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25時、ナイトコードで。『トリコロージュ』を考察

当記事をご覧の皆さん、ありがとうございます。うさやろうと申します。
元々抱えていた腰痛が酷くなって体をぶっ壊しまして休職していますが、プロセカくんへの課金がやめられません。皆さんはマネしないでください。

閑話休題。

さて、本日は「トリコロージュ」について。
1月の下旬開催の「いつか絶望の底から」にて実装された、煮ル果実さん作詞作曲の書き下ろし楽曲だ。

この楽曲の中では「宝石」やそれに纏わる単語がたくさん登場する。
煮ル果実氏曰く、宝石の部分書くの死ぬほど苦労しましたとの話。きっと2番のアレ。
上記に公式MVを2件埋め込んだのでぜひ。

今回この記事で行っていくのは、「25時、ナイトコードで。」との関連を強めながらの考察・解釈となる。あくまで私の独断と偏見で考察を進めることが多いがお許しを。


1番

○「この生活の虜になっちゃうよ Lady

「25時、ナイトコードで。」の今まで(いつか絶望の底からまでの範囲とします)のストーリーを振り返りつつ、曲のこの後の歌詞も踏まえて考えられるのは
「この生活」=「誰かに救われる生活」
此処で言う誰かとは、奏を除くニーゴメンバーから見れば「宵崎奏」という存在なのかもしれない。また、奏から見れば「メンバー全員」を指しているのかもしれない。「互いに互いを救い合う」という生活の「虜」になってしまっているという意味合いなのかも。

辞書的な意味としては下記の通り。
「虜になる」=心を奪われ離れられない思いになる

そして最後の「Lady」というフレーズ。この曲では特によく登場する。

トリコロージュを聴いた方々の一部が「mayday」に聞こえるという事を口を揃えて言っていたのを思い出す。確かに公式版でもプロセカ版でも、「レディー」とは言わず「レーデー」と発音させているのが分かる。
ちなみに「mayday」は船や飛行機の救難信号で、「助けに来て」という意味。
ニゴラジにて「煮ル果実さんが言葉の表現を特に大切にする方」という話はかなりされていたが、その中で「Ladyはレーデーって歌ってくださいと言われた」という話があった。
こうした点から、「Lady≒Mayday」の可能性が濃厚かもしれない。この後もこのフレーズは繰り返し登場するが、Lady≒Mayday説を推して話をしていく。
似たような談で「生活は「せいかつ」でなく「せーかつ」というように歌って欲しい」というような希望もあったとニゴラジで語られていた。これも恐らく何かしら言葉としての仕掛けがあっての意図だろう。
分かった人教えて。

○「光を失ったおさがりの宝石を永久に纏ってく
「光を失ったおさがりの宝石」とは何を指しているのか、ひとまずバナーに合わせて奏ちゃん視点で考えてみることにしよう。
「おさがり」は、身内から譲られるお古のイメージがある。兄・姉から服のおさがりが譲られた・・・なんて経験があるかもない。僕は一人っ子。
奏ちゃんに兄・姉に当たる身内はいないため、恐らく「父親から譲られた何か」と考えるのが自然かもしれない。

ここで奏の父親を思い出してほしい。彼女の父親は作曲家。そして奏自身もまた、音楽を作る才能に溢れていた。
―となれば、「譲られた」というより「遺伝的に(?)受け継がれた才能」を「おさがりの宝石」と表現しているような気もする。
つまり「おさがりの宝石」=「父親から継がれた奏の音楽の才能」のことだろうか。
光を失った」=奏にその宝石(作曲の才)を引き継がせた父親の現状
現在奏の父親は音楽を作る事が出来なくなっているため、それを光を失ったと表現しているのかもしれない。
そしてさらにそれを永久に纏っていくとあるので、奏自身が「音楽を作り続ける」事を永久にやめないような、そんな意味合いのようにも思える。

