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どうしようもない蛙の独白


数年前、私は根無し草然り、あてのないところを彷徨っていた。
誰からも干渉されない思考回路を組み立てて生きることが自立であると思っていた。同い年の人たちはうまいこと外の世界へ接続しているように見えていた。ある夏の夕暮れ、湿度と汗でうだるけど夜風が涼しかった。だが、ひとり暗闇で涼しいと感じるのは寒気に似ちていて怖さを増す。暗闇と同化したアジサイがものすごい密度で咲いていて不気味だった。日の当たらない終わってる土壌には知らないキノコも生えている。その横の耿々と光る静まり返った空間。ほこりっぽくカビ臭いような図書館。調べものをするために席を取る。本から必要な情報を見つけだすために、背表紙を片っ端から眺めて勘を働かせる。これだと思ったものを手に取り、キーワードを逃すまいと凝視しながらページを送りつづける。こういうときの勘と動体視力はやたら働く。一文を理解するためにあらすじと前後の文脈を読みこまないとならない。文字を追うのが苦手で、苦しいけど読む。しかし気づいたら意識が本を飛び越えて自分とはなにか、ということを考え続けていることが多々あった。この本をうまく読めない自分、筆者と違う自分、同じ自分、俯瞰で自分を眺めはじめる自分。他人を見るとすぐに自分を見てしまう自分は内向きである。自分。足を踏み外しては自己の内側に引きずりこまれていく。手に取った本を読んでいるうちにやたら苦しくなってきて深刻な気分になる。文字を追うことに集中しすぎて酸欠になったのではなく、あらゆる文章を自分と照らし合わせて無駄な回想をしてしまうからだ。心を癒すような発見もあれば、悩ますものもある。他人との関わりが少ないと、自ずと意識は内側に向く。なにかと関わり合っていたとしても向いてしまうものだが。思考回路を組み立てる動力のようなものは、自己の外の、開けたところにあるのが健全なように思うが、そうはいかなかった。ものを見つめてなにかを書いて誰かに見せて評価を受けるシステムは成果物が外に出るから健全な気がした。評価を得られるのはそれ一択だった。調べれば調べるほど、考れば考えるほど健全になれる気がして必死になった。意欲というものは実は不健全かもしれない。知りたいという欲が働いた結果なので表面上は悪くないはずだ。あまりにも自分の視点から考え続けていたので、それではだめだなと思いはじめていた。その考えすら行き過ぎてしまい、もっと自己を消すべきだし、外側からものを見ないといけないという気持ちに囚われて、自分を疑いまくってついに憔悴した。バランスというものがある。あまりにも内側を向いたままだったから、意識を分散させようとしたのだが、方法がよくなかった。頭でっかちのどうしようもなさを発揮してどうしようもなくなった。
前々からやりたかったことが先にあり、実現するための勉強をした。外と関わらないと駄目だいう焦りで、ついに実際に外側へ飛び出した。腹を割って話すことがとても苦手な人間が、社会の振る舞いをトレースしてやりたかったことを叶えようと試みた。頭の中では考えていたけれど、実際足を動かすと全く関節が錆びきっていてぎこちなかった。頭の中の理想の振る舞いや、社会において正しいとされる振る舞いというものと比較しても、自分の不出来に頭を抱えて、楽しい反面じわじわダメージを負っていた。別の方角からも、さも当たり前のように社会のマジョリティを突きつけられ、一体どこに属す人間かを赤の他人の前で宣言させられていた。道徳の「心のノート」を思い出すような、記名制のアンケートやってるような、もうどうにもならない感じだった。一つの視点で提示された社会でしかないものを、社会のすべてと思わなきゃいけないような仕組みのなかで、一切抵抗することはできず、毎週それで感情がグチャグチャで毎晩気がおかしくなっていた。相談した相手に、今やってることと性格や表情、振る舞いとのギャップを指摘されたことが、余裕のない自分には追い打ちとなり、そこから先に進むことができなくなった。性格や身の丈に合ったことをしないと人には信用されないのだと知った。人格改造しきるにはタイムリミットがあり、もうこれ以上直すことができなかった。わりと序盤で出方をミスったのが後に響いていた。けれど勉強も順調にやってきていた気でいた。最後の最後でそれも性格と合ってないという致命的なミスで、なんだかうまくいかなくなってしまった。自分をいいように売るのは別の才能だということに気付く前まで、単純にやってること自体を評価してもらえるものだと思っていた。とある名のある場所では、知や成果や考え方を蔑ろにされ、こんなものは邪魔になるという発言を聞いた。本当に何もわかってない世界にこれから迎合していかなければならないらしかった。なにもかも嫌になっていた。
ケリをつけたうえで、それからただ太陽を浴びて早く寝てかろうじて人間のかたちを保つ努力をしながら毎日をすごした。

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2年前、頭の整理をするために思い出して書き留めたこの文章を、いまだってなにも変わっていないのにと投稿する。ばらあら ばらあ。

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