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#71 耳皿考

 前回のNHK大河ドラマ「光る君へ」で、まひろ(紫式部)が食事の際に箸置きとしての耳皿(みみざら)を使っているシーンが映った。このドラマは本当に一瞬だけ考古ファンをキュンとさせる演出をしてくるわけであるが、耳皿とは口縁を内側に折り曲げた小皿のことであり、曲がった形が人の耳に似ているためそう呼ばれたらしい。箸置き・匙置きとして使われており、転げ落ちないように口縁を曲げたのである。ちなみに、匙とは現代のスプーンのような形状の食器であり、ドラマの中ではまひろや藤原宣孝が越前のウニを食べるシーンで登場している。
 現在でも伊勢神宮に代表される神社の神饌の膳では耳皿の伝統が生きている。神に捧げる食事は清浄でなければならないため、人の膳では使われない箸置き・匙置きを用いて、直接膳に触れないようにしているのである。
 ここから転じて、平安時代には貴人の食事にも使われるようになったと考えられている。その初現は詳らかでないが、奈良時代以前の遺跡からは出土せず、平安時代の遺跡から多く発見される。愛知県猿投窯や岐阜県多治見窯では緑釉陶器・灰釉陶器の耳皿が生産された。ただし、本来は神饌用であるように土器(かわらけ)が原型であるので、土器が多かったのであろう。素焼きの土師器耳皿は東北地方、筆者の地元である青森県の平安遺跡からも出土する。宮城県多賀城跡など東北地方の官衙遺跡では、器面に炭素を吸着させた黒色土器の耳皿も知られている。
 中世になっても平安時代以来の伝統は残っており、式正の膳と呼ばれるハレの食事では耳皿の後裔である耳土器(みみかわらけ)を使う。戦国大名が多く使っていたようであるが、近世に至っても公家や大名などは、正月や婚礼などの儀式の中で大量に消費するため、一定の需要があったのである。筆者も新宿区で働いていたときに、尾張徳川家上屋敷跡の発掘調査で多量の耳土器を検出したことがある。

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