○「救われたあの日から 救いが義務になるなんて

「救われたあの日」=メインストーリー第19話であると考えている。
まふゆが自分の想いを見つけ、誰もいないセカイに新たな音楽が誕生したあの瞬間。
奏が「作り続ける」とまふゆに誓ったあの日。
そしてまふゆが「もう少し探してみようかな」と消えない事を決意したあの日だ。

奏自身が救われる術は曖昧だが、彼女にとっての使命は「誰かを幸せにできる(救える)曲を作り続けること」。まふゆが奏達の目の前から消えずにいてくれた事で、奏は心のどこかでほんの少しだけ救われた気持ちになっていたのかもしれない。
そしてその日から「救いが義務になる」という事であるから、まふゆを救える曲を作り続ける事を表していると考えて良い。

奏の中では「救えたらいいな」でも「救いたい」でもない。

「救わなくちゃ」なのだ。

○「まるでフィクション トレパネーション 受けた気分になってんだ

「フィクション」=幻想、虚構、一般に事実でないものを事実らしくつくり上げる事
「トレパネーション」とは穿頭術(頭蓋骨に穴をあける)の事で、神を絶対視する思想のもと行われた治療法。トレパネーションを受けた患者は、気分が高揚したり、意識が明瞭になったりというような効果があったとの話。
それを受けた気分になっているという事であるから、とにかく高揚した気分に浸って、まるで幻想の中に居るような気持ちであるという意味合いか。

○「足枷と腐りに縛られて たった一度の光出会うため
この部屋でずっと忘れた 何かを待つ囚人


「足枷と鎖に縛られて」=奏自身の「呪い」
呪いとは、父親のものとまふゆのものの2つ。どちらも「曲を作り続けなければならない」という呪縛。
「たった一度の光出会うため」=誰かを救う事。ストーリーの流れなどを考えると「まふゆを救う事」か。
「ずっと忘れた何か」=奏自身の救い、もしくは過去の記憶
前述の通り、奏が救われる術が唯一曖昧なのである。そして奏自身が、幸せだった過去の記憶を閉ざしてしまっているという描写も何度もあった。
つまり、自分自身も救われたいはずなのに、その救われる術を忘れてしまっているという事だろうか。それを待つ囚人との事で、「囚人」は奏の事かもしれない。

○「出されたものは 満遍なく残さず平らげて
優等生な屍人 誰よりも無個性だった

"優等生"という単語から見るに、このフレーズはまふゆを指しているものとして考える。
「出されたものは満遍なく残さず平らげて」
 =周りからの言葉を全て受け止めて、周りの望む自分になろうとしている様子
「優等生な屍人 誰よりも無個性だった」
 =周囲の言葉を受け止めて「(周りが望む)優等生」になった自分はまるで屍のように無個性だった

○「住めば都って暗い歌 また何度も何度も吐き捨てて
挙句の果て 食べる行為が それ自体が苦手になった

前フレーズの続きでここもまふゆの事について述べられたものとして考える。
「住めば都」=慣れてしまえば苦にならない事
 →慣れてしまえば苦にならないと自分に何度も吐き捨てて(=言い聞かせて)
「挙句の果て 食べる行為がそれ自体が苦手になった」
「食べる行為」=周りの意見を受け止める行為
 →言い聞かせ続けた結果、周囲の言葉を受け止める事が苦手になった

