大きいという価値
昨日買った絵本のうち、3冊が大きい絵本だ。大きいという価値がある。
それは小さい版と大きい版を手に取って見ればよく分かる。大きいものには迫力があり重量がある。大きいもの自体が世界になれる。大きい絵本はその世界の中に入りやすい。広大な山の絵の中を自分も歩くことが出来る。
逆に小さいものには手に収まる感じがあり、それは世界の一部になる。
芸術作品も、だから巨大なものも多い。体験型アートは流行りだ。
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実は私は絵画にあまり惹かれたことが無い。美しいとは思う。面白い……とも、少しは思う。綺麗だなとも思う。でも、心がゾワゾワする所まではいかない。
やはり、音楽のほうがダイレクトだ。
おそらく、音は刺激として心を揺さぶる力が強いのだろう。色や光といった視覚刺激は、受け取る側が刺激を増幅する必要があるのだ。
でも、最近絵本を繰り返したくさん読んであげているうちに、自分の中に絵画的感性が育ってきたのを感じる。確かに、好きな感じの絵と嫌な(面白くない)感じの絵がある。
一枚の絵としての好き嫌いの基準が自分の中に生まれている。だから、ストックがある事が大事なようだ。意味や価値は、比較によって生まれるから、比較するだけのストックが自分の中に溜まっている必要があるのだろう。
私が好きなのは、アンビバレント(両義的)な絵かもしれない。優しいような怖いような。整っているようで爆発しそうな。現実のようで空想のような。見方によって意味が変わるような深みのある絵。そんな絵本ある?と思うかもしれない。まあ、それこそ感性だから、そう思ったらそうなのだというやつである。「これはこういう絵ですよね」と分かったつもりにさせてくれない意外性のある絵ということになるのかな。
なんか好きという感覚が、絵にも見つかりそう。うれしい。
大きさの魅力に取り憑かれた芸術家は大変だ。売れないことには作品に金が掛かって仕方がないだろう。芸術で食べていくのは大変だ。
それにしても世界にはいろんな仕事がある。自分の納得する生き方、働き方が出来るのはとても幸せなことだ。
好きなことが仕事に出来なくてもね、好きなことにはたくさん挑戦できる。やりたいことをしたらいい。ひとのせいにしないこと。
文章と関係ないけど、最近しみじみ思っているはなしで結びとなりました。
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