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ウイバナ考 M 17青春のすべて

【注意】あくまで素人の感想です

これを書こうとしてから結構時間がたってしまった。
書くためにしっかりと聞き直すと、最初の考えからずれが出てきたためである。

うわずって叫んでる
叫んでる喉の奥
へんてこな僕らでいたかったんだ

1サビ

正解はどうだって
どうだってよかったんだ
僕のこと知ってほしかったんだ

2サビ

うわずって叫んでる
叫んでる喉の奥
僕らのこと知ってほしかったんだ

大サビ

通常最後の大サビは1サビを繰り返す。しかし、この曲は大サビが1サビと2サビのハイブリッドのような歌詞になっている。
だから初めて聴いたときには
”知ってほしい”
ということを強く訴えたいのだと思った。

”へんてこなままの自分を知ってほしい”
それは承認欲求なのか、と勘違いをしていた。
青春というのは承認を求める過程なのか?

承認欲求というとわれわれの世代からすると「甘え」に見える。
そのままの自分でわかってもらえるはずがない。
「私はお前のお母さん(※注1)じゃない」
と社会から言われ、相手にわかるような言動ができるようにするのが最初の社会人としてのトレーニングだった。

それでいて最近目にする承認欲求がなぜこうも問題になるのか。それは今の若者たちは、無条件に自分をわかってくれている「お母さん」がいないからではないか?という考えが浮かんだ。
どんなことがあっても、絶対に自分を保護するという覚悟を親から示されていない、そんな子供が増えているのではないかと感じられる。
最初の自分と外界を繋ぐ過程に、絶対的な信頼をおく存在を欠いて成長した若者たちにとって「承認」に対する渇望は私の想像を超えているのかもしれない。
今まで昭和のわれわれも共感できる「青春」が唄われてきた。しかし、ほかのJ-POP(アイドルを含む)の傾向をみると、異性愛や希望などとはほど遠い、自己愛やディストピアなど、昭和では想像できなかった世界が唄われ、聴衆の共感と支持を受けている。ジツカワさんはここではじめて令和という時代の特異性を表出し、語り部に訴えたいのか、と思った。

これが読み過ぎなのか、わからない。
これを書くために歌詞を確認したところ、大サビは2サビと違って
僕”ら”を知ってほしかったんだ
と複数になっていることに気づいた。これがそのままなら単純に「グループの知名度を上げたい」ともとれる。むしろそのほうが自然である。

【注意】ここからは特にあくまで素人の感想です。

さて、気になるのは、去年の夏を締めくくったこの曲が梅雨時からサキマルさんのマイブームになったということ。

そして、その頃から今年の夏が昨年ほど活躍の場が得られなかったことが少し残念だと吐露したことである。まさかとは思うが、昨年の夏を「やたらvividな記憶」として懐古しているのだろうか。そして「奇跡」(※注2)だった、めったに起こらないことだったと思っているのだろうか。そうだとしたら少し心配である。

私は昨年の夏が過ぎ、その「答え合わせ」と位置づけたワンマンから、おそらくその前から、次への転換がとても早いと感じていた。
この曲からして今までのテーマの「青春」を総括するというタイトルだ(答えは出てないし、青春は歌い続けるけど)。そして「どうせ生きていくんだけどさ」の次の「鐘の音」は楽曲のベースこそ大きく転換はしていないが、新しいエッセンスを織り交ぜている意欲作だと伝わってきた。ライブもバンド対バン、アコースティックライブと「実力派」ならではの試みをどんどん進めているな、と思った。

ところが、こんなに次の手を着々と遂行していたのにもかかわらず、このような自己評価になっていたというのは驚きだった。どうしてもすべてのことが右肩上がりでないと、このように考えざるを得ないのかもしれないが、アイドルというセグメントで順風満帆な成長を続けるのは困難なことは想定しているはずである。

現在のアイドルは、大人数、10代(もしくは around 20) 、清楚系もしくは元気カワイイ系、という公式に則っており、これを外すことは秋元康ですらできない。これから外れたコンセプトで売れているのはコロナ前にすでに地位を確立したグループだけだ。コロナで苦しくなったグループはこぞってこれに追従し、コンセプトを変えている。対バンのフライヤーをみると、右にならえで、見分けがつかないくらい似たようなアーティスト写真が並んでいる。
こんな時流になる前からだとしても、「青春を唄う」というコンセプトは特異だ。ウイバナを初めて見たときに「なぜアイドルなんだろう?なぜJ-POPのフィールドにしないんだろう?」と思った。

