あなたのお父さんて、厳しい人でした?それとも優しい人でした?
親像というのは、やはり時代に大きく左右されるところがあると思う。その時代の「普通の」家庭、「普通の」親、「普通の」教育、「普通の」進路、「普通の」…。
日本人の国民性は、良くも悪くもかなり強い同調圧力を共有するところにある。だから普通という束縛が嫌だと言いながら普通であることに憧れ、普通なんかどうでもいいと不平を言いながら普通であることに安心するというジレンマを抱えている。
だから、子育てとか教育とか家族とか、個別であっていいところにもその時代の「普通の」イメージは大いに影響するのだ。
戦前の家父長制から戦後の民主主義の時代へ、とまどいながらも進むほかなかった日本人の父親像について、内田樹さんが以下のように書いています。引用は、本文の補足的な内容ですので、読み飛ばして先を読んでくださっても構いません。
家父長的な父親像から、民主主義的な父親像へ。そして、結局はどちらでもない父親像へ。
どこかで、世代間のギャップが生まれた時代があったはずだ。「恐い顔して、黙っていればそれで威厳が保てる」と思っている父と、「なんでいつも不機嫌なんだよ、ちゃんと意思の疎通を取らなきゃ気持ちが伝わるわけないだろが。いつまでも幼稚なままだな」と思っている子どもというギャップが。どちらにも生きてきた(生きている)時代という文脈があって、それなりに役割を果たそうとしているのであるが、この大きな溝はいかんともしがたい。
あなたは、あなたの厳しいお父さんが好きですか?厳しくても、そこに愛情を感じましたか?本当に、お父さん自身のことを知っていると感じますか?
あるいは、
あなたは、あなたの優しいお父さんが好きですか?優しくて良かったですか?優しくていやだったこともありますか?
僕の心の中は複雑すぎて、まだ言葉に出来ない。
誰かがこっそりと吐き出した言葉を読みながら、ぼくもこうかなぁとちまちま考えるくらいにしか、進みません。
とりあえず、僕は父が嫌いだったとはっきりと言うことができるところまでは来ました。