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#62 妙見本宮千葉神社参拝記

 昨日、千葉市中央区院内に鎮座する妙見本宮千葉神社に参拝することができた。ここは千葉県で盛んな妙見信仰の総本山のような神社であるが、明治以前は北斗山金剛授寺尊光院(真言宗)と呼ばれる寺院であった。妙見信仰とは、北斗七星に対する信仰であり、古代オリエント発祥の星辰信仰に基づくものと考えられている。古代以来、神仏習合により北斗七星を神格化した北斗妙見菩薩と北斗妙見尊星王(天之御中主大神)は同じ神仏とされており、特に中世千葉氏の篤い崇敬により房総半島を中心に信仰を集めた。
 千葉氏の遠祖、陸奥守・鎮守府将軍平良文(桓武天皇玄孫)は、平将門の乱の後、上野国の三鈷山吉祥院妙見寺(天台宗)から妙見神を勧請したとされているが、実際には良文の孫で千葉氏初代とされる平忠常が、当地の香取山(香取神社)に妙見神の分霊社を奉納したのが端緒と伝えられている。社伝によれば、第66代一条天皇が眼病平癒の願をかけ、快癒したことにより北斗山金剛授寺の寺号を賜ったという。長保2年(1000)、平忠常により伽藍が整備された。
 以来、房総平氏の崇敬を得て妙見信仰は盛んとなり、大治2年(1127)に始まった「妙見大祭」は、現代まで一度も休まず続けられているという。千葉氏3代当主千葉介常胤は、源頼朝を当寺に案内し、頼朝も手厚く庇護したとされる。北斗七星の一星である破軍星は軍神ともされており、妙見神は武家に信仰されたのであった。当地の出身である日蓮も妙見神を信仰しており、日蓮宗により全国各地に広められた経緯がある。
 現在の社殿はたびたび建て替えられたものであるが、社殿や尊星殿はともに南面している。南に隣接する通町公園(千葉氏菩提寺の大日寺跡)には、千葉常胤像が建てられていた。ところどころに神紋である月星紋(三光紋)や九曜紋が飾られており、拝殿では人形代の祈祷も行っていた。境内には寿永元年(1182)に勧請されたという千葉天神が祀られている。昭和20年(1945)7月7日の七夕空襲(千葉空襲)により境内は全焼したが、手水舎の手水石には「宝暦五乙亥歳建立」と刻まれてあり、宝暦5年(1755)に建立された手水舎のものが残されている。

尊星殿

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