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#39 蜀犬日に吠ゆ

 今夜のNHK-BS「謎の古代文明・三星堆」は、興味深く視聴した。中国四川省広漢市に所在する三星堆遺跡は、紀元前2000年~紀元前1100年頃に栄えた都城遺跡であるが、祭祀坑から膨大な数の青銅製品や黄金製品、象牙、玉器、タカラガイなどが出土したことにより注目を集め、黄河文明、長江文明とは異なる四川省独自の高度な文明が存在したと騒がれたこともあった。筆者も学生時代の平成11年(1999)に、実際に現地を訪ね、三星堆遺跡博物館で出土品の数々を実見したことがある。また、我が国においても関連の展覧会が開催されたことがあり、見に行った記憶がある。特に青銅神樹の印象が強く、若気の至りで北欧神話の世界樹ユグドラシルとの関連で一文草したこともある。ちなみに、三星堆遺跡博物館は改修され、現在はさらに立派な博物館施設になっているという。
 筆者が訪ねた頃は、主に1986年に発掘調査された1号・2号祭祀坑の出土品が主体であったが、2000年代に入ってから3号~8号祭祀坑が発見され、そこからも膨大な数の文物が出土している。今回の番組は、これら最近の調査成果を踏まえてのものと考えられる。
 青銅神樹や縦目仮面の解釈は、以前と同じく史書に記された十日神話や、古蜀初代の蚕叢王に関わるものとされており、金杖に刻まれた魚と鳥(鵜)から第3代の魚鳧王に関するエピソードも同様であった。四川省という地勢をめぐって西方文化の影響の強さも当時から話題になっていた要素である。太陽信仰についても以前から取り沙汰されており、四川省は温暖湿潤で「天府の国」と呼ばれるほど豊かである一方、曇天や霧が多く、太陽が見える時間が少ないことから、日が出ると犬が驚いて吠えるため、「蜀犬日に吠ゆ」の慣用句まで生まれた土地である。異なる部分は、遺跡の年代観が明らかになってきたことにより、中原や長江流域の諸文化との関連が考察できていたことであろうか。特に、三星堆遺跡の廃絶について、殷周革命との関連を示唆したことは大きな歴史的解釈であった。実は東アジアや東南アジアにおける文化的画期が、支那古代の文化的画期と共通する点は古くから注意されてきており、弥生時代の開始やラピタ人の移動なども同じ文脈で読み解こうとする見解も示されている。
 ただし、史書の国である中国らしく、どうしても文献史料と考古学的成果を直接に結び付けようとする意識の強さは、筆者にはなじまない。青銅器の神話的解釈も強引であるし、番組後半の祭祀儀礼の復元や現代の民族・民俗との関連も飛躍に過ぎるのではなかろうか。たしかに古蜀の人々は、いわゆるチベット・ビルマ系語族であろうし、その子孫は雲南や四川周辺の少数民族に残っているとは思うが、そもそも中華思想があるから辺境の民として扱う解釈になるのであって、漢民族などという幻の民族意識を軸に据えた解釈には無理が生じる。タカラガイの産地同定は興味を惹かれたが、中国南部の海岸部や台湾、南西諸島にもタカラガイは分布するわけであるから、長江上流域の三星堆遺跡には、東方からも供給可能である。

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