生涯の友として
息子Sが小さい時から障害があるとわかり、勉強をはじめて気づいたことがあります。
それは私にも障害があった 私にこそ障害があった と言うべき事実。調べていたらめちゃめちゃ当てはまるんですね。自分に!
自閉症の原因のひとつに(諸説あると思われますが)遺伝も関係しているそうで
事実、高機能自閉症の子供を持つ母の集まりに定期的に参加していましたがほとんどの人がグレーゾーンでありました(自称含む)
他の人はどう思うかわからないのですが、自分自身がそうであるとわかったことで肩の荷が下りたというか、安心したというか とてもとても楽になったのです。何と言うか、自分が悪い訳じゃなかったんだっていう安堵の気持ちが大きめです。
それまでの私は物心付いた時からずっと違和感を抱えていて、自分ひとりまるでどこか知らない星へ来てしまったかのように思っていました。
言葉も時々通じなくて覚えのないことで叱られたり、覚えていることを知らないと言われたり。
身体の感覚も敏感だったり、逆に感じなかったりで自分の身体なのにそうじゃないような、どこか形の定まっていない感。不思議なのは辛くてしんどくてやっとのことでしていることが他の人に(例えばクラスメイトだったり)とっては何でもないことだったりだとか。
他にもいろいろあるのですが、友人や家族はどうやらこの感覚はわからないらしいので、私ちょっとどころかかなりおかしい。。。と、妙な劣等感がずっとずっとずっとあったのです。出来ない自分が悪いのだ、と。でもそうじゃなかったなんてね。。
そんな私が子供の頃から愛してやまなかったのは鳥やうさぎ等の動物たち。
彼らは私がどんな落ちこぼれであろうが性格破綻者であろうが変わらぬ愛の存在でした。
我が家は教師であった祖父が好きだったのかどうなのか、 昔からたくさんの動物達が家にいて
私が知ってるだけでも山羊、豚、犬、猫、モルモット、うさぎ、鶏、いろんな鳥、鯉、金魚、熱帯魚 。。。一部屋鳥ばかりの時もあったらしく、鳥屋敷と呼ばれていたそうです。世話をするのはもっぱらうちの父とその兄弟、つまり叔父叔母達でした。
私が実際接したのは山羊に犬、鶏、うさぎ、セキセイインコや文鳥、鶏、鯉、金魚、熱帯魚 。 この仔達がまた可愛く、人との付き合いが上手く出来ない私は帰って来たら世話をしたり話かけたりするのが日課でした。どんなにか慰められ、愛され、安らぎを得られただろうか。。感謝してもしたりません。
今は実家を離れ、他県でワンコ達と暮らしています。物言わぬ彼らがいかに雄弁か、そしてどれだけ愛を体現しているか日々感じずにいられないのです。
自分のことでいっぱいいっぱいな息子もいつの間にか愛犬家になってしまうほどに。
自分に一生懸命なので余計はことをしない息子にワンコ達はどうやら安心を得ているようで、よくくっついたりおやつをねだりに行ったりと警戒心なく接しています。彼も満更ではなさそう。どんな自分でも肯定してくれる、動物達は裏表のない真っ直ぐな存在だと気付きはじめています。
生涯を共に。。と、までは言いませんが、このひとときがあった ということが心の糧になっていればいいなぁと思うのです。
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