうとしても家族は拒絶するかのような様子であった。
 →グレゴール・ザムザは、毒虫と化した「現実」を受け入れざるを得なかった
 =まふゆはまだ全てを諦める時じゃない。わたしが絶対に救ってみせる。

◆「ごめんね。ちっとも上手に生きてあげられなくて」と伝えて
 ○「ごめんね。~あげられなくて」
  →まふゆの想いのひとつ。「医者になったらいい」という期待に応えられなくて音楽をやめられなくてごめんね
  「上手に生きる」は、恐らくまふゆの母の期待に応えて生きる意味か。
 =「良い子」になれなくてごめんね。お母さん。

◆否定形の笑顔でも欲しくてニンゲン様なりきってる亡霊
 ○否定形の笑顔でも欲しくて
  →周囲や母親からの期待に応えれば皆笑ってくれる。それならその方が良いはずだ。
  =まふゆにとって母親が絶対悪でないことの表れ
○ニンゲン様なりきってる亡霊
 =「良い子」の朝比奈まふゆ

◆自分の弱音に相槌ばかりだった
 →自分の事が「わからない」事を良しとしていたばかり
 =「わからない」ままでも良いんだと肯定し続けて生きてきたこと

◆当然あなたとまともにケンカもできなかった
 「あなた」=母親
  →家族とぶつかることなく、自分の本音を押し殺して生きてきた。それゆえに親子喧嘩の機会すらなかったと振り返るもの。
 「できなかった」=本当はしたかった?
  →まふゆにとって母親が絶対悪では無いことの表れ

◆変われそうにないやいや
 →変われそうにないと諦める想い
 →変われない事が「嫌」というほんの僅かな想い

◆冗談じゃない 夢を食べないで
 ○夢を食べる
  =夢を(他人の)思うがままにされる
  →母親によって自分の夢を蔑ろにされたくない想い

◆小洒落た絶望を歌ったったらった
 ○小洒落た絶望
  =まふゆの人生のこと?
  小洒落た:文武両道、成績優秀な姿
  絶望:その姿は痛みを伴った上で出来上がった姿である

◆どうしようもない成れの果てでも ズキズキズキって
 「成れの果て」:落ちぶれて行きついたその先。
  →成れの果てと化しても痛みを感じている
 =まだ貴方は「感じる」ことが出来ている。何も感じられないなんてことは無い。

◆いつか愛しい歌になるさ ザザザザ ザムザ
 ○愛しい歌
  →そんな事もあったなと言える日が来るはずさ
  =今の辛い日々も思い出として振り返ることが出来るくらいにしてみせるという奏の覚悟?

◆ねえ123で飛んで ザザザザ ザムザ
 一切合切蹴っ飛ばして ザザザザザムザ

 ○123で飛んで
 →グレゴールが毒虫のまま死んでしまった事と掛けられているか。
 =毒虫(地を這う毛虫のような虫?)のままではなく蝶のように自由に飛んでいって欲しい
 
○一切合切蹴っ飛ばして
  →立ち塞がるもの全てを蹴っ飛ばす
   =「本当の自分」の妨げになる存在を打ち倒す

◆あとがきで触れられもしない日々
 ここで逃げ出したら本当にそうなりそうだ

 ○あとがき:作者の感想や想いなど。
 →まふゆの今の人生は、物書きにすら触れられないほど印象に残らない人生に見えていることの例え?
 →たとえまふゆが消えてしまったとしても、自分を押し殺し続けた事は誰にも知られる事はない
 =自分を押し殺し続け期待に応え続けることは決して(まふゆにとって)プラスではない
  →逃げ出す(=抗う)ことをやめたら本当にそうなってしまいそうだ。

◆誰だって魂辛辛 ズキズキズキ
 痛みと怒れる人(ラングラー)を喰らったったらった
 ※上記同歌詞を参照。

◆だのに何故だろう今も ズキズキズキ
 林檎を齧るように ザ ザ ザムザ
 ○林檎を齧る
  →知恵の樹の果実(リンゴとされることが多い)を、神の言いつけに背いたアダムとイヴが齧った描写から引用されたものか。
  →林檎を齧るように=言いつけに背く事の比喩
 ○だのに何故だろう今の ズキズキズキ
  →母親に背く事は必要である事だと分かっていても、心の痛みを感じている自分がいる
  =まふゆの中で、母親は絶対悪ではない事の表れ

◆どうしようもない成れの果てでもここにいる
 ○成れの果て
  →本音を伝えたくても伝えられない、若しくは伝えても意味がなくどうしたら良いのか分からずにいるまふゆの姿を暗喩したもの?
  =たとえそんな姿だったとしても、あなたはまだ生きている

