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むかしのひと

昔の人のことをなんとなく見下げていないか。自分のなかに過去よりも未来が優れているという啓蒙主義が潜んでいることにたまに気がつく。

江戸時代の人と、現代に生きる私とどちらが賢いのか。富んでいるか。自由であるか。

昔の人も江戸時代の人も主語が大きすぎますが、学問や芸術の世界だと、昔より今の人の方が優れているとは思えない。もちろん知識が前進しているのは間違いない。過去に対する積み重ねがあるから。しかし問題はそこではない。一人の人間の才能とか卓越性を考えると、昔の偉人達が凄すぎると思う。

例えば電気の使い方を知っていても、私たちは電気がどのようにして利用可能な状態にされているか知らない。運転は出来るけれど、車の動く仕組みを知らない。
電気を発見し、利用法を考案するのが凄い。車のエンジンも凄い。飛行機とかロケットとかも凄い。発見した人や発明した人は凄い。でも私たちは利用しているだけ、活用しているだけで理解はしていない。

日本の宮大工の技術、ヨーロッパのゴシック建築やルネッサンス建築の技術、クラシックの作曲家や演奏家の才能や技術も、過去のものを凌駕する現代ということにはなっていないのではないか。

バッハやベートーヴェン、モーツァルトが今生きてたら、どんな曲を書くのだろう。YouTubeやXもやるだろうか。

昔は不便だったのだろうけれど、不便さの中でこそ花開く才能もあったのかもしれない。

現代は、便利だからこそ生き残ったり、あるいは便利だからこそ生き残れない芸術や才能もあるのだろう。

数学博士とかは、どんなふうに感じるのだろう。


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