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怨霊大戦 第2話

 アテルイの斧が勢いよく振り下ろされ、少年晴明せいめいの方へ迫ってきた。
借魂しゃっこん観勒ミロク!」
 晴明は顔の前で新たな紙片を振る。それは瞬く間に青い炎に変わった。
 炎から座禅を組んだ老僧の姿が浮かび上がった。
 老僧は胸の前で印を結ぶ。
 その身体から水面に生じた波紋のような波動が広がった。
 アテルイの斧が晴明の頭上でぴたりと止まった。
 斧を握る腕の筋肉に浮き立つ筋が見える。
 老僧の身体から発せられた波動が、斧の動きをはばんでいるかのようだ。
 アテルイの額から一筋の汗がにじみ出ている。
「うおおおおおおおおおっ!!」
 激しい叫び声を上げ、彼は腕にさらなる力をこめた。
 ピシリと音が鳴り、波動にヒビが入る。
 ヒビはだんだん広がり、波紋の波動がくだけ散った。
 老僧の姿がかき消えていく。

借魂しゃっこん小角オヅヌ!」
 間髪入れずに晴明が叫ぶ。振った紙片の炎から、今度は男女一組の鬼が現れた。
 男鬼は斧、女鬼は水瓶みずがめを手にしていた。
 男鬼がアテルイに斧を振り上げる。アテルイは自分の戦斧せんぷでそれを受けとめる。
 斧同士がぶつかり合う激しい金属音が轟いた。
 突然、女鬼の水瓶から何かの液体が噴射された。
「――!?」
 アテルイは斧を横薙ぎに振り、その液体を払う。
 斧の表面がジュッと音を立てた。強い腐食性を持った酸のようだ。
 アテルイがひるんだすきに、男鬼が再び襲いかかった。
 アテルイは戦斧でその攻撃を防ぐ。
 再び水瓶から酸の液体が振りまかれた。
 間一髪アテルイがそれをかわす。
 酸が触れた髪の毛の先が音を立てて溶けた。
 続いて男女の鬼がいっせいに襲いかかった。
 アテルイは酸の攻撃を戦斧の刃の面を横にして防ぐ。
 反対側の手で男鬼の斧の柄をつかむと、女鬼の頭をそれで容赦なくかち割った。
 そのまま自分の戦斧を横薙ぎに振り、男鬼の首をはねた。
 男女の鬼の姿がかすみのように薄れて消えていく。

「あー、もう、一気にたたみかけらンねぇのかよ!」
 荒々しい声で男がえた。男は野戦服に身をつつみ、畳の上に座っている。がっしりとした体格の男だ。髪はクルーカットで、もみあげが長い。
 部屋は小規模な宴会が開けそうな大きさの和室だ。
 壁一面には大型の液晶ディスプレイが設置され、十六個に区切られたそれぞれの画面にはあらゆる方向から見た戦闘の様子が映し出されていた。
 部屋の中には十名ほどの人間が壁を向いて座っている。野戦服の男のようにあぐらをかく者、木製の折りたたみ椅子に座る者などさまざまな体勢だ。
「うう――。いまのハルアキくんの呪術レベルだと、呪符二枚以上の同時使用ができないんスよ――」
 緑色の髪の女性が、くやしそうに唇をかんで言った。まだ二十代前半に見える女性だ。右目を隠すように前髪の半分だけをのばした髪型をしている。
「ちきしょう――。わかっちゃいるが、オレが出ていけないのがなんともはがゆいぜ」
 野戦服の男が左の手のひらを右こぶしでバチンとなぐった。
悟郎ごろうさん、ここは辛抱しんぼうっすよ。七番勝負が終わって、敵が何かしかけて来たら僕たちで――」
 野戦服の男を、黒スーツの細身の男がなだめた。細身の男は木製の椅子に座り、ヒザの横に日本刀を立てて持っている。彼は右手だけに黒の手袋をはめていた。
「わあッてるよ! しかしな、同じパワー系の格闘家としちゃあ、身体からだがうずくのよ――。アイツとヤりてェ、ヤりてェってな――」
 野戦服の男の顔の表面にさあっとさざなみが走り、顔面に茶色の毛がわさわさと伸びてきた。耳が頭の上の方へと移動して三角にとがる。
「アンタ、顔、顔――」
 男の隣に座っていた女性が男をヒジでつついた。さばけた感じの女性だ。へそを出した野戦服スタイルで、片方のほほに大きなキズがある。
「おっと――、すまんすまん」
 男の顔がすうっと元の姿に戻る。
「ところで、さっきから気になってたンだが――」男が緑髪の女性に問いかけた。
「ハルアキはなんで大小を腰に差してるンだ? あいつの剣技レベルはからっきしだったハズだが――」
「ふふ――。いざというときの予備武装サイドアームっスよ――」
 緑髪の女性がにやっと笑った。