主流ではないコンセプトでアイドルのセグメントにいる例はほかにないわけではない。以前ちょくちょく見に行ったCANDY GO GOはいくつか路線を変えて現在のロックグループになった。今はアイドルを自称していないが、発足当時の経緯からかアイドルの対バンには出演している。
ステージパフォーマンスに注力し、主催ライブは生バンドで、毎回100人くらいのアテンダントでハコをいっぱいにしている。そんな活動に力点をおき、ほかのアイドルグループとは一線を画している。
直接確認はしていないが、夏フェスに呼ばれまいが、意に介していないようだった。もちろん、知名度をあげたい気持ちがないわけではないだろうが、無理に売れセンに合わせるよりは、やりたい音楽を優先し、それを支持してくれているファンの規模でよしとしているように見えた。

とはいえ、ウイバナが今の活動で満足すべきだとは毛頭思っていない。
その実力にふさわしい、もっと大きな舞台に立つべきだ
と強く強く思っている。
メディアに乗っかっただけでドームをやったり、ピッチも外れまくってフリも学芸会レベルなのにTIFに指定席を確保しているグループを見ると、アリストテレスの「世界一のフルートは誰が吹くべきか?」の問いが示す世界になって欲しいと思う。

新しいファンを獲得するにはステージを見てもらわなくてはいけない。一目見れば「すごい!」と聴衆を引きつけることができるが、その機会を得るのは結構難しいものだと感じている。
主催はウイバナの魅力を堪能できるが、知ってもらわないことにはそこに足を運んでもらえない。
たくさんのアイドルが会する対バンはたくさん催されているが、推しを見てしまったあとは特典会に流れ、長時間立っているのも疲れるので、ほかのステージを見ることは稀。せいぜい見るとしても新規のグループか、推しと同系統のアイドル。すると、公式に則った、いわゆる「王道アイドル」にますます集中することになる。ゲスト対バンなら同系統のアイドルの趣向を持つあたらしい聴衆に見てもらえるかもしれないが、大きい分母は望めない。例えは悪いが、少ないパイの取り合いにもなりかねない(浮気者が私だけだったらすみません💦)。
7日に行われた「下北青春論」と題された主催ライブはひとつの解答なのかな、と思われた。下北沢であればウイバナのテーマである「青春」に反応する人々が多いと見込んでこの地を選んだと。そうだとすればこの試みが当たることを願っている。

【注意】さらに、あくまで素人の個人的妄想です。

promotionのほかに、音楽の軸をもう一つくらい増やしてもいいのではないか、と思っている。

サキマルさんが今まで聴いたことがないような歌を歌っている夢を見た。ライブではなく、MVのようで、アフタヌーンティーをするような部屋の家具に囲まれて、椅子にかけ、白いテーブルに頬杖をついて歌っていた。

以前、エントロピースについて書いたとき(ウイバナ考 番外編2 エントロピース)、サキマルさんから「(楽曲派、実力派でもありつつ、)かわいいというアイドル性も棄てたくない」という言葉(論旨要約加筆)を聞いた。
確かに、最近のビジュアルはステージの魔法を差し引いたとしても、どんどん向上している。サキマルさんに限らず、ほかのメンバーも。この心情を唄わせてみたいと思う。
ただ売れスジだから、と追従する「かわいい」ではなくて、ほんとうに表現したいaround 30 の「かわいい」を。

エントロピースが青春をすこし脇に置いた楽曲になっているが、ISAKICKサウンドだとはすぐにわかる。今度は音も今まで聴いたことがないような新しい音にならないだろうか。J-POPは今まで唄われていないテーマか、新しい音でないと目(耳?)に留まらない。ISAKICKさんならもう一展開、新しい、令和の音を作ってくれると思う。

そして「青春」、「人生」を語る「大説」と、エントロピースのような日常、心情を語る「小説」を経緯(たてよこ)にして展開して幅を広げられたらとてもうれしい。

以上、素人の感想と妄想でした。

※注1:言葉を発した上司の言葉を忠実に再現したもので、子供の把握は母親がするべきであるという意図は含んでいない。父親でも祖父母でも交代可能な表現。

※注2:歌詞を確認するまでは「軌跡」、つまりそうなるまでの過程だと思って聞いていたので気にしていなかった。


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