#81 辛気臭い

 「辛気臭い(しんきくさい)」を辞書で引くと二つの意味が出てくる。一つは「何かの障壁でやりたかったことができなくなって、イライラすること、焦れること」、もう一つは「人の気分を暗くさせる、陰気なもの」である。二つ目の類義語に「陰気臭い」があり、おそらく東日本の人間にとって「辛気臭い」の一般的な使い方は二つ目の方だろうと思われる。かく言う筆者は青森出身であるが、一つ目の意味を全く知らなかった。「あいつは辛気臭い」のように、他人の暗い表情や雰囲気を表現する慣用句だとばかり思っていた。上京して多くの地方出身者と話してもその認識は変わらなかった。
 ところが、京都出身の妻の父、筆者にとっては岳父と一緒に歩いている際、目の前にゆっくり歩く人がおり、なかなか前に進めなかったときに「あぁ、辛気臭いわ」とつぶやいたのである。筆者は「そこまで言うようなことか?」と思ったが、関西の方々にとって「辛気臭い」は当然のように一つ目の意味で使われていたのである。妻に聞いてみると、そもそも二つ目の意味ではほとんど使わないとのことであった。
 我が国の東西で同じ慣用句の使われ方がここまで違うものかと驚いたが、辞書を引くとなるほど一つ目の意味が本来の語法であったことが分かる。ともに他人によって惹起される自身の負の感情を表現する慣用句ではあるが、二つ目は他人そのものの印象を表しており、自身の感情表現とは少し異なってくる。
 どうやら「辛気臭い」という慣用句そのものが関西発祥らしいのだが、おそらく明治以後、東京に持ち込まれた「辛気臭い」が「陰気臭い」と混同されたのではなかろうか。「辛気臭い」の地方差は、誰かがすでに調べていそうであるが、このようなことを知るたびに、かつて考古学者大山柏博士(元帥大山巌次男)が言ったという「関西を知らなければ、日本を知ったことにはならない」との言葉が思い起こされるのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?