 たちばな兵衛ひょうえは迷っていた。
――君に、新しく編成されるチームの担当官を引き受けてもらいたい――
 賀茂室長からそう告げられたのは、十日前のことだった。
 タクシーの窓から、ぼんやりと外をながめる。
 十一月の長野の山々は、美しい紅葉こうようで彩られていた。赤や黄色、オレンジの葉が、森の中に魔法のような色彩を広げている。
――少しだけ、考える時間をいただけませんか――
 その内示を、かるがるしく受ける気にはなれなかった。詳細な任務の内容を聞けば聞くほど、橘の心にはほの暗い疑念がシミのように広がっていった。
 年端としはも行かぬ子供たちをひきいて関東最大の怨霊に立ち向かうという夢想じみた計画。果たしてそんなことが本当に可能なのだろうか?
 考える時間を欲した理由はもうひとつあった。橘は執行係官としては一線の現役だった。身体からだはどうあれ、自分ではまだ一線の現役の気概きがいがあると信じている。
 橘は座席の横に立てかけた一本の松葉杖に目をやった。ここ半月はんつきほどの彼の相棒だ。
 橘がこの仕事についてから、早いものでもう五年がたつ。
 それ以前の彼は埼玉県警の刑事課に所属し、日夜街をさまよい犯罪者を追いつめていた。明けても仕事、暮れても仕事。それが彼の日常の全てだった。
 転機が訪れたのは妻との出会いからだった。彼女は同じ署内の交通課に勤めていた。男女の機微にうとい無骨な橘の心を彼女の優しさが徐々につつみ込み、最終的に二人は結婚にいたった。
――ひょうくんは、もっと笑わないとだめなんだよ。そんなんじゃ、生まれてくる子供にも怖がられちゃうよ?
 記憶の中の妻が、目立ってきたおなかをさすりながらほほえむ。
 橘はいかにも無理やりといった感じの笑顔を作る。
――こうか?
――ダメだよ、ぜーんぜんっダメ。もっとこう、にぱぁーって感じで――
 妻の幻影が、橘の両ほほをつまんで外側にぎゅうっと引っ張る。
 短い妄想から現実に戻ると、急なむなしさが彼を襲った。
 彼女はもうこの世にはいない。そのやわらかなぬくもりは、彼の前から永遠に失われてしまった。
 残された者の喪失感は、時間がたてばきっとえる。
 そんなふうにたくさんの人から言われたが、あれから六年たってもその喪失感は少しも埋まらなかった。多分一生、埋まらないのだろう。

 あれは六年前、六月のある日だった。小雨こさめが静かに降り続いていた。
 妻のおなかに新しい生命が宿ってからは、できるだけ早く帰宅するよう心がけていたが、その日は逮捕した被疑者の調書をまとめるのに時間を取られ、帰宅が深夜になった。
――今日はもう、たぶん寝ているだろうな――
 彼はできるだけ音を立てないように、そっと玄関のドアを開けた。
 最初に異変を感じたのは鼻からだった。動物園か牛舎にでも足を踏み入れたかのような、獣臭けものくさが家の中にただよっていた。続けて金属のようなにおいも鼻をついた。仕事がら慣れ親しんだそれは、まぎれもなく人間の血のにおいだった。
――フシュル――フシュルル――
 台所からは荒い息づかいの混じった、低いうなり声が聞こえてくる。
 最悪の光景が頭をよぎった。
――どうか無事でいてくれ――
 それだけを、ただそれだけをせつに願った。
 台所の引き戸を開けると、残酷な現実が目の前に広がっていた。
 妻の身体には、大きな生き物がおおいかぶさっていた。
 初め、橘にはそれが熊であるように思えたが、すぐに間違いであることに気付いた。その体つきは熊とは全く異なり、まるで人間の身体を縮尺だけ変えて巨大にしたかのようだった。
 その動物の身体は短く逆立つ銀色の体毛に覆われ、その顔は鼻から口にかけて細長く伸びていた。
 妻の腹は無惨むざんにも切り裂かれていた。腹の中からは内臓と、橘の子供だったものがはみ出していた。
 妻の腹に頭を突っ込んでいたが、橘の方にのっそりと顔を向けた。たくさんの牙が並ぶ大きな口の周りは、鮮血でどろどろに汚れていた。
 それを見た瞬間、頭に血が上った。
――うぐるらあああああぁーっ――
 自分でも何かよくわからない言葉を叫びながら、橘は腰の特殊警棒を抜き、そいつに向かって突進した。
 フォームも何もなく警棒をやみくもに振り上げ、力任せに殴りつける。
 ガキン、という音だけを残して警棒が宙を舞った。
 まるで巨大な鉄の塊《かたまり》でも殴ったかのような衝撃が、右手を通り抜け脳天に走った。右手が、痛みとしびれでまるで言うことを聞かない。
 次の瞬間、そいつが橘に向かって左手をブン、と振った。一見軽く振ったように見えたそのフックが、橘の身体を軽々と吹き飛ばした。橘は引き戸を二枚ぶち破り、廊下の壁に激突した。
――げふっ――
 口から血痰けったんが出た。肋骨ろっこつが何本か折れた感触が伝わる。内臓にもダメージを負ったかもしれない。
 身体が全く動かなかった。痛みだけが原因ではなかった。完全に、相手の圧倒的な力に、身体と意識がのまれていた。
――フシュルル――
 やがてそいつの生臭い息が、顔の前に迫ってきた。銀色の毛並みの一本一本まではっきりと視認できる距離だ。


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