○「夜中 ふと目に映った きらめく仮面の舞踏会

「夜中」「きらめく仮面の舞踏会」=25時にナイトコードで集まること。
仮面とされているのは、お互いに顔も名前も知らない事の表現だろうか。

○「馬鹿らしいほどに 狂おしいほどに 年甲斐も無く惹き込まれたら

学校生活で楽しみを見出すのではなく、「ナイトコード」でKと共に作業する事に惹き込まれていくまふゆの様子

○「この生活の虜になっちゃうよ Lady
「よく似合ってる」ってさ 「おあつらえ向き」ってさ

 
冒頭で述べられなかったが、Ladyをmaydayとして考えると、生活の虜になってしまう事から助けを求めているようにも思える(生活の虜になってしまう、助けてというような感じ)。
(自分を犠牲にしてでも)誰かを幸せにできる曲を作り続ける生活という意味もあるのかもしれない。そしてその虜になるという事は、それ無しでは生きられなくなってしまう様子。助けを求めているのは、奏も心の中で救いを求めている事からだろう。そしてそれを踏まえると次のフレーズは
「よく似合ってる」「おあつらえ向き」=誰かを幸せにできる曲を作り続ける生活に対する言葉となる。
奏が父親のお見舞いに行った時に「悲しむ資格なんてない」「お父さんをあんなふうにしたのは私」と自分を追い詰める描写があるので、それに基づいて書かれた歌詞であると推測される。

○「その後のことは見向きもしないくせに
「その後」=救われた後の人
「見向きもしない」とあるので、「救われた後の人には見向きもしない」という事になる。救われるまでは一緒に居てくれるけど、救われた後は放り出される・・・そんな意味合いなのだろうか。しかしその「救う」立場にいる人間が奏であると考えるとそうは考えにくい。
だとすれば「その後」が指しているのは「奏の曲によって救われた不特定多数の誰か」か。
「救われた誰か」は「皆を救い続けたにも関わらず、自身はずっと救われないまま苦しみ続けている奏」の事なんて見向きもしないのに、という意味なのかもしれない。
ちなみにセカイverではこのフレーズをまふゆが歌唱している。

○「生活の虜になっちゃうよLady Lady
痛みだってさ 癒えぬ傷だってさ すべて生きてくため 乗り越える試練
他愛もないことでしょう

「生活の・・・」=自分を犠牲にしてでも曲を作り続ける生活をしなければ生きていられなくなってしまう、誰か助けて

「痛み」「癒えぬ傷」=奏にとっての過去のトラウマ
父親が今のような状態になったのは自分のせいだという事実は変わらないと考えている奏にとっては、それによって生じた心の「痛み」も「傷」も背負って生きていくものであると考えているだろうし、取るに足らない(=他愛もない)ことなのかもしれない。

2番

○「少し欠けてるピンクオパール 迷子になったアイオライト
埃を被るトパーズ 孤独なアメトリンもみんな

これらの宝石が、ニーゴの皆に当てはまるような宝石であるという話はファンの間では有名な話。
ピンクオパール=奏 アイオライト=まふゆ
トパーズ=絵名   アメトリン=瑞希
と、以上の通りだ。
宝石は、花と同じようにそれぞれが持つ「宝石言葉」というものが存在している。宝石言葉は色々あるので、それっぽいのだけ書き記すものとする。

ピンクオパール:「希望」「真実」「友情」
アイオライト:「道を示す」「自己同一性」
トパーズ:「成功」「希望」
アメトリン:「調和」「安定」「光と影」

少し欠けてるピンクオパール
 =(自身の)希望を上手く見いだせない奏の姿
迷子になったアイオライト
 =自己同一性を見失ったまふゆの姿
埃を被るトパーズ
 =自身の成功(認めてもらう事)に苦悩する絵名の姿
孤独なアメトリン
 =自分を理解してくれる人を求める、光と影の二面性を持った瑞希の姿

と、このような感じになる。

「導いてもらう(奏に救ってもらう)」事で再び「道を示す」事が出来るようになるアイオライト。
「埃を払う(奏に認めてもらう)」事で再び「希望」を持てるようになるトパーズ。
「本当の仲間を見つける(奏達に本当の自分を理解してもらう)」事で孤独ではなくなり、心の「調和」を取り戻す事が出来るアメトリン。

