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手書きの日記とネットの記録

手書きの日記とネットの記録は、似ているようで本質的な何かが違う。

手書きはもたもたしていて、その分思考が先に行くので凝縮された文章になる。分量も捗らない。

でも精神的にはそれでも満足してしまう。客観的な完成度は下がるのだけど、より個人的な満足度の高い文章になる。親密な雰囲気があり、その時の空気感を濃く纏っている。

修正はしないし、なぜかすぐには読み返す気持ちにならない。生々しいのだ。

完全に自分しか読まないため、自分の気持ちに素直になろうなどと考えていると、逆に何が本心なのかよくわからなくなり諦めることもある。
日記なのでそれもそのまま書き捨てる。暫くしてから読み直すと、その支離滅裂な文章にもまた濃厚な意味が宿っていることに気がつく。

一方、ネットの記録はもっと軽快に紡がれている。思いつくままをサラリと掬い上げ、形にしていく。書きながらも読んでいるので、修正はそれほど多くないが、何よりコピペは素晴らしい。パズルのように順序を入れ替えると文章の持つ力が変わる。

自由に書き進めて、出来上がった文章を客観的に読んでみて、その仕上がりの味わいをいろんな角度から矯めつ眇めつ鑑賞するのが面白い。自分の文章を鑑賞する。

心に蓄えられている文章のストックを外に出して、その効果を点検しているみたい。

想定する客観的な視点がある方が、文章はある程度かたちになりやすい。

他者の目。素早い打ち込みと容易な修正。公開と再読。
その過程で、自分の思いを外から眺めることで何がしかの落ち着きを得ている。

ネットの記録の方が書き出しやすい。それは日々の食器洗いのよう。

その点、手書きの日記は、拭きいくいところの積もったほこりとか、見て見ぬふりしていた油汚れとかをごしごしこそげ取るような、そんな取り組みのようでもある。自然と深いところに潜っていくことになる。客観視はできない。潜るのだから。少なくとも私はそのような効用を手書きの日記から得ている。

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