◆シャガの花に毒されても
 ○シャガの花:アヤメ科アヤメ属の植物。根や茎に毒性がある。
  ※カードイラストやジャケットイラストにも使われている花
   →恐らくシャガ=母親の歪んだ愛情という暗喩か
  =歪んだ愛情によって毒された(=感覚が狂ってしまった)としても

◆光は1時の方角にある
 ○
1時の方角
  深夜1時は25時。25時にまふゆがいる場所は「ナイトコード」。
   今、まふゆにとっての光(希望)はナイトコードにある。
 
※一時の方角3DMV絵名が指さす方向は、時計の文字盤の「1」にあたる。

◆今は尻尾を引き摺りゆけ ザ ザ ザ ザ ザムザ
 ○尻尾を引きずりゆけ
  →「変身」の中で、グレゴールが毒虫になった事と掛けられているものか(長い尻尾のついた虫?)
  =まだ這いつくばってでも踏ん張る時だ。

◆だから「現実はもういい」なんて言うなよ、ザムザ おーけー?
 =だからもう、消えたいだなんて言わないで。必ず救ってみせるから、それまで待っていて。お願い。

「ザムザ」とは誰なのか?

 この項目は、本題の歌詞考察とは離れたオマケのようなものと考えて頂けると幸いです。

 散々歌詞や考察に登場した「グレゴール・ザムザ」。彼は元々かなり稼いでいた唯一の働き手であり、家族にとっては欠かせない存在であったはず。彼が毒虫になってしまった途端、当初は妹・グレーテによって世話をされていたものの、人間だった頃の痕跡を残してほしいという自らの意思を伝えようとグレゴールが行動を起こしたところ、手のひらを返したかのように疎外されていくようになったのでした。

 まず第一に、歌詞「グレゴール・ザムザ」=「朝比奈まふゆ」を仮定する。
 そうすると、りんごを投げつけた父親を含めた家族は「本当のまふゆを知った後のまふゆの母親」であり、世話をしていた頃のグレーテ(グレゴールの妹)は「宵崎奏」という事になるのだろうか。
 しかしながら、最終的にグレーテは「グレゴールであった毒虫を消す」事を提案し父親もそれに賛同。彼の最期を知るのは雇われの身である手伝い女のみ。こうした物語の結末を考えると、グレーテと手伝い女を掛け合わせた存在こそが「宵崎奏」と言えるのかもしれない、という推測に留まる。

 そして第二に、奏視点から考えた場合。
 ストーリーの描写からして、「グレゴール・ザムザ」=「まふゆの母親」であると考えられる。奏は、まふゆの母親は「まふゆの事を考えていない」とし、自らの中にある「親のイメージ」と全く異なっているとした(奏にとっての親は「子を尊重し、守ってくれるもの」である)。
 ナイトコードで連絡をとっていたまふゆの母親像は「本当にまふゆの将来を想って連絡をしてきたのかもしれない(ただし、奏はまふゆの意思を尊重したい)」という子を想う献身的な母親像があったものの、対面して話をしたところ、全くそうではないと結論付けていた(まふゆの意思を尊重しているように感じられない事などから、疎ましい存在となり得るのではと考えた)。
 こうした考えの移り変わりは、「変身」の作中で見られるグレゴールに対する扱いの変化と似たものを彷彿とさせる。

 そして最後に、まふゆの母親視点から考えた場合である。
 彼女にとっての「グレゴール・ザムザ」は「宵崎奏」
であり、「まふゆと共に音楽をしている者達」とも考えられるかもしれない。グレゴール・ザムザとは、最終的に疎まれるものに変化する事から、まふゆの母親にとって「まふゆから離れない」と言い放った奏の存在は、「まふゆの夢の邪魔をする疎ましい人間」であると定義づけられているに違いないはずだ。

 このように、視点が変われば「グレゴール・ザムザ」が誰に当てはまるのかというものも変化するのが分かる。それゆえ「ザムザとはだれなのか」という定義づけが出来るかと問われれば、YesでもなければNoでもないように思える。

さいごに

 今回、てにをは氏が手掛けた「ザムザ」という楽曲。ストーリーも衝撃的でしたが楽曲自体もかなり強烈な印象を残すものでした。
 次回のニーゴ箱バナーが周期的にはまふゆなのでは?と勝手に妄想している中、次なる一手がどのように指されるのか不穏でなりません。
 そして今回考察に協力してくれたdiscordサーバーのメンバーの方々には感謝を。殆ど私は何もしてませんね。
 あっ。たまには安心して見られるニーゴの箱イベントをください。ちなみにボイスドラマみたいなやつで良いですよ。小悪魔ビームください。びびびびび。

 という事で、心がズキズキするのでこの辺で考察記事を締めたいと思います。それでは皆様、また次回のバナーにてお会い・・・できるといいな。

 また。

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