出生とエゴイズムの戯事
トイレ休憩やたばこ休憩の間はスマホでネットサーフィンをして不毛に時間を潰すのが快感となっているのを自覚して自己嫌悪する今日この頃。
先日、ググった先で「なぜ産んだ。産んでほしいなんて頼んでない」といった文言が見つかりましてね。
よくあるやつですけどね、その反論はどうするといった旨の記事です。
頭の体操がてら、私めも考えてみました。当方、子づくりはおろか結婚の経験もない独身の身ではありますがね…。
まずこの手の主張は「親側の一方的なエゴで自分が誕生した」ことへの不満によるものだと思います。主張に至るまでの長期的な経緯や文脈等は一旦無視します。
ゆえに反論にあたってはその点を否定する論理を作ることが必要ではないでしょうか。
自分も子づくりについては100%親側のエゴであると思うのです。
子づくりを行う理由は、大体以下のような理由じゃないですかね。
・知的好奇心
・跡継ぎ確保
・世間体保持
・青芝効果
・親族の要求
・介護要員確保
…etc
基本的に子づくりにおいて子側の都合が鑑みられることはゼロといっても良いでしょう。
では、子側の都合を鑑みるにはどうすればよいのでしょうか?
問題はこの点なのです。
生まれていないのだから意志が確認できない、すなわち都合もくそもあったもんじゃない、という理屈です。
いくら素人童貞街道珍道中の私でもその問題に行き着くことぐらい想定できます。
「産んでくれって腹の中で主張し続けたじゃないか」といった反論は通用しません。
なぜならそうするように仕向けたのは紛れもなく親側なのですから。
「お前に会いたかったから」といった反論も通用しません。
これに伴うことのおおいドラマチックな演出に惑わされがちですが、ただ単に親エゴ100%勇気を言い換えただけです。
しかし前述のように子側の意志を確認できない以上、親側のエゴをゼロにするのは土台無理な話であることも事実だと思います。
ですので、産まれてくることが子側にとってもプラスになることが伝わる子づくりの理由を考えるのが、解決の道筋となるのではないでしょうか。
「自分は良い親だから、自分の子として産まれてくれれば幸福を得られるから」だなんて心臓がジャングルポケットな主張ができれば苦労しませんがね。
さて、子側の利も含めた子づくりの理由ですが、私は「産まれてくる世界が子側にとって生きるに値する世界であると思ったから」がひとつの解答だと思います。
この時、自分にとって生きるに値する世界と取り違えてはいけません。自分の主観だけ滔々と語ってもただのラック自慢にしかなりません。他人にとっても生きるに値する世界であることをしっかり説明しなければなりません。
その説明は決して容易ではないと思うのですが、どうでしょう。
学校や社会でのいじめや暴力・詐欺・汚職・冤罪・紛争・戦争などといった理不尽や不合理を直視してなお生きるに値する世界であると他人に説明することができますか?
現実逃避して都合の良い側面だけ見た結果でない説明ができますか?
余程の理由が無い限り、子づくりをする年齢になる頃には理不尽・不合理をそれなりに見たり体験したりしていると思います。
それらの経験をすべて肯定できますか?
生きる価値のある世界と言い切れる世界でもないのに子づくりを行えばそりゃあ「なぜ産んだ」なんて疑問が出るのも不自然な話ではないでしょう。
なお、親が親としてどれほどできた方であってもその疑問がでてくる可能性はあります。
学校や社会で理不尽・不合理を許容量以上に経験すれば、「なぜこの時代に、なぜこの世界に産んだんだ」と同じような主張をされるまでです。
だからこそ今の世界を肯定させられる説明を行えるようになることが出生前の子の都合を鑑みていると言えるのではないでしょうか。
ちなみに、私はその説明はできません。理不尽・不合理の経験をすべて肯定することはできません。
徒労を徒労と認めたくないがゆえに無理やり生産性を承認させようとする方々のように都合の良い脳内変換ができるほど器用にふるまうこともできません。
当然、知り合いに子づくりをしようとする人がいても、一々世界の価値を肯定する説明ができるかどうかを聞いて回ることなんてしませんよ。
その人にはその人なりの考えがあってのことでしょうし。
まぁこの問題に馬鹿正直に取り組むのは親じゃない方々が大半でしょう。こうした問題を無視できるからこそ親になれるのではないでしょうか。望まざる妊娠などの場合を除いて。
じゃなかったら少子高齢化はもっと急速に進んでいますよきっと。
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