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2019年 香港デモ重要事件まとめ


6月9日 逃亡犯条例改正案に反対する100万人デモ。

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6月12日 平和的な抗議だったにも関わらず、香港警察は催涙弾240発、ビーンバック弾3発、ゴム弾19発、スポンジ弾30発を使った。また、この日の抗議を政府は「暴動」と定義。暴動罪は最大禁固10年。五大訴求の一つである「暴動と定義した事の撤回」は、この日の定義を受けて叫ばれた。

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6月15日 35歳の男性が抗議の自殺。遺書には「逃亡犯条例改正案を撤回せよ、私達は暴動なんて起こしていない、学生や怪我人を釈放しろ、林鄭月娥辞めろ、Help Hong Kong」と書かれていた。

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6月16日 200万人 + 1人デモ。1人とは前日に抗議自殺をした梁凌杰氏を意味する。市民は平和的に逃亡犯条例の撤回を呼び掛けたが政府は全く聞かなかった。

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7月1日 イギリスから中華人民共和国への主権移譲22年目。デモ隊は逃亡犯条例の撤回を求めて立法会に突入した。最初に突入したグループは自分達を死士(死の戦士)と呼んだ。警察が入ってくれば逃げ道は無い。香港大学卒の梁繼平氏は「香港人は同じ運命を背負っている、今度は絶対に負けられない」と訴えた。壁には抗議メッセージが書かれたが、デモ隊は冷蔵庫の飲み物を取る時はお金を置き、貴重な文献や骨董品は一切壊さなかった。

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7月21日 五つの要求を求めて43万人がデモ。また中連弁(中央政府駐香港連絡弁公室)の正門に飾ってある中華人民共和国の国章には墨がかけられ、中国共産党からの支配を拒否した。催涙弾55発、スポンジ弾24発、ゴム弾5発が使われた。また、デモのスローガンである、光復香港時代革命(香港を取り戻せ、革命の時だ)が叫ばれたのは、この日から。

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7月21日 元朗駅で白シャツを着たヤクザ集団200人による無差別攻撃事件。女性記者や妊婦も襲われ、妊婦は気を失った。市民は24000回警察に通報したが、警察は元朗警察署と天水囲警察署のシャッターを下ろして市民の通報を無視した。警察が現場に到着したのは39分後だった。

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7月26日 空港集会。15000人が香港国際空港に集まり、空港を利用する外国人に向けて、多言語の資料を作って支持を訴えた。

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8月5日 香港全域大規模ストライキ。800発の催涙弾、140発のゴム弾が使われ、148人が逮捕。最年少は13歳。また航空会社もストライキに参加し、200便が欠航した。また、警察は使用期限切れの催涙弾を大量に使用した。後日「シアン化物」の影響を受けて、女性抗議者の生理が遅れ、血は黒くなるなどの症状が出た。

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8月11日 尖沙咀では医療従事者の女性がバーンバック弾に撃たれて失明。これが戦争だった場合、医療従事者への攻撃はジュネーブ条約により、戦争犯罪になる。また、葵芳駅では駅構内に向けて香港警察が催涙弾を撃ち、催涙ガスが駅構内に蔓延した。

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8月11日 香港警察がデモ隊の服装をして、抗議者を逮捕した。デモ隊の間には大きな疑心暗鬼が生まれた。

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8月18日 雨の中、逃亡犯条例の撤回を求める170万人デモ

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8月23日 エストニア、ラトビア、リトアニアがソ連からの独立を求めて200万人が600kmで手を繋いだ「バルトの道」から30年。時を経て、香港人が手を繋ぎ13万人が60kmの「香港の道」を作った。

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8月29日 100万人デモ、200万人デモを主催した、民間人権陣戦(民陣)の代表の岑子杰氏が南アジア系の何者かに刺された。犯人は捕まっていない。

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8月30日  香港衆志の周庭氏、黄之鋒氏、元香港大学生徒会長の孫曉嵐氏、元香港民族党の陳浩天氏、沙田区議会議員の許銳宇氏、立法会議員の鄭松泰氏など著名人が一斉に逮捕された。

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8月31日 昼間は170万人デモが行われ、夜は太子駅で香港警察と特殊戦術小隊の速龍(Raptors)による無差別攻撃事件が起きた。駅のホームに居合わせた市民が無差別に襲撃され69人が逮捕された。