しかし、「欠けたピンクオパール」は、欠けた部分に宝石を当てがっても、元の輝く宝石に戻る事は絶対にありえない

○「それぞれ着飾って 濁って重くなってって
奈落の底の牢屋に沈んでいくとしても

「それぞれ着飾って濁って重くなってって」
 =ニーゴのメンバーの抱えるもの
奏は「呪縛」、まふゆは「優等生としての仮面」、絵名は「自分の存在価値」、瑞希は「自身の秘め事」。
「奈落の底の牢屋に沈んでいくとしても」
 =自分が抱えるもの(上記)のせいで、絶望の底に沈んでいくのだとしても

○「ああ 訪れた幸せが ほら
祝祭日みたいに既に決められた予定調和で

「訪れた幸せ」
 =ニーゴとして巡りあい、互いが互いに救い合う今の姿?
「祝祭日みたいな既に決められた予定調和」
 =ニーゴとして出会う事は既に決められていた事だった
実際、誰もいないセカイに奏たち3人を呼んだのはミクであったから、ある種の予定調和であったのかもしれない。

○「一瞬で失せてしまう慰めでも構わないよと
希望有りきの絶望にさ 依存 依存

「一瞬で失せてしまう慰めでも構わないよと」
 =前フレーズの続き。ニーゴとして出会い、共にいられる時間が一瞬で失せてしまう慰めでも構わない。

「希望有りきの絶望にさ 依存 依存」
 =ニーゴの存在?
全員が似た者同士であった(心に絶望を抱えていた)からこそ出会えていたのが「25時、ナイトコードで。」というユニットである。彼女らが集まった背景として「各々の深い絶望」があると考えて良いかもしれない。
そして今では、「絶望の集まりであるはずのニーゴ」が「希望」となっている。
前フレーズからの繋がりを考えると、ニーゴとしていられる時間(=希望有りきの絶望)に依存しているという意味合いか。

○「生活の虜になっちゃうよ Lady
「いつか報われる」 「認めて貰える」 気休めの呪文で己を騙すの

「生活の虜になっちゃうよ Lady」
 =ニーゴのメンバーとして「救われたい」と願い思い続けている時間のこと

「いつか報われる」
 =奏が歌っている事から、「父親をあんなふうにしてしまった」自分も、きっと誰かを幸せにできる曲を作り続けていればいつかは幸せになれるだろうと自分に言い聞かせている
「認めてもらえる」
 =瑞希が歌っている事から、「今は理解されていないが、きっといつか周りから自分が自分である事を認めてもらえる」という淡い期待
「気休めの呪文で自分を騙すの」
 =絵名が歌っている事から、「自分の作品はニーゴにとって欠かせないものなんだ」という彼女自身の自己暗示の意、または願望。前フレーズの「認めてもらえる」から続けても同様の解釈ができる。

また、ここまでの言葉を奏自身のみを意味するものとして捉えると
「父親を酷い目に遭わせた酷い人間であるのに、いつか報われるはずだ、周りからも(自分が全て背負う事はない、悪くはないんだと)認めてもらえるはずだと(自分が全て悪いのに/自分自身が都合良いように)自己暗示し続けている」
というようにも考えられる。

○「生活の終わりはすぐそこLady Lady
妬み嫉み 野次馬 劣等 面子だって
生きてくため乗り越える試練 仕様がないことでしょう

「生活の終わりのすぐそこ」
 =ニーゴのメンバーとして、救われたいと思っている時間はもうすぐ終わってしまうのだろうか

「妬み嫉み」
 =絵名の抱える羨望の想い
「野次馬」
 =瑞希を物珍しい存在のように群れてくる学校の生徒の存在
「劣等」
 =欠けてるピンクオパールが奏の事を表している前述を踏まえると奏の事か。
作曲の才能以外は色々と(生活能力など)劣っている事もあるため。
「面子」
 =優等生であり続けるまふゆが気にするもの

