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#29 永青文庫見学記

 東京都文京区目白台1-1-1に所在する細川コレクション永青文庫へ令和5年度早春展「中国陶磁の色彩―2000年のいろどり―」を見に行った。永青文庫は、肥後熊本藩細川家が所蔵する歴史資料や美術品等の散逸を防ぐ目的で昭和25年(1950)、細川家第16代当主護立によって設立された博物館施設である。近世大名細川家のコレクションもさることながら、実際には近代日本有数の美術品コレクターであった細川護立が蒐集した東洋古美術、近代日本画が多いという。永青文庫といえば、「細川ミラー」の通称でも知られる国宝「金銀錯狩猟文鏡」(前4~前3世紀、河南省洛陽金村出土)が有名だが、これも護立が購入したものである。細川ミラーは数年に一度、一般公開されるが、残念ながら今年度公開される予定はない。なお、細川家伝来品のうち、「細川家文書」をはじめとする藩政資料等の古文書・典籍類は熊本大学附属図書館および熊本県立図書館へ、美術品は熊本県立美術館へ、熊本出身の漢学者古城貞吉旧蔵の漢籍(担道文庫)は慶應義塾大学附属研究所斯道文庫へ、フランスの東洋学者アンリ・コルディエ旧蔵の東洋学関係洋書(コルディエ文庫)は東洋文庫へ寄託され、それぞれ研究資料として供されている。
 ちなみに、現在の永青文庫理事長細川護光の父は細川護熙(第79代内閣総理大臣)、祖父は細川護貞、曾祖父が細川護立、高祖父は熊本藩最後の藩主細川護久である。
 はじめて訪れる永青文庫へは、東京メトロ東西線早稲田駅から早稲田大学を横目に歩いて行ったが、かつて勤めていた新宿区時代には頻繁に通った懐かしい新目白通りを渡り、桜の花びらが流れる神田川を渡り、目白台の胸突坂で息切れしつつ辿り着いた。目白台一帯は、江戸時代には熊本藩下屋敷があり、永青文庫もその一角に建てられている。昭和初期に細川家家政所(事務所)として建設された建物をそのまま利用しており、趣深い外観や内装を見ることができる。護立が晩年を過ごし、息を引き取った書斎も展示されている。書棚には前述のコルディエ文庫の一部が並べられていたが、清の乾隆帝が編ませた三希堂石渠宝笈法帖まであった。
 見学した中国陶磁は漢代の灰陶、唐代の三彩、宋代の陶磁(磁州窯・定窯・鈞窯)、明代の陶磁(景徳鎮窯・龍泉窯・漳州窯・徳化窯)、清代の陶磁(景徳鎮窯)の名品ばかりであったが、護立が刊行した「唐三彩図譜」も展示されており、その意義を知ることができる。漢代の三人指将棋盤など興味を惹かれる文物ばかりであった。
 同じ敷地内に大名庭園の名残をとどめる肥後細川庭園があり、一般公開されている。肥後椿、肥後山茶花、肥後芍薬、肥後花菖蒲が有名だそうだが、当日は山吹とシャガ(射干)が盛りで、特に美しかった。小さな三椏もあったが、すでにツツジが咲いていた。

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