事件の発端。觀塘線の石硤尾駅 → 太子駅の間でデモ支持者と政府支持者の口論が起きて、政府支持者が車内でハンマーを振り回した。警察は通報を受けて太子駅に駆けつけたが、觀塘線では無く、向かい側の荃湾線、中環行の車内に入り、全く関係無い市民を無差別に攻撃した。

30分間、口から泡を吹くまで殴られた人もいた。明らかに10人が重症で病院に運ばれたが、警察発表では重症者は7人とされた。この日に3人が亡くなったと噂されている。警察は怪我人の搬送先を廣華病院だと言ったが、実際は瑪嘉烈病院だった。市民は防犯カメラの映像をCCTVに求めたが、CCTVは応じなかった。

※ 太子駅の真上には旺角警察署があり、走れば1分もかからず駅ホームに到着出来る。

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9月1日 空港で抗議集会があったが、香港警察は香港MTRの空港線を止めて抗議者を帰れない様にした。車を持っている香港市民は抗議者を助ける為に車で空港に向かった。ダンケルク大撤退が行われた。

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9月22日 以前から積極的にデモに参加していた15歳の陳彦霖さんが水死体で発見された。彼女は自殺する様な様子も無く、水泳選手だった為、溺れるという可能性も低い。母親も後日遺体で発見された。この時期は特に不審死が相次いだ。

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9月26日 林鄭月娥が抽選で選ばれた150人の香港市民と対話の機会を作った。しかし、発言者として選ばれたのは、市民のフリをした非常勤婦人警察で、完全なる出来レースだった。彼女は「私は警察を恐れていない」と発言した。

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9月27日 香港のアウシュビッツと呼ばれた新屋嶺留置所に連れて行かれた逮捕者に人権を求める集会。新屋嶺は深センとの境目に位置しており、新屋嶺から病院に運ばれた31人の患者のうち、6人が骨折の重症。そのうちの1人は皮膚だけが繋がっており、他にも歯を抜かれたり、脳出血した人もいた。

また、ある男性は携帯のロックを断ったら、手足をテーブルに固定され、頭に袋を被せられ、全裸で大の字になって警察に性暴力を受けた。8月31日に太子駅で襲われ、新屋嶺に連れて行かれた中文大学のSonia Ngさんも、顔と実名を出して性暴力を告発した。

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9月29日 インドネシアのジャーナリストがゴム弾に撃たれて右目を失明。

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10月1日 中華人民共和建国70年目。荃湾で香港警察が実弾を発砲して17歳の少年が意識不明に。

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10月20日 香港警察が尖沙咀にあるモスクを砲水車で攻撃した。催涙剤が含まれる青い液体によってモスクが青く染まった。デモ活動に無関係のイスラム教徒が大きな被害を受けた。香港市民はモスクを掃除する為に尖沙咀に集まった。

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10月23日 逃亡犯条例改正案が完全に撤回される。しかし遅すぎる撤回と、多すぎる犠牲に、市民は全く喜ばなかった。

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11月4日 香港科技大学の周梓樂さん(22)が將軍澳のデモ現場で駐車場から転落し、後日死亡する。香港警察が救急車を妨害した為、救護は71分遅れた。

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11月11日 西湾河で香港警察が実弾を発砲して21歳男性が意識不明に。

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11月11日 / 12日 アジア8位の名門校、香港中文大学の校内に催涙弾が撃ち込まれ夜は激しい攻防戦に。中文大学には、国際インターネット通信の中核であるHKIXがあり、警察が大学を狙った理由だと考えられている。HKIXが落ちると、世界に情報発信が一切出来なくなる。中大戦で使われた催涙弾の数は2356発。100人以上が負傷した。

12日に香港全体で使われたのは催涙弾1567発、ゴム弾1312発、ビーンバック弾380発。

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11月16日 - 29日 香港理工大学で激しい衝突があり、大学が火に包まれた。警察に包囲された為、デモ隊は脱出する事が出来ず、籠城した。装甲車は理大へ向かって強行突破しようとした。デモ隊が包囲され、大学に数日間閉じ込められた。医療従事者も多数拘束された。音響兵器のLRADも投入された。理大の中にいる仲間を助ける為に、各地で警察を分散させるべく激しい抗議活動が起こった。

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11月24日 区議会選挙で民主派が圧勝。投票率は71%で294万人が投票。452議席のうち、民主派が388席を占めた。

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11月27日 トランプ大統領の署名で香港人権民主主義法案が成立。

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12月8日 世界人権デーに合わせたデモ。80万人が参加した。

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