「生きてくため乗り越える試練 仕様がないことでしょう」
 =生きるためには乗り越えていくものであって、乗り越える以外にはなすすべがない

○「この生活の虜になっちゃうよ Lady
当たり障りないような 大衆的な宝石は もう必要はない 濁りすらも綺麗

「当たり障りないような大衆的な宝石」
 =取り繕ってつくり上げた「自分」の存在 
「濁りすらも綺麗」
 =各々が抱える苦悩やコンプレックスも個性である

○「生活の虜になっちゃえよLady Lady
「古臭い」ってさ 「金にならない」ってさ 琴線を奏でない 言葉は無用

「古臭い」「金にならない」
 =奏の父親が追い詰められていた要因
奏の父親の音楽は「古臭い」と評され、そのままであり続けると自分の音楽は「金にならない」。自分の音楽を変えようとしたが、奏の才能を目の当たりにし叶わなかった。
余談だが、「琴線」と「金銭」が掛かっているのかもしれない。

こうした、父親が言われていた古臭いとかお金にならないとか、そういう言葉は必要なくて、自分は自分の音楽を作り続けるという奏自身の想いのように考えられる。

○「生活の虜になっちゃった Lady Lady
痛みだってさ 言えぬ秘密もあっていいんだ
そう生きてくため纏うものだろ 他愛もないことでしょう

「痛み」「言えぬ秘密」
 =ニーゴのメンバーが抱えるもの
特に前者の「痛み」は奏のトラウマを、後者の「言えぬ秘密」は瑞希の事のように感じられる。
これらを「生きてくため纏うもの」だとしているため、痛みや秘め事だって合って良い。それは生きてくためには必要なことであって、気にする程のことでもない(=他愛のないこと)だという意味合い。

○「Lady Lady あなたも虜でしょう

今まで「Lady」は「助けて欲しい」という旨の解釈をしてきたが、ここではそうでないようにも思える。
何故かといえば、公式MVのこのフレーズの間に流れるシーンは、屋敷に囚われていた女の子の主人公が、自力で屋敷から脱出し、今まで虜になっていた屋敷での生活から駆け出していくシーンにあたる。
そうした事から、ここでの言葉の意味合いは、今までの「Lady」や「虜」とは違って少し明るめの意味合いのようにも思える。
ニーゴの色を強めて考察するのであれば

「あなたも虜でしょう」
 =あなたもこの生活(→救われたいと思う生活)の虜なのでしょう
  =あなたも(心のどこかで)救われたくて仕方ない(救われたいと強く願っている)のでしょう?

というように思える。

公式MVの方では、今まで主人公を虜にしていた男キャラクターが、逆に主人公の虜になってしまっていたという逆転ストーリーであった。

だがニーゴの方では、「自分を犠牲にして誰かを救う奏という存在」を中心にこの曲を考えた時に、「奏だって救われたいはずなのに」、「じゃあどうすれば救われるのだろうか」という疑問符が浮かんでくる。
最後の「あなたも虜でしょう」で、奏自身もまた、ニーゴの一人として、誰かに救われる事を望んでいるのではないの?と問いかけているように思える。

しかしながら思い出してほしい。

このフレーズを歌っているのは、その「奏自身」なのである。

奏の言葉としてこのフレーズが出てきているのであれば、「この曲を聴いている我々に対して何か問いかけている」と考えられるかもしれない。

この曲を聴いているそこの貴方だって、救われたいと思っているんでしょう?と。

今もまだ、自分を犠牲にして誰かを救う事の出来る曲を作ろうとしているのだろう。
自分が救われる事すら考えずに。

全体的に「救いに依存していて独り立ちしないといけない」という意味合いで曲を聴いていたが、歌詞を一つ一つ見ていくと、「宵崎奏」というキャラクターの在り方についても見えてくるような気もする。
他の皆は救われても、彼女だけは救われないのではないか。彼女の幸せはどこにあるのだろうか。
そういった事が今後のストーリーの中で鮮明になっていく事を心から願っている。

奏ちゃんだって、救われて欲しい。
笑顔でいて欲しい。

これはファンの我々にとって、共通認識であることを確認して、トリコロージュの私なりの考察・解釈のnoteを終わろうと思う。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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