#51 藤原為光のこと

 今夜のNHK大河ドラマ「光る君へ」は、越前編とでもいうべき内容となり、藤原伊周以下、中関白家の没落が明らかとなった長徳の変は、もはや触れられることがないだろう。長徳の変の遠因に、太政大臣藤原為光の娘たち、「三の君」と「四の君」の美貌があることはよく知られるところである。為光は五女に恵まれたが、五人ともに美貌を誇り、様々な政治的事件を惹き起こしたことは、筆者の心酔する角田文衛博士の著書『平安人物志』下巻(法蔵館文庫、2020年刊)に収録された一文「為光の娘たち」に詳しく述べられている。
 そもそも、藤原為光は、藤原北家九条流の祖である藤原師輔の九男として生まれ、母は醍醐天皇皇女、雅子内親王という高貴な血を持っている。九条流の政治的中心をなした師輔の息子たちでは、伊尹・兼通・兼家の後塵を拝したが、為光は為光なりに天皇家との身内関係の構築に腐心しており、その点において美貌の娘たちは有用であった。また、為光は兄である伊尹・兼通に可愛がられており、そのせいか兼通と不仲であった兼家が権勢を握ると微妙な立場となった。しかし、兼家は左大臣源雅信と対抗するために為光と協調することとなり、やがて為光は右大臣に上る。ただし、栄達はここまでであり、死の直前に太政大臣となるが、朝政の首座にはなれなかった。
 息子たちも順調に栄達しており、特に次男であった藤原斉信は道長政権の四納言の一人として活躍し、最終的には大納言になっている。五女のうち長女は、伊尹の五男、内覧・内大臣藤原義懐の妻となり、次女の忯子は花山天皇女御となり、寵愛を欲しいままにした。すなわち、花山朝において為光はかなり天皇寄りの立場にあり、藤原頼忠・源雅信・藤原兼家ら多くの公卿たちとは一線を画した行動をとっている。兼家に近づくのは、花山天皇が一条天皇に譲位し、皇統が冷泉系から円融系に移ったためと推定されている。忯子は花山天皇の子を懐妊するも病没してしまい、天皇の外戚になるという為光の念願は叶わなかった。
「三の君」、「寝殿の上」として知られる三女は、藤原伊周の妾となったことで知られるが、為光はかかる三女を特に可愛がっており、邸宅である一条院含めその財産一切を譲与しているのである。ただし、為光没後、一条院は売りに出され、東三条院詮子が住まいとしている。「三の君」は二人の妹たちとともに、鷹司小路の邸宅に移っていたが、ここで花山法皇が忯子の妹でもある「四の君」に恋情を示し、やがて長徳の変が引き起こされる。
 長徳の変以後の「三の君」の動向は定かではないが、出家したとも伝わる。「四の君」はしばらく花山法皇と同居していたことが分かっているが、法皇没後は実家へ戻ったようである。かかる「四の君」(儼子)とさらに妹の「五の君」(穠子)は、やがて道長の娘、妍子(三条天皇中宮)付きの女房となり、長和4年(1015)に二人揃って正五位下に昇叙した記録が残っている。道長正妻である倫子の招きにより出仕したともいう。ドラマでは今後触れられないであろうが、「四の君」と「五の君」はその後、二人揃って壮年の道長の妾妻となっている。

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