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やってみたい

これを押したらどうなるんだろう。

そりゃ、押したら倒れるわな。と思いながら押して、あぁぁやっぱり倒れるよね、と思う。

①ふーん。こうやって倒れるのか。思ったよりも大したことないんだな。

②あーあ。倒れてしまった。いや倒したのは私だ。倒してしまった。後片付けめんどくさいなあ。

罪悪感?あると言えばある。

でも押したらどうなるかなって思ってしまったのだ。

思っちゃったんだから

しょうがない。


やったらどうなるかなって思ったら、やってみたいのだ。

この川をジャンプしたら跳べるかなと思ったらジャンプしてみたい。
曲げたら割れるかなと思ったら曲げてみたい。
削ったら剥がれるかなは削ってみたい。
押したら倒れるかなは押してみたいのだ。

言葉にしてみると、割と狂気だな。


結果が欲しいのではなくて、やったらどうなるかが見たいだけなのだから手に負えない。(自分が。)

さすがにね、得られる結果が馬鹿らしすぎる時は試さないけれど、隅々まで検証したい欲がある。しかも気まぐれに。

楽器の練習もなんとなくこの性質が上手く作用する時がある。(悪く作用する時もある。変なことにこだわりすぎて時間が過ぎるとか。)

人間関係だと、私のこういう頭の実験妄想を呆れながらも楽しんでくれる人がたまにいる(いた)。

まあでも、同じことを子どもがやってるなあと思いながら眺めている。なんでも取り敢えず掴むし、落とすし、口に入れるしね。

実験。繰り返される実験。


みんなが厳かに静かに座っている場所で、ここで急に立ち上がって踊りだしたらどうなるかなとか。
さすがに踊り出したりはしないけれど。

こういうのって何かの反動??

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