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厳しい父、優しい父

あなたのお父さんて、厳しい人でした?それとも優しい人でした?

親像というのは、やはり時代に大きく左右されるところがあると思う。その時代の「普通の」家庭、「普通の」親、「普通の」教育、「普通の」進路、「普通の」…。

日本人の国民性は、良くも悪くもかなり強い同調圧力を共有するところにある。だから普通という束縛が嫌だと言いながら普通であることに憧れ、普通なんかどうでもいいと不平を言いながら普通であることに安心するというジレンマを抱えている。

だから、子育てとか教育とか家族とか、個別であっていいところにもその時代の「普通の」イメージは大いに影響するのだ。

戦前の家父長制から戦後の民主主義の時代へ、とまどいながらも進むほかなかった日本人の父親像について、内田樹さんが以下のように書いています。引用は、本文の補足的な内容ですので、読み飛ばして先を読んでくださっても構いません。

 終戦を境に戦前の軍国教育は全否定され、日本はいきなり民主国家になりました。つい昨日までの治安維持法があり、特高や憲兵隊がいた時代に比べたら夢のように自由な社会が出現したわけです。家庭もそれに準じて、戦前までとは違う、まったく新しいものにならなければならないという人々は思っていた。ほんとうにそう思っていたのです。
 でも、彼ら自身は親たちも教師たちも「民主主義」なんて知らない。戦前の家庭も学校も職場もどこにも民主主義なんかなかったからです。自分が経験したことがない理念をいまここで実践しなければならない。そういう歴史的急務に1950年代の親たち教師たちは直面していました。そして、僕が知る限り、彼らはかなり誠実にその「責務」を果たそうとしていました。ある時期までですけれども。
 結論を先取りしてしまえば、「大人たち」が日本社会は民主主義的に組織されなければならないと本気で思っていた時代は1945年から1970年くらいまでの四半世紀のことだと僕は思っています。それ以前に日本に民主主義はまだ根づいていなかったし、それ以後はゆっくり枯死していった。
 ですから、いまの50歳以下の人たち(1970年代以後に生まれ育った人たち)は言葉の厳密な意味での「民主主義」を経験したことがないと思います。
 だから、僕の経験談を聴いたら、ずいぶん驚くんじゃないでしょうか。

 内田家はきわだって民主的な家庭でした。ですから、週一回毎週水曜の夕食後に「家族会議」が開かれていました。父が議長、母が書記で、兄と僕が二人きりの議員でした。家族会議では休みの日にどこへ行くとか、犬の散歩は誰がするとかいうことを合議で決めていました(別に会議を開いて決めなくちゃいけないような事案ではなかったのですけれど、「家族会議」をやろうと言い出した父も、それくらいしか議題を思いつかなかったのでしょう)。(中略)
 民主主義的な合意形成のためにはそれなりの技術が必要です。僕らの世代はその技術を児童会や生徒会で教え込まれた。民主的な審議とはどういうものか? 対立する議論はどうやって集約するのか? 合意形成のためには何が必要なのか? そういうことは子供のときから経験を積まないと身につきません。
 いまの日本は法理的は民主主義社会ですけれど、実際には、それを適切に運用するノウハウをもう市民たちは有していない。だって、教わったことがないから。
 だから、いまの日本の家庭は民主的でもないし、家父長制でもない。まことに中途半端なものになっています。(中略)
 戦前の家父長制下では、家長は黙ってそこにいるだけで、役割を果たすことができた。たとえ中身がすかすかでも、黙ってそこにいて、定型的に家父長的なことを言っていれば、それなりの威厳があった。
 ところが、民主的な家庭ではもう家長の威信という制度的な支えがありません。父親は正味の人間的な力によって家族を取りまとめ、その敬意を集めなければならない。でも、手持ちの人間的実力だけで家族の敬意を集めることができるような父親なんか、実はほとんど存在しなかった。家父長制の「鎧」を剥ぎ取られて、剥き出しになった日本の父親はあまりに幼児的で、あまりに非力だったことがわかった。 

HP「内田樹の研究室」2019-08-12 lundi より


家父長的な父親像から、民主主義的な父親像へ。そして、結局はどちらでもない父親像へ。

どこかで、世代間のギャップが生まれた時代があったはずだ。「恐い顔して、黙っていればそれで威厳が保てる」と思っている父と、「なんでいつも不機嫌なんだよ、ちゃんと意思の疎通を取らなきゃ気持ちが伝わるわけないだろが。いつまでも幼稚なままだな」と思っている子どもというギャップが。どちらにも生きてきた(生きている)時代という文脈があって、それなりに役割を果たそうとしているのであるが、この大きな溝はいかんともしがたい。

あなたは、あなたの厳しいお父さんが好きですか?厳しくても、そこに愛情を感じましたか?本当に、お父さん自身のことを知っていると感じますか?

あるいは、
あなたは、あなたの優しいお父さんが好きですか?優しくて良かったですか?優しくていやだったこともありますか?

僕の心の中は複雑すぎて、まだ言葉に出来ない。
誰かがこっそりと吐き出した言葉を読みながら、ぼくもこうかなぁとちまちま考えるくらいにしか、進みません。

とりあえず、僕は父が嫌いだったとはっきりと言うことができるところまでは